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年の瀬に暗殺碑見んすていしよん [新宿発ポタリング]

haraminamiguti_1.jpg 医者が「運動しましょうね」ってんで、ウォーキングか自転車乗りをほぼ毎日している。猪瀬直樹の『ペルソナ』に、東京駅での「原敬暗殺」の謎を探る章ありて、その暗殺地の☆印と碑を見んと自転車を駆った。

 大正10年11月4日午後7時25分。原敬首相、東京駅で暗殺さる。現行犯逮捕されたのは紺絣に鳥打帽の18歳、中西艮一(こんいち)。大塚駅の転轍手。短刀で胸を刺した。「政治に私利私欲を入れた。政友会の悪事を新聞報道で知り義憤を感じて犯行に至った」と供述。以下、『ペルソナ』の同章概略。

 政治絡みゆえ真相追及せず「背後関係なし」で無期懲役。三度の恩赦で、13年で出所。長文蓮著『原首相暗殺』(1973)が真相を探った。猪瀬が新資料追加でさらに迫った。原の日記に暗殺の危険を忠告した男が二人いて、その一人が三島由紀夫の祖父・定岡定太郎だった。

 彼はどこで情報を得たか? 大隈首相が戦争ビジネス「死の商人」の大倉喜八に満蒙独立運動推進の軍資金提供を頼んだ。大倉は満州・鴨緑江の森林伐採採取権をもつ鴨緑江採木公司を百万円(現在の百億円)で払い下げるならと条件を付け、大熊は同意した。

haraansatu2_1.jpg だが払い下げに至る前に大隈内閣が倒れた。次の寺内内閣は我関せず。「政友会」の原敬内閣になって十九回も足を運ぶが拒否。原らはすでに三井系・王子製紙と癒着済。原系官僚・定太郎の樺太長官時代に始まってい、王子製紙は樺太から満州へパルプ事業の手を伸ばしていた。大倉喜八がキレた。

 大倉には右翼系大物らがいて、「政友会」を憎む議員らもいた。定太郎は原系官僚ながら、右翼系との裏金工作もしていて双方の情報に通じていた。(三島由紀夫が終戦直前の出版統制厳しいなかで処女作『花ざかりの森』を出せたのは、祖父の製紙事業コネで用紙調達を約束。出版社もそのコネに乗った)。

hamaguti2_1.jpg そんな裏事情が秘められた暗殺現場は新東京駅「丸の内南口」の伽藍下(写真上)、改札口左の自動切符売り場左の壁面に碑が(写真中)、その下に暗殺地を印す小さな☆が埋め込まれていた。また改札を入って中央通路の東北・上越新幹線改札手前の柱には昭和5年11月14日の浜口首相暗殺の碑(写真下)あり。

 華やかな新東京駅だが、時代の暗部が息をひそめている。


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