SSブログ

志ん生の独り稽古や崖の春 [新宿発ポタリング]

edohyakusuwanodai_1_1.jpg 谷中の「夕焼けだんだん」の雑踏を右に見上げつつ直進し、ややすると静かな急坂があった。自転車を押して上れば、ここが日暮里・富士見坂。振り返るも曇天で富士山は見えず。坂の上は諏訪台。左へ諏訪神社から道灌山。向こうの崖下は隅田川までの低地が広がる。ここは半島状ミニ台地になっているのだろう。前回のブログで『鶉衣』の「飛鳥山賦」を記したが、この細長い台地は「飛鳥山」まで続いている。

 江戸時代は「諏訪台」も「飛鳥山」でも北東側の崖下に向かって「土器(かわら)投げ」が興じられたとか。遠く筑波山や日光の山々も見えたそうだが、今は「まなじりさはる(目に障る)物なく」とは参らず、崖下沿いに山手線、京浜東北線・京成線が走り、田畑ではなく密集した街並みが広がっている。

 絵は広重「名所江戸百景」の「日暮里(ひくらしのさと)諏訪の台」。同「飛鳥山」とほぼ同じ構図(景色)だが、絵中央に急坂を登ってくる人が描かれている。この坂は「地蔵坂」で、今はJR西日暮里駅に下って行く。山々の向こうに朱色があるが、北東ゆえ夕陽は見えぬはず。とは言え早朝でもなさそうだがら、夕陽の照り返しだろうか。

 この地に立つと、あたしは「志ん生」が崖下の景色を見ながら落語の独り稽古をしている姿を想う。酒と博打と吉原通いで貧乏から脱せぬ「志ん生」だったが、彼の妻が「諏訪台で独り稽古を何時間もしている姿をよく見ました。落語だけは真剣でした」と述懐する文章を読んだ記憶がある。今ではどんな本だったかも思い出せぬが、妙にその文章だけを覚えている。

iwanobori_1.jpg 帰宅後に結城昌治『志ん生一代』に眼を通してみた。こんな一文があった。~弟子に稽古をつけるときは別だが、人前で稽古をするのは相変わらず照れくさくて出来ない。といって自分ひとりの部屋がないので。稽古はいつも谷中の諏訪神社の境内へいってやった。

 うむ、「志ん生」がここで落語の独り稽古をやっていたのは間違いなかろう。あたしは「志ん生」と「志ん朝」(CD全集を持っている)好きで、彼ら没後の落語にはなかなか興味が持てない。今、諏訪台崖下の線路向こうのスポーツジムのビル壁面にフリークライミングの人形が取りついていた。

 「江戸名所百景」~「志ん生の独り稽古」~そして現在の景色。ここに立つと約160年ほどの時間の流れが感じられる。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。