五輪イヤーの不動産は? [政経お勉強]
五輪イヤーの日本経済? [政経お勉強]
『兵器を買わされる日本』 [政経お勉強]
「i~新聞記者ドキュメント~」を観て [政経お勉強]
内調(8)「官邸ポリス」現実92%と偏見100% [政経お勉強]
内調(7)長期政権で存在感増して~ [政経お勉強]
内調(6)『内閣情報調査室』メモ [政経お勉強]
内調(5)今井良著『内閣情報調査室』を読む前に [政経お勉強]
内調(4)研究費を払っていた127名 [政経お勉強]
内調(3)進歩的文化人攻撃と藤原弘達 [政経お勉強]
内調(2)松本清張が危惧した謀略的活動 [政経お勉強]
内調(1)安倍内閣と250名の内閣情報調査室 [政経お勉強]
「東都新聞」と「東都ジャーナル」 [政経お勉強]
「同調圧力」について [政経お勉強]
『新聞記者』出演者・製作者の矜持 [政経お勉強]
映画『ある町の高い煙突』を観る前に [政経お勉強]
オオシマザクラとゴーンさんと映画 [政経お勉強]
あぁ悲しき我が姿(安保法) [政経お勉強]
19日未明、参議院本会議で安全保障関連法が可決された。採決に先立って民主党・福山議員は「日本はずっと総理大臣や閣僚が、集団的自衛権行使は出来ないとしてきた。戦後70年にわたって守られてきた立憲主義、平和主義、民主主義の歴史を壊して、なぜにこんな法案を通そうと急ぐのか」と述べたが、彼らは聞く耳を持たず。
さぁ、これで待望の「戦える国」になった。アメリカからの要請はもう断れぬ。アベお坊ちゃんの〝我が軍〟は海外出動し、他国軍支援をし、武器輸送や輸出給油をし、攻撃も辞さぬ。法案の拙速さに加えて、法案を通そうとする手順が酷かった。
憲法の勝手解釈。これで憲法が信じられぬ国になった。学者が違法と言えば「学者に何がわかる」と言い放った(20日、学者の会171人が「民主主義の蹂躙だ。学問的生命をかけて廃止まで奮闘したい」と声明)。むろん民意など関係なし。法案提出(5月15日)前の昨年12月に、自衛隊総合幕僚長が米軍幹部に「今夏までに安保法案を確約」とか。アベお坊ちゃまも法案提出前の4月30日に、米国議会で同じく「夏までに安保法案成立」と、まぁ、得意満面の大演説。端から日本の国民や議会無視で鼻高々。ったくもう、どうしようもないヤツが総理になってしまった。
すでに日本は格差拡大、貧困深刻化、中間層解体で資本主義も民主主義も危うくなっている。国の借金1千兆余円。防衛費は約5兆円になったが、今後は戦う国にふさわしく、さらに拡大して行くだろう。アベノミクスは口だけゆえ、絞り取るの先は国民からだ。若者たちには「学費免除」や「奨学金返済免除」などで「経済的徴兵」が進むとも言われ出している。
いや、日本にはまだ可能性はあるゾ。武器輸出だ。(23日新聞:武器輸出に貿易保険。損失は税金で穴埋め)。産軍複合体が儲け頭になろう(23日新聞:軍事可能研究16大学応募、防衛省予算3億円)。原発もどんどん輸出か。うん、アベお坊ちゃんの年頭所感通り「日本を再び世界の中心で輝く国」になりそうな気がしてくる。アベお坊ちゃんは、今日はゴルフだとか。
17日の参院・特別委員会の政権側の力で押し切る採決のテレビ映像を観た。議長を守り野党議員を近づけぬよう折り重なって、どこかで見た図だなぁと思った。意は違うが、先日にラフ模写したばかりの藤田嗣治の戦争画に似た図があった。そう思ったら、彼らの姿が大日本帝国軍隊兵士や自衛隊の姿のように見えてきて、こんなカット絵を描いてしまった。描き終わってから、ほくそ笑む「アーミテージ」を描き加えた。
秋です。観たい美術展がいっぱい。昨日は「府中市美術館・マリー・ローランサン展」を観た。今日は東京国立近代美術館で「MOMATコレクション 特集:藤田嗣治」を観る。荒れた心が癒されましょうか。
国会前道路封鎖を突破して [政経お勉強]
昨夜の国会前デモは大変だったらしい。雨、隙間なく連なった警察車両、逮捕者13名とか。
