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御真影を描いたキョソーネ [青山・外人墓地]

Chissone7_1.jpg エドアルド・キョソーネ(Edoardo Chiossone)表記はキヨソネ、キヨッソーネ等々だが、鹿島出版会刊の隈元謙次郎著『お雇いは外国人~美術』を参考にさせていただくので同著の「キョソーネ」と記す。

 彼が大蔵省紙幣寮(印刷局)招聘で来日したのは43歳、明治8年。イタリア出身。すでに銅板彫刻家としても名を成していた。イタリア国立銀行が紙幣製作をドイツのドルドルフ会社へ委託した際に、彼も同銀行から同社に技術習得で派遣。そこに日本が新紙幣製造を同社へ委託し、彼がその仕事に従事したのが縁で招聘されたらしい。彼と一緒に招聘されたのはドルドルフ会社の銅板摺師カール・アントン・ブリュックと活版摺師ブルーノ・リーベンス。

 ブリュックは明治13年(1880)に41歳で病没。外人墓地最初の埋葬らしい。その墓は前回スケッチ背側の「印刷局墓地」内。墓碑には「印刷局工師独逸國人卡路安通布里攸詁墓」(この漢字でカールアントンブリュック)

 キョソーネ最初の仕事は地権状、煙草鑑札、印紙の図案・彫刻・印刷。これが日本の最初の凸版印刷。続いて切手8種の原版。漉入模様紙製造を指導。またシーボルトの石版画、大久保利通や西郷従道(後に西郷隆盛も)コンテ画などを描く。

 明治9年、紙幣局設立で国立銀行紙幣製造を開始。まず1円紙幣が彼による最初の紙幣。明治12年、印刷局長同行で4か月半の古美術調査旅行。この時の写真や模写した古美術群は石版刊行されて、貴重資料として遺された。

Chiossonehaka_1.jpg 明治21年に明治天皇の正装と軍装姿、大正天皇、大山巌、岩倉具視などを描く。印刷局に17年にわたって奉職後は、好きな日本美術蒐集に熱中。明治31年4月、麹町の自宅で没。66歳だった。

 彼が蒐集した美術品は遺言で故郷ジェノバに設立の「キョソーネ東洋美術館」に収蔵。彼に指導された人達が「凸版印刷」を設立。

 ここで重要なのは、彼が描いた明治天皇(御真影)は実像でありながら宗教的画像化で天皇制絶対主義、富国強兵、国家神道、思想信条の自由抑圧へ存分に利用されたこと。この辺は弊ブログのカテゴリー『ミカドの肖像』(15~23)でも詳しい。彼の美術、印刷技術は日本に貢献したが、その腕、技術が利用されて日本はとんでもない方向に走り出した。

 キョソーネは天皇制絶対主義に加担したのか、利用されたのか。外人墓地に行った際に墓前で問いかけてみよう。墓には「江帑安留帑(エドアルド)喜与曽禰(キョソーネ)先生墓」と刻まれている。


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