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夢枕獏「大江戸釣客伝」(3) [読書・言葉備忘録]

turikyaku1_1.jpg 前回の続き。・・・能の小鼓方筆頭・観世新九郎が羽田沖で釣りをして、伊豆大島5年の流刑。新九郎は大島でも釣りを愉しんだろうか。あたしも釣り好きだが、大島の磯前にロッジを持ってより、好きな時に釣りができると思ったら何故か意欲が失せた。勤めが忙しいから釣りに焦がれる。「釣り禁止」ゆえ釣りに焦がれる。釣りってぇのは、そんなところもある。

 今回の島暮しではこんな出逢いがあった。防風林でアケビを採る先輩老人がいて、訊けば我がロッジより奥の大別荘主。かなりの釣りキチらしく、今年の正月に陸に運べぬほどのメジナを釣ったとか。釣り三昧を夢見ての大島別荘か。

 さて、手元資料で観世新九郎の流人生活を探ってみた。八丈島や三宅島の流人記録は充実も、大島は幾度の大火で古文書焼失。ろくな記録なし。『大島通史』に<元禄6年(1693)、江戸落語開祖の鹿野武右衛門、御料馬云候事により大島流刑>とあった。小石房子『江戸の流刑』(平凡新書)によると、<御料馬云候事>は「生類憐令」違反のこと。同違反で死罪や流刑で離散した家族、なんと数十万人とあった。とんでもねぇ悪法だ。

 鹿野武右左衛門をネットの「朝日日本史人物事典>で調べる。・・・馬が人語を発するという流言あり。その馬のお告げで疫病(コレラだろう)除け札や薬の処方が売れた。元禄6年に流言の張本人を取り調べると、武右衛門の『鹿の葉巻』(1686)の咄より示唆を得たと告白。これで武右衛門が流罪。(参考文献:延広真治「舌耕文芸」)。ひでぇとばっちり。これで江戸落語の発展が止まった。

 夢枕獏『大江戸釣客伝』に戻る。紀伊国屋文左衛門の音頭で『釣秘伝百箇條』を著した「投竿翁」を探そうと釣り仲間が一堂に会す。朝湖は同席で小説冒頭シーンで37節の名竿を握ったまま笑みを浮かべて死んだ老人が「投竿翁」と知った。どんな人物や。全員の興味はさらに募る。

 その席に招かれた津軽采女は、釣り禁止で釣りができぬなら自分も「釣り指南書」を書こうと決意。これが後に日本初の本格釣り指南書『何羨録』(かせんろく)となる。(続く)


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