ここでは9月14日デモを、隠居の眼でレポート。地下鉄「国会議事堂前」下車。駅を出ると、デモ主催者側のスピーカーが至る所に設置で誘導された。「本日は大勢の方々が参加されています。ご年配の方、お子様連れの方々もいらっしゃいます。スピーカーの声はどこにいても聞こえますから、無理をしないで下さい。一人のケガ人も出さないのが私たちの願いです」~のようなメッセージ。
ペンライトが配布される。国会前ライブコンサートでもあるかの感じ。誘導のまま進めば国会前。道路は封鎖され、歩道両脇に座り込む人々。絶え間なく流入する人波。あっという間に歩道は立錐の余地なし。
6時半に集会開始。次々に演説が流れる。賛同の雄叫び、シュプレヒコール。次第に熱気が満ちる。大江健三郎三さん、声が出ないも老体に鞭打っている。ここでは演説内容は割愛。あたしのお薦めは『現代思想』(10月臨時増刊号「安保法案を問う」)。43名執筆で反対意見が網羅されている。
道路封鎖柵を挟み、国民と警官のせめぎ合い。「開けろ・開けろ」の声。「過剰警備監視旗」が揺れ、弁護士腕章の女性が走り、看護班、報道と警察のカメラマンが走る。その内に警察車両が続々登場で道路脇を固めだした。こうなると逆に怒りが増す。
「駐車しちゃダメでしょ。動かしなさいよ」「いや、危険だから」「誰が危険なの。政府は国民を怖がっての過剰警備でしょ」。警官とやり合っているのは元気なオバアさん。60年安保の国会突入を知っている世代だろうか。シュプレヒコールに合せて、鉄柵がジリジリと押し込まれる。昨日、駅売り「日刊ゲンダイ」をみたら、落合恵子が「そこの装甲車の配置は何だ!市民に向けて何やってんだ、おまえたちは!」と叫んでいたとか。
どこかで突破個所が出来て、国会前道路に人々が流れ込んだ。道路中心を歩き出す人々の、まぁ、うれしそうな顔・顔。未だ突破できぬ人々に手を振っている。遠慮の手に力を入れれば鉄柵などワケなし。人々が一気に国会前道路を埋め尽くした。(昨夜の警察車両はこの日の反省だろう、車両増加で車両間なく詰めて突破防御。これでは怒りは増すばかり)
埒明かぬ国会だが、ここでは道路封鎖の小さな小さな〝突破〟。国会前道路を埋めた市民のシュプレヒコールが、夜空に響き渡る。例え安保法案が強行採決されようとも、この声は国民主権(国民をバカにするな)、民主主義(この愚かな独裁者め)、立憲主義(憲法を守れ)の声は、こうした行動から全国に広がって行く予感がした。SEALDsの奥田君は中央公聴会で「次の選挙に影響が出るでしょう」と言った。新聞は早くも来夏参院選の落選危機議員のリストを挙げた。(19日、共産党は初めて野党団結すべく選挙協力を打ち出した)。~この辺で終わる。まぁ、こんな絵を描くことになるとは思ってもみなかった。
若者らのウネリに期待して~ [政経お勉強]
歳を取って偏屈になったか、テレビをつけると 〝嫌いな顔〟が増えた。その結果、観たい番組が少なくなった。〝嫌な顔〟は見なければいいが、我慢しても観なければならぬ顔もある。5月に絵を描き出し、最初に人の顔を描いたのがその〝嫌な顔〟だった。
5月26日からの衆議院・安全保障関連法審議をテレビで観ていて、その拙速な内容に加え、アノ人はガキみたいに「早く質問しろよ」とヤジるに至って、描かずにいられなくなった。初の似顔絵が似るわけもなく、二度描いた。似なかったが、なにやら傀儡内蔵風に描けたので6月1日のブログにアップした。タイトルは「あぁ、日本が変わって行く」。
当初は声をあげる人は少なかったが、今はウネリのようになってきている。特に若い層からの動きがうれしい。安全保障関連法の違法性や粗雑さに加えて、アノ人の嘘臭さ、傲慢さに反対の勢いが増しているのだろうう。
嘘っぽくて信頼できぬ人がトップの会社ならば異議異論、反逆、社を出る人も多かろうが、その〝権力〟にしがみついているのか、牛耳られているのかの議員が約400名もいて、追従政党もいる。振り返れば3.11(原発事故)から政府不信は膨らみ出していた。
若者たちは「武力対武力」ではなく、より賢者の国へ歩み出してくれそうな気がする。そう期待して、また嘘臭いイヤな奴の顔を描いた。さて、老体に鞭打ち、若者らを応援しに行こうか。
あぁ、日本が変わって行く [政経お勉強]
国会・衆議院で安全保障関連法の審議が5月26日から始まったが、当日のNHK中継はなかった。これでは〝公共放送〟とは言えず、存在理由もない。
