SSブログ

へっつい考9:宵越しの銭は持たねぇ [暮らしの手帖]

fukagawahettui2_1.jpg 『馬琴日記』には、江戸中の火事が詳細に記録されている。馬琴は物語作家。つまりは「居職」なのに、彼の耳には江戸中の火事の火元、類焼状況が瞬時に届いている。「火事」は江戸で別格扱い。情報伝達のシステムが庶民の間にもしっかり構築されていたと想像される。ちなみに神田明神下同朋町在住時の文政十一年正月の日記をひく。

 

「今夜九時、浅草花川戸辺より出火、頗延焼ニ及ぶ。右出火中、山崎丁辺出火、大風烈(はげしい)中、飛火所々ニ燃付、広徳寺前・三味線堀・三筋町・鳥越・蔵前・天王橋・天文台辺まで延焼。天明前火鎮ル」その四日後の日記。「一昨夜九時前、青山辺出火。至暁、火鎮る。夜五時前、小石川三百坂下出火。暫ニして鎮る」。青山と小石川の火事が記録されている。

 

 『馬琴日記』から火事記録をピックアップすれば、貴重な「江戸の火事データ」がまとめられよう。江戸に火事が多いのは、日本家屋ゆえ。また百万人都市・大江戸の七割の町民が九尺二間3坪の、また5坪の長屋に住んでい、猫の額ほどの土間の「へっつい」で煮炊きをしていたことも挙げられよう。写真の「へっつい」に薪の炎が燃え上がる図を想像していただきたい。これで火事にならぬワケがない。

 

 馬琴には、大田南畝の妻妾同衾を含め「人生の三楽は読書の好色と飲酒」といそぶいたような「粋人」の味わいはない。山東京伝のように最初も二度目の妻も遊郭上がりという「不良気」もない。頑固な家父長、堅実・倹約、勧善懲悪一筋の物語で「つまらん男よ」とも揶揄されているが、江戸の火事を全記録した点では、江戸文化の根源に触れていると言っていいのかもしれない。

 

 「火事とケンカは江戸の華」だが、火事になれば材木屋は大儲けし、大工も左官屋も瓦屋も指物師はじめの多くの職人らがそれで潤ったのも事実。江戸庶民の逞しさよ。しかし、失う物も大きい。「地震、雷、火事、親爺」。この言葉には、地震や雷に比して火事は親爺級の怖さ…という解釈もあるとか。

 

 江戸の放火は、馬で市中ひきまわし後に「火あぶり刑」。だが失火については、住宅事情から寛大にならざるを得なかった。失火の火元は焼失程度によって十日から三十日の「押込」(幽閉)程度で、焼失範囲が広いと家主、地主なども同罪の連帯責任。町火消制度も江戸ならではのものだろう。

 

 「江戸っ子の生まれそこない金を貯め」。江戸っ子は「宵越しの銭は持たねぇ」。江戸の粋・意気・鯔背をはじめの江戸文化の源に、裏長屋の「へっつい」ありと睨んだ。詰めが甘いが、この辺を一応の結論として「へっつい考」を閉じ、気が向いたらまた追加する。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。