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北区の軍事遺跡(8)康子と三島と野坂と慎太郎 [新宿発ポタリング]

 tutamomiji1_1.jpg8月15日、終戦。三島由紀夫は終戦より『岬にての物語』執筆に夢中。康子は戦勝国となった台湾の「梁」に広島への切符を取ってもらって、原爆で即死の父の遺骨と、重症の母の看病に向った。献身の看護虚しく母も死去。東京に戻った康子は原爆二次被爆で昭和20年11月、19歳で逝った。

 野坂昭如は神戸空襲で養父と家を失い、妹も餓死。養母生家を訪ねて上京するも、ここで窃盗。多摩少年院収監2ヶ月。戸籍謄本にあった実父(新潟県副知事)の名を申告し、昭和22年12月に父の秘書に伴われて出所。「野坂」姓になった。17歳の彼を、35歳の美しい継母が迎えた。

 三島は終戦間際に刊の『花ざかりの森』が不評。東京帝大卒業を控えて高等文官試験の勉強に集中した。12月に大蔵省に入った。そんな折に長編小説の依頼。太宰治『人間失格』ベストセラーをヒントに、性的懺悔の私小説『仮面の告白』を執筆。

 野坂書には、こう書かれていた。 ・・・三島は役所から戻って徹夜の執筆。通勤駅で立ち眩んで線路に落ちた。泥まみれで自宅に着替えに戻る。思わず泣く姿を見た父は、それほど小説を書きたいのなら役所を辞めて「作家に専念してもよし」と、やっと認めた。

 かくして三島は大蔵省を9ヶ月で辞職。同性愛の話題性狙い『仮面の告白』から『愛の渇き』 『禁色』などで一躍人気作家に。それでも母を「お母ちゃま」で薄気味悪い。

 その後の野坂は、大学卒業の気も失せて雑誌社の求人に履歴書を用意するも長蛇の列。諦めて電柱のチラシ「バーテン見習い」に応募。入ったのがケリーの店「ブランズウィック」。同性愛の店で、三島が男装の女連れで来店。彼は三島の煙草にマッチの火を差し出した。

 長くなったのでこの辺で止める。『康子十九歳 戦禍の日記』は、康子の日記を中心に関係者への取材を交えた構成で、戦争の無残さを訴えていた。比して自衛隊員に憲法改憲を訴えて自決した三島由紀夫の、ボディビルの肉体と憂国を否定した石原慎太郎が今、暴走老人となって「一緒に改憲しようぜ」と呼びかける先が、佐藤栄作の孫、岸信介の外孫・安部晋三で、彼は自衛隊を軍隊にと目論んでいる。そんな「自民党」が予想では単独過半数とか。気にくわねぇ衆院選だな。

 あたしの父は康子と同じ十条の造兵所で働いていた。康子らが造兵廠で働いていた時分に、あたしは同廠より徒歩30分ほどの北区寄り板橋区で生まれた。あたしはどちらかと云えば「小沢昭一的」とでも云うか、「お上」がでぇ~嫌い。庶民の意地を通したいクチだ。 写真は造兵廠近くで撮った蔦紅葉。散る間際の美しさよ。(このシリーズ終わり)

※参考は『康子十九歳 戦禍の日記』に加え『ペルソナ』、『赫奕たる逆光・私説三島由紀夫』、『三島由紀夫の日蝕』など。


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