NHKの審議中継は翌日から二日だけ。<「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」及び「国際平和の共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案>の審議。
中継二日目は、昼にプツンッと番組が切れた。総理大臣がガキみたいに「早く質問しろよ」と問題ヤジを放った後だ。スポーツ中継で時間切れなら系列局で中継続行だろうが、NHKの意識はその程度、いや意図してか。審議中継を観れば「まっ、そんなにお粗末な拙速法案で、日本の行く道が決まってしまうんだ」と怖くなってきた。審議は80時間続くそうだが、その後の中継はなく、審議日程もわからない。
そうやって国民、庶民が知らぬ間に〝大事な何か〟が決まって行く。国民も政治に無関心で、投票に行く人も少ない。政治家もなんだか「政(まつりごと)」というより生活手段として議員をやっている感もする。
そんな主役をテレビからスケッチすれば、かかぁが「そんなにいい男じゃないよ」。人の顔を描くのは初めてで要領をえぬ。技量不足、拙く未熟だが、現内閣が言う「平和」=「武力」と同義語で、「積極的武力主義」ということはわかる。
あたしらの世代は反体制、カウンターカルチャーで生きてきたが、今はそんな内閣にも迎合する人が多いらしい。「積極的平和主義」が本当は「積極的武力主義」で、「リスクは増大する」とハッキリ言えばいいのだが、何かを隠そうとするからワケがわからなくなる。その人をもう一度描いたら〝もののけ〟っぽくなってしまった。
追記)新聞報によると、6月4日の衆議院憲法審査会で「自民・公明・次世代」推薦、「民主」推薦、「維新」推薦の3有識者の参考人質疑が行われたそうな。他国を武力で守る集団的自衛権を柱にする安全保障関連法案について、全員が「憲法違反」と表明したとか。
テレビがポチになった日 [政経お勉強]
3月27日のテレビ朝日「報道ステーション」その後がかしましい。古賀茂明が官邸圧力で降板することになったと言い、「I am not ABE」の自作ボードを掲げた。30日に菅官房長官が「事実に反するコメントだ。公共の電波を使った行為であり、極めて不適切。放送法があるので、テレビ局がどう対応されるのかを見守りたい」と〝圧力〟をかけた。
その「放送法」をちょっとお勉強してみた。大本営一辺倒だった戦時中の放送を反省に出来たとか。だが政権はこれを逆手にとって攻撃し始めた。実際に「放送法」が問題になった事例がわかり易い。1993年の「椿事件」。以下、ウィキペディアの長文を200字で要約。
細川連立政権誕生で、自民党が野党に下った。民放連の会合で「テレビ朝日」取締役報道局長の椿貞良が「ニュースステーションに圧力をかけ続けた自民党が許せない。反自民の手助けになるような報道姿勢で臨んだ」と語り、これに産経新聞が噛みついた。「放送法違反だ。電波法に基づいて無線局運用停止もありうる」。結果、椿は衆議院証人喚問に呼ばれて、その報道姿勢を否定。郵政省はテレビ朝日への免許更新(5年に1度)に政治的公平性に細心の注意をするよう条件を付した。
次にここで問題の放送法を調べる。「第2章 放送番組の編集等に関する通則」の第4条。放送事業は~~ 一)公安及び善良な風俗を害しないこと。二)政治的に公平であること。三)報道は事実をまげないですること。四)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
ついでに記せば、2011年には外国人株主比率を20%以下とする電波法違反で、フジテレビは28.59%で、あわや免許停止かと騒がれたこともあったとか。
かくもテレビは制約されている。加えて自民党は野党転落時のテレビ報道のトラウマで、安倍政権はマスコミのトップらとの会食が活発で、彼らも弱腰で擦り寄っているそうな。結果、テレビはすっかり面白くなくなってしまった。ニュース番組も芸人の舞台と化した。芸人にとってテレビ局は神様仏様。逆らえぬ。本音も言えぬ。主義も殺して(あればの話だが)局の指示に従う。おっと、芸人でもサザンがチョビ髭で揶揄し(すぐに謝罪したが)や大田光が骨のあるところ(ラジオで安倍バカを連呼とか)を発揮しているらしい。
