SSブログ

近代スポーツの伝道・ストレイジ [青山・外人墓地]

strange2_1.jpg 青山・外人墓地には幕末・明治の雰囲気が漂うも、異彩を放つ真新しい墓あり。墓碑に「日本の近代スポーツの父・F.W.ストレイジ 1853年10月29日~1889年7月5日 享年35歳」。写真掲載で以下文面が刻まれていた。

 「1875年英国より来日し、東京英語学校(後の東京大学予備門、第一高等学校)の英語教師を務めながら、日本にスポーツを広めた。日本初のスポーツ紹介本を出版、体育会による「部活動」のシステムを作り上げ、スポーツマンシップを説き、陸上競技やボートなどを教え、運動会を普及させたスポーツの恩人」

 碑石裏に「公益財団法人 日本陸上競技連盟 2013年10月」。ネット検索すれば、その時に同連盟による「生誕160周年の会」が墓前開催されたとか。この日に合せて墓も整備されたのだろう。その前年6月には高橋孝蔵著『倫敦から来た近代スポーツの伝道師~お雇い外国人F.W.ストレンジの活躍』も出版。

strange1_1.jpg 同書参考にストレンジについて要約。これまでは氏の出自や業績に不確部分が多く、最近の調査によって明らかになったらしい。彼は元教授でワイン事業成功の父の三男として1853年生れ。ロンドン大学のカレッジ時代に、後に東京帝国大学総長他を歴任し文部大臣になる留学生・菊池大麓と交流。その縁で明治5年(1875)に東京英語学校の教師として21歳で来日。

 彼は英語授業の他にクリケット、ランニング、ハンマー投げ、棒高跳び、野球、サッカー、ボートを、さらに学校の運動会や部活動、スポーツマンシップの普及発展に尽力。日本初のスポーツガイドブック『OUTDOOR GAMES』も上梓。

 プライベートでは郵便汽船三菱会社(後の日本郵船)のお雇い外国人ハルの妻の妹で、鹿鳴館の華といわれた美貌のエディスが芦ノ湖でボート転覆したのを助けたことが縁で彼女と結婚。二児誕生。34歳の若さで勲五等双光旭日章受章。だがボート競技はじめに熱中し過ぎたか夫婦不和へ。心身疲労が重なってか心臓麻痺で急逝。

 外人墓地のすぐ北に神宮球場、秩父宮ラグビー場、そして目下は更地の国立競技場がある。昭和39年の東京オリンピックでは注目されなかっただろうが、今は墓もきれいになり、再評価本も出版されて〝日本近代スポーツの父〟が二度目の東京オリンピックを迎えようとしている。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。