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夢枕獏「大江戸釣客伝」(1) [読書・言葉備忘録]

kikakukayabacyu_1.jpg 過日の荷風足跡をたどって越前堀、中洲をポタリングした帰りの永代通りは茅場町辺りで、「其角住居跡」の碑を見た。今泉準一『其角と芭蕉と』の巻末年譜をみると、其角は元禄13年(1700)、40歳の春に「茅場町に住居を定む」とあった。その2年前の南港(芝であろう)に家を新築しながら12月10日に類焼、一切を失った。火災8日前に親友・多賀朝湖(英一蝶)が三宅島流刑。これは「生類憐みの令」によるとか。

 ちなみに其角が茅場町に移転の2年後が赤穂浪士の吉良邸討ち入り。其角はその5年後、1707年2月に47歳で没。2年遅く、多賀朝湖が綱吉死去(1709)の将軍代替わり大赦で12年振りに江戸に戻ってきた。すでに58歳。英一蝶の名で再び活躍。

 そんなことを改めて頭に入れていたら、其角、多賀朝湖(ちょうこ)らを中心とした釣り好き仲間を主人公にした小説があると知った。夢枕獏『大江戸釣客伝』(講談社2011年刊)。

 物語は宝井其角(25歳)と多賀朝湖(34歳)が、佃島沖でハルギス釣りをしている場面から始まる。ここで私流「其角プロフィール」。寛文元年(1661)、日本橋生まれの江戸っ子。少年時分から才気発揮で、14歳にして芭蕉に認められた。有名俳人の多くが田舎者だが、其角らの江戸俳諧は野暮を嫌って粋が信条。芭蕉が禁欲的なら、江戸の俳人はまぁ不良が多かった。粋な無頼・放蕩の輩といったらいいだろうか。<十五から酒をのみ出てけふの月> <闇の夜は吉原ばかり月夜かな>。

 冒頭場面に戻る。二人は土左衛門をかけた。ひきよせた腕が竿を握っていた。その竹竿、逸品なり。一瞬浮かんで沈んだ貌は老人で、大物をかけた笑みを浮べていた。突然死らしい。朝湖が言った。「悪いくたばり方じゃねぇなぁ」。

 次のシーン。津軽家を継いだ小普請組・津軽采女(うねめ・19歳)が、深川八幡宮を参拝した帰りに、中洲(そう、荷風の中洲病院の、元禄時代の中洲)で七人の釣り師が沙魚の鉤(はり)勝負をしているのを見た。釣り勝負の横で紀伊国屋文左衛門が芸者はべらせた宴で盛り上げる。

 あたしの初めての釣りは、父に「東雲」に連れられて教わった沙魚釣りだった。竹竿の穂先から伝わるブルルッという魚信。そんなワケであたしは今も磯の大物釣り、フカセ釣りより沙魚、キス、マゴチなどの小物釣りが好きだ。荷風が釣りをしたかは定かじゃないが、荷風句<鯊つりの見返る空や本願寺>ってぇのが無性にでぇ好きだ。(続く)


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