故・筑紫哲也がテレビのジャーナリズムについて、こう書いていた。<「権力を監視する「犬」になるか、権力の「番犬」になるか。権力に情報と解釈を依存し、その伝達役にいそしむ時、それは権力の〝番犬〟である>(ジャーナリストとは何者か/岩波書店)で、今はあっちもこっちも「番犬」や「ポチ」ばかりになってしまった。またテレビ出演で生業っている人に、この件でコメントを求めても本当の事は言わない・言えない。
放送法に無関係の活字媒体には、今こそ頑張ってもらいたい。「週刊新潮」の<大メディアを鷲掴み「安倍官邸」剛柔のカギ爪>と、「週刊文春」<「報道ステーション」古賀茂明AS古舘伊知郎 内ゲバ全真相>がちょっと面白かった。だが出版社や新聞社にも右寄り・左寄りがあって、そこを加味して読まなければいけない。しかし記者クラブにも属していないだろうネットサイトの方がグリグリ突っ込んでい「古賀茂明が報ステの放送中、放送後のスタッフとのやりとりすべてを明かした」なる記事をモノにしていたりする。
今のテレビはポチ化して観る気もしないが、スポーツだけはテレビに限る。だがフジテレビのサッカー中継アナウンサーは余りに酷い。かつての古館伊知郎の自己陶酔系プロレス中継風を、細く甲高い声でやっている。テレビ映像を観ている側のそれぞれも考え、分析し、感動し、呼吸も整えつつテレビの前にいることを完全無視して、独り喋り没頭している。しかも「媚び」が入るから「虫唾」も走る。アナウンスは文章と同じで、スポーツ系アナは短文(ショートセンテンス)が相応しい。ハードボイルドの文体がいい。しかし彼奴は「あれがこうしてだからそうなってこうしたけれどこうなんですよね」とダラダラと喋り続ける。同僚や社員達は彼に注意、アドバイスをしないんだろうか。かくしてフジテレビのサッカー中継は「音量オフ」で観るにことになる。視聴者無視で自己中心アナ中継は、沖縄民意を完全無視して、自分たちの考えでだけで〝粛々とやる〟現内閣に似ていなくもない。
脱線ついでに今のテレビは、おそらく芸能プロダクション頼みではなく局内スタッフのアイデアが冴える「テレビ東京」と、マイナー過ぎてアナーキーだったり、えらく洒落た番組があったりの「TOKYO MX」が面白い。放送法で縛られて反発する気概もなく体制のポチ化したテレビ(しかも最近の報道系番組のフリーアナウンサーはフィクサー系事務所の所属が多い)、芸人の舞台と化したテレビ、さらに通販CMに占拠されたテレビに辟易したら、書籍を含めた活字媒体に注目かつ奮闘を応援しに「さぁ、本屋に行こうっと」。
東電とレンガ高架橋の狭間で [政経お勉強]
自転車で新橋辺りを走っていたら、ガードマン(警官?)らが厳しく警護する建物があった。何だろう。「東京電力本社」だった。日本列島に人が住めない汚染地域を作った。そして同本社裏に古色蒼然「レンガアーチ高架橋」が有楽町~東京駅へ続いていた。
このレンガ高架橋は明治時代の竣工。関東大震災(大正12年)、東京大空襲(昭和19・20年)を経て今なお現役。「レンガアーチ高架橋」は中央線のお茶の水~神田~東京駅にもある。東北線や上越線、京浜東北線が秋葉原を経て東京駅へ。昔はここに「万世橋駅」があった。東京駅と同じ辰野金吾設計。そして今日(3月14日)は「上野東京ライン」の開業。上野を経て東電本社裏・新橋辺りの「アーチ高架橋」の上を疾走して行く。
レンガ建造物を見ると明治・大正を振り返らずにはいられない。明治維新からの「富国強兵」で日本は大帝国日本へ。日清戦争が明治29・30年(1894~95)で、日露戦争が明治37・38年(1904~5)。そして東京駅周辺の「レンガアーチ高架橋」竣工が明治42・43年(1909~10)。大正3年(1914)に東京駅開業。さらに続ければ昭和6年(1931)に満州事変。昭和16年(1941)、太平洋戦争に突入。
