SSブログ

へっつい考4:長屋の朝 [暮らしの手帖]

futatuhettui2_1.jpg「へっつい」の使用状況はどうだったか。中江克己著『見取り図で読み解く~江戸の暮らし』より引用する。余談だが、若い時分に氏の取材チームで短期間働いたことがあって当時が懐かしい。

 

 …長屋の朝は明六つ(午前六時)、路地口の木戸が開いてはじまるが、多くの人はすぐ朝食の支度をする。一日分の飯を炊き、木製の飯櫃にいれておくが、朝食は暖かい飯に味噌汁、漬物というのが一般的。納豆があれば、いいいほうだった。昼は残りの飯と味噌汁。夜は野菜の煮物、焼き魚、煮物屋の惣菜。または屋台で済ませた…と書かれていた。これは中江著に限らず、江戸暮らし本の多くにそう書かれている。これも出典元は『守貞漫稿』だろうか。

 

 さて煮物、焼き魚、惣菜作りは「七輪」でも可だが、飯炊きはやはり「へっつい」だろう。コツは「始めちょろちょろ中ぱっぱ赤子なくとも蓋取るな」。これまた高校時代に社会人山岳会メンバーだったゆえに、焚火で飯盒飯のコツも身についている。

 

山登り当時の火付けは「マッチ」だった。ネット調べをすれば「マッチ」量産は明治前期で、国産100円ライターの普及品「チルチルミチル」が出回ったのは昭和50年(1975)頃。その間はずっとマッチが主役。また余談だが、小雨降る河原の野営で、あたしはマッチ2本で火を熾し、その技が自慢だったことも思い出す。しかし今は「マッチ」をとんと見ぬ。我が家からも姿を消した。ところが先日5日の新聞に「マッチ人気再燃」の記事。使い捨てライターの着火レバーが重くなるのを嫌った高齢者、災害備蓄、アウトドアブームが要因で出荷量がプラスに転じたとか。

 

本題に戻る。裏長屋「へっつい」の付け火はどうしたか。火付け道具は「火口箱(ほくちばこ)」に収まっていた。「火打石(石英などの硬い石)」「火打鉄(鋼鉄片)」そして「付木」。火花を発して「火口(ほくち)=ガマの穂綿や草の茎など」へ移し、カンナで削ったような薄い板の先に硫黄を塗った「付木」に着火。そして粗朶から薪へ…。

 

長屋ゆえ、そんな面倒くさいことをせずに気軽に隣へ火種を貰いにも行ったかもしれない。火力を増すには「火吹竹」を使う。朝餉が終わって残った薪(炭)は「火鉢」「長火鉢」「消壺」へ。灰は同じく竹製「とこまさらえ」で掃除だろう。(続く)


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。