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荷風の中洲(3)真砂座と葭町芸者 [永井荷風関連]

konpira1_1.jpg 中洲病院から中洲の歴史に関心が移った。中洲の金刀比羅宮(写真、ことひらぐう))境内に入ると、昭和61年建立の「中洲築立百周年記念碑」らしきがあり。裏の碑文にこうあった。

 「中洲は特別な歴史を有す。江戸時代の中洲は須磨明石に勝る江戸随一の納涼観月の名所であった。明和年間に築立され三股富永町として繁栄したが寛政年間には埋め戻された(寛政の改革だろう)。明治十九年、中州は再び築立されて旧日本橋中洲町となる。明治・大正・昭和時代を通し、大川端の地として小山内薫等多くの文化人が往来し、その作品の舞台となる。」

 おや、小山内薫が出てきたか。彼は二代目左団次と共に本格翻訳劇の自由劇場をおこし、荷風さんんも「三田文学」に同台本を掲載などで協力。共に左団次のブレーン。さっそく小山内薫「大川端」を近所の図書館より「現代日本文學全集」(筑摩書房)で読んでみた。

konpira2_1.jpg 物語は明治38年末。主人公・正雄は明治座でお酌(半玉)の「君太郎」にひとめ惚れ。学校卒業後に中洲の或芝居(真砂座)へ作家見習いに入った。「芝居の左側には銘酒屋のやうなものが幾軒も列んでゐた。白粉を眞白に塗った女が長火鉢の前に寝そべってゐたり(略)・・・芝居の右側には待合が列んでゐた。(略)・・・夜になると電話が方々でちりんちりんと鳴る。美しい女を載ママ)せた車(人力車)が、好い匂ひを振り撒きながら、頻に出たりはひったりする。」

 そうした「淫らな島・中洲」に山の手から通った。やがて若旦那に好かれて芸者遊び。島の突き当り「新布袋屋」で、念願の「君太郎」に逢う。待合に入り浸って「君太郎」を呼ぶ日々になるが手も握らねぇ。それで好いた腫れたじゃ前に進まぬ。そのうちに君太郎は一本になり旦那の子をはらむ。そんな按配で「小さと」「せつ子」と付き合うが、誰もが旦那持ちになったり自前の看板を出したり・・・。

 明治44年の新聞連載小説(君太郎篇のみ)で、読み進むもまどろっこいが、それでも当時の葭町の芸者、中洲の情緒は味わえた。そういえば、荷風さんは尋常中学時代に大川で泳いで、濡れた水着のまま真砂座を立見をしたと書いてあった。(随筆「夏の町」)

 葭町芸者と云えば「濱田屋」貞奴。某演歌歌手が貞奴テーマの演目を明治座・稽古場で繰り返す光景を幾度か覗いた。そう、男性某演歌歌手の劇場公演の芝居稽古場は築地本願寺だった。熊本出身、福井出身歌手だが芝居稽古はともに隅田川沿いってぇのがうれしい。


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