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北区の軍事遺跡(5)~市ヶ谷自衛隊を思ふ [新宿発ポタリング]

 北区の「東京第一陸軍造兵廠本部」(現・北区文化センター)の建物は、かつての自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛庁)一号館に似ている。造兵所の赤煉瓦を保存した北区中央図書館に蔵書・絵画を寄贈した怒鳴門鬼韻(ドナルド・キーン)さん。併せて三島由紀夫が浮かんでくる。

boueisyo_1.jpg かくして関心は自衛隊市ヶ谷駐屯地へ飛ぶ。昭和12年に「陸軍士官学校本部」として建てられ、戦後に米軍が接収。「極東国際軍事裁判」法廷になり、昭和27年4月に日比谷・第一生命からGHQが移転してきて、米軍将校宿舎やアメリカン・スクールになったりして(未確認)、昭和34年に返還。以後陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地になり、昭和45年11月25日に三島由紀夫が乱入・割腹。

 (その18年後、小生は市ヶ谷左内坂を登り切ったマンション4階に事務所を持って、窓西側に広がる市ヶ谷駐屯地を見ながら仕事をしていた時期がある。なお、あの一号館は平成12年に防衛庁が移転してきた際に、玄関・講堂のみ保存で西に位置を移して「市ヶ谷記念館」になっているとか。この記のカテゴリーは「新宿発ポタリング」ゆえ、馬場の新宿中央図書館から市ヶ谷まで走った。写真上は防衛庁。写真下は防衛庁裏側の昔と変わらぬ「自衛隊東京地方協力本部」出入り口と小生が事務所にしていたマンション)

sanaizaka_1_1.jpg あの日、三島由紀夫は玄関上(バルコニー?)から自衛隊員に向かって、・・・諸君が武士ならば軍隊であることを否定し、自分を否定する「憲法」をどうして変えようとせぬか。政治は矛盾の糊塗、自己保身、権力欲、偽善に満ち、日本人の魂は腐敗、道義は頽廃している。われわれの愛する歴史と伝統の国・日本を甦すべく真の武士として立ち上がれ・・・という趣旨の檄文を叫んで割腹した。

 三島の憲法論は別にして、今は彼が憂いたより政治はさらに「矛盾の糊塗、自己保全、権力欲、偽善に満ち」、「日本人の魂は腐敗し、道義は頽廃」している。加えて云えば三島家がそうだった官僚らの保身・欲の暗躍も醜い。三島が逝って40余年、その醜態を晒すかの選挙運動が展開中。三島由紀夫評伝『ペルソナ』を書いた某が都知事選に出て、『三島由紀夫の日蝕』を書いた某が衆議院選挙に立候補。

 過日、飯島耕一『永井荷風論』備忘録で、・・・三島が荷風を「醜態」と言い、三島の死もまた「醜態」と記した飯島の文をひいたばかり。三島の祖母・夏子は永井家で、確か荷風と遠い親戚ではなかったか。45歳で逝った三島由紀夫の面長の顔を79歳に老けさせたら永井荷風の顔になった。(猪瀬直樹は『ペルソナ』のなかで三島5歳の顔は、祖父定太郎と母倭文重から引き継いだ顔と記しているが・・・)。

 再び『永井荷風論』最後の六行目をひく。・・・結論はない。荷風のむざんな死骸も、三島のむざんな死骸もまだ片づけるわけには行かないのである。われわれはいまなお彼らの死臭を嗅ぎながら、核時代のニヒリズムの進んだ現在、「生きる」というのではなく、宙吊りに「たまたま生かされている」気分の中で、黒とも白ともつかぬ時代の灰色の霧の中をさまよっている心地がする。 30年前の記述だが、霧は晴れず深さを増している。「東京砲兵工廠銃砲製造所275棟」の赤煉瓦外壁を残しつつ平成20年(2008)に北区中央図書館が完成。 


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