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日本語(4)小池清治『日本語はいかにつくられたか?』 [くずし字入門]

kojikijyo_1.jpg 小池著『日本語はいかにつくられたか?』(ちくま学芸文庫。筑摩書房版は平成元年・1889に刊)を入手。同書を〝プロの読み手〟とでもいうべき「松岡正剛の千夜千冊」が今年2月に取り上げていた。再評価? こう紹介されていた。

 「本書はよくできた一冊だった。6人の〝日本語をつくった男〟を軸に、日本語の表記をめぐる変遷を近代まで読み継がせた。(日本語研究の全8巻、全16巻などを挙げて)それらをひも解くことがあるも、全貌を俯瞰する視野と結び目がもてないままにいた。それがこの本書によって画竜に点睛を得た」

 その6人で各章構成。Ⅰ「日本語表記の創造・太安万呂」、Ⅱ「和文の創造・紀貫之」、Ⅲ「日本語の〝仮名遣〟の創始・藤原定家」、Ⅳ「日本語の音韻の発見・本居宣長」、Ⅴ「近代文体の創造・夏目漱石」、Ⅵ「日本語の文保の創造・時枝誠記」。まずはⅠ章を読んでみる。

 太安万呂(おおのやすまろ)。日本に漢字がなかった応神天皇15年(4世紀末~5世紀初頭)に、百済国王より馬2頭が贈られ、馬飼職として「阿直岐(あちき)」も来朝。彼が「経典」を読むので皇太子の家庭教師にした。字の重要性に気付いた天皇は、百済に人を派遣して『論語』十巻と『千字文』一巻を携えた「王仁(わに)」先生を招聘(出典は『日本書記』『古事記』でしょう)。かくして飛鳥時代に日本人が日本語を書き表わすようになった。

 奈良時代の和銅4年(711)、太安万呂が稗田阿礼(ひえだのあれ)らの協力を得て4kojikiden_1.jpgヵ月で『古事記』を撰録。その早さは阿礼ら語部の「誦習(よみなら)=暗唱)ゆえ。それを文字化するのに太安万呂は「言=主に音声」と「意=意味」に二分して「漢字仮名交り文(音訓交用)」を創造した。だが未だ「仮名」はなく「訓注・声注・音読注・解説注」多用で対処した。

 ちなみに『古事記』冒頭(写真上。明治3年の柏悦堂刊)は「臣安萬侶言、夫混元既疑、気象未効、無名無為、誰知其形~」。現代訳は「臣の安萬侶が申し上げます。夫(そ)の混元(まざりはじめ)は既に疑れど、気象(かたち)未だはっきりしませんで、名なく為(なすこと)なく、誰も其の形を知らず~」

 安万呂は4ヶ月で『古事記』を書いたが、江戸中期の本居宣長は『古事記』を読み解くのに35年も要して『古事記伝』(写真下)を寛政10年(1798)に脱稿とか。安万呂の表記法が不完全ゆえに苦労したらしい。小池清治著のわかり易いこと。氏は1641年生まれの国語学者。昨年亡くなった。

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