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岡田暮し3年の様子:不染鉄3 [週末大島暮し]

okadamoide1_1.jpg 最後に不染鉄の岡田村暮しをもう少しクローズアップしてみたい。前述「思い出の岡田村」の解説にこんな記述あり。~岡田村では「ネギどんの家」といわれる家に泊まり、漁師とともに漁をして、3年間暮らした。村人たちと親しく交流し「ふぜんさん、ふぜんさん」と呼ばれた~。

 同作には八幡神社下に軒を連ねる草屋根の一軒に、不染らしき人物が囲炉裏に向かっている姿が描かれている。雄大な自然に囲まれ、情の深い村民たちと過ごした大島での生活は、彼には欠くべからざる思い出・経験だったのだろう。

 また昭和44年の絵葉書「お正月」(写真)には、こんな文章が書き込まれていた。「私が三十ぐらいの時(正確には23~27歳)、伊豆大島で漁師をしていた時、いつも乗っていた小さな舟である。今は皆キカイ船で二人舟はあるまい。大浪の時、風の時、大きな魚をとった時、色々なつかしき思出はつきない。お正月は松かざりをつける。お前と別れて、今は都会に何不自由なく倖せだよ。七十九のお正月だよ。お前を思ひ出して年始にかいて皆んなにお前の話をするよ。あの時は楽しかったなぁ。これをかいていると涙がでそうになってくるよ。悲しいのではないよ。なつかしさの涙だよ。浪の静かなお正月の日出のころにしようねえ」。〝お前〟とは妻のことだろうか。

fusentetu2_1.jpg 読み間違いもあろうが、凡そこんな文章。また昭和初期の作「海辺の村」の解説には~ 「茅葺屋根の住まいには、一間の部屋にいろりがあり、潮風が吹き、波音が聞こえ、海草の香る生活だった。干潮時には、かにや小魚が岩場に姿を見せ、周囲に牛やにわとりを飼う家も多かった」で、そんな抒情的な絵が描かれている。

 また奈良に移った後も、可愛いミニチュア風の岡田村「草屋根の家や舟」と題した作陶を多数創り、思い出の家を板型にして着色したり、魚達の木彫・絵も多い。さらに「思い出の岡田村」と題された絵が描かれた「着物」を幾着も制作。これらは妻亡き後に身の回りの世話をしてくれた女性たちに贈ったとか。

 不染はまた若い女性たちに「正しく美しい心がからだに一パイになると、あふれてこぼれるようにいゝ美しい画になります」と書いた絵葉書を送ったそうな。不染鉄はそんな晩年を送って85歳で逝った。

 小生の島ロッジも間もなく崩れ朽ち、いや、その前に島へ行く元気も失せよう。自動車免許更新が無理になるかもしれない。島へ行けなくなったら、不染鉄のように思い出だけで〝大島暮し〟の絵を描きはじめるかもしれない。改めて〝島の写真集〟でも作るつもりで記録・記憶保存をしておくのも良いかもしれない。

 最後に図録掲載の不染鉄の写真を参考に、彼の絵を描いてみた。小生の心が「正しく美しくない」とみえて上手い絵にはならなかったが、晩年の彼は実にいい表情をしていた。(6月下旬の島暮しの思い出8:付録の不染鉄は3で完)

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