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爺婆とBBQとスイカと~ [週末大島暮し]

kokisuika.jpg 古希越えの友人婆さんらと、ベランダでバーベキューをした。島のS氏に婆連を紹介し「この歳でも食える柔らかい肉を按配して~」と注文。まぁ旨かった、良く食った、ビールも戴いたワインも飲んだ。最近は〝長生き・元気の元は肉〟ってんで、老人達もよく肉を食う。

 もうひとつ、皆でぜひ食いたかったのが、口からプッと種を飛ばしつつ食うスイカ。誰もが子供時分は縁側のある生活も、今は縁側のある家には住んではいない。旨いスイカだった。「げんろく」で買ったが〝内地もの〟だろう。

 昭和40年の元町大火復興計画のコルビュジエ師事の建築家・吉阪隆正調べで都立中央図書館へ行った際に、横井弘三『東京近海 島の写生紀行』も借りて読んだ。未だコンクリートやアスファルト道路もない時代の長閑な大島スケッチ群。そして練馬区立美術館で昨年開催の「横井弘三の世界展」チラシが、写真の通り老人がスイカを食う絵だった。

 他によく食べたのが野菜即売場「ぶらっとハウス」の野菜たち。開店と同時に売り切れになる店は島のどこにもなく、島一番の人気店と云っていいだろう。とくにアシタバは元ベテラン主婦の婆さん連が腕を振るって様々に料理してくれた。また彼女らは実にたくさんのアシタバをお土産に持ち帰った。

 食さなかったは意外に思われるが〝魚〟だ。島で出回る〝地魚〟は僅少。〝魚市場〟はあるも鮮魚なし。島の宿が提供する魚は、一体どこから仕入れているのやら。島で魚が食いたかったら自分で釣るか、突くしかない。島は〝肉よし〟〝野菜よし〟だが〝魚よし〟とは参らない。

 さて、横井弘三が大島スケッチをしたのが昭和2年で、それより10年も前に岡田港で漁師らと共に3年暮した日本画家がいた。現在「東京ステーションギャラリー」で「没後40年幻の画家 不染鉄」が8月27日まで開催中。その話は後で~ (6月下旬の島暮しの思い出4)

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