今回は右派系リーダーの一人だろう渡部昇一の本を読んでみる。~日本は石油を止められで開戦に踏み切った。米国に戻ったマッカーサーは「日本は原料供給を断たれて戦争に踏み込んだ。(侵略ではなく)自衛のためだった」と言った。ゆえに占領軍の「軍事裁判」は間違いで、靖国参拝が問題になろうはずがなく、むしろ宗教干渉だ。占領軍が作った憲法もおかしい。まして日本の今までの平和は憲法第九条のお蔭ではなく、米国の軍事力の傘の下でこそ。(渡部氏の本は多数あるも、同じ事ばかりが書かれている)
そうした理論?の影響だろうか、「さぁ、今こそ〝戦後レジームからの脱却〟。あの頃の〝美しい日本〟を取り戻せ」と叫ぶ政治家がいる。隣国は異常な高予算で軍備増強しまくっている。米国に頼るばかりではなく日本も自立して軍隊・軍備の抑止力を持つ。憲法改定と集団的自衛権の行使。軍備増強。そして資源に困らぬよう原子力発展を怠らぬ、抑止力になるなら核も開発しようと言っている。
自由民主党の衆参議員409名のうち289名が右翼系組織「神道政治連盟」と「日本会議」の国会議員懇談会メンバーとか。あの〝美しい国へ〟ってぇのは「日本会議」の惹句にあり。江戸好きのあたしは〝美しい国=江戸〟と思っていたが、列強国を目指していた日本のことらしい。そうした考えの頂点に立つのが現内閣。絶対多数でやりたい放題。国会でも平気で自衛隊を「我が軍」と言っている。異議を唱える人には完全無視。場合によっては会おうともしない。あたしは「東電」と「レンガアーチ高架橋」の間に挟まれて、しばし動けなくなってしまった。
7)暴走する日本 [政経お勉強]
古賀茂明著『国家の暴走』(2014年9月刊)に、このような記述あり。~安倍総理は自ら積極的に広報戦略に関わっている。新聞社やテレビ局の社長や幹部との夜の会合だ。公邸に呼んだり電話をしたりで、マスコミ幹部に直接働きかける。「安倍さんから電話だ」と聞こえよがしに口にする人もいて、こうした傾向はテレビ局に強い。
フフッ、この手は、あの猪瀬知事もよく使ってい、その姿をよくテレビに映させていた。バカだねぇ。テレビが体制に弱いのは「電波法・放送法」ゆえか。昨今のテレビは、確かに体制批判が少なくなった。あたしらが若い時分は「安保」をはじめ、マスコミは体制批判が当然だったが、その〝当たり前〟が消えつつある。2月10日に「政権批判自粛にノー」と作家ら2700人賛同の声明が発表されたが、これまたテレビ報道はなかったような。
一方、逆に出版社(特に中小)は元気がいい。インターネットはより活発だ。フェイスブックなどではなく、しっかり取材、書き込まれたサイトはなかなか読ませる。またネット検索だと瞬時にいろんなこともわかる。例えば安倍お坊ちゃま総理の側近(スタッフ)の世耕官房副長官の奥様は民主党参議院議員と知って腰を抜かした。公開年間所得は4780万円。これには交通通信宿泊費やらの年間1200万円や記載漏れの献金なども多かろうから、夫妻でザッと1億円は血税を得ているかも、ということが一瞬でわかる。
今まで選挙(投票)は欠かさぬも、政治(家)への関心薄く、初めてその世界に覗き込んでみれば、まぁ驚きの世界なんですねぇ。自分には政治に関する取材力皆無ゆえ深入りはできないが、せっかく読んだ上記書の一部を図式化でまとめてみた。
同書は2014年秋の刊だが、例の事件で日本は「有志連合」入りし、2月10日には「ODA大綱」改め「開発協力大綱」が閣議決定されて、他国軍隊への援助が可能になるとか。昨日の国会中継では「日本版CIAを早く創りましょう」とやり合っていた。氏の戦争への「13の矢」はあと5つで「積極的平和主義=軍事的影響力をもっての平和」、「日本を取り戻す=戦前の日本=覇権主義=戦争ばかりしていた明治~昭和初期」の「美しい日本」が実現する。
氏の予測がこれ以上当たらないことを祈ってやまない。なお氏は最終章で「改革はするが戦争はしない政党」が誕生することを切望していた。同書刊で、氏への締め付けはさらに強くなりそうだが見守って行きたい。
6)格差への道 [政経お勉強]
政経お勉強5)を記した後にパソコン不調で、図書館の書棚をブラブラと廻った。2006年刊の橘木俊詔著『格差社会』(岩波新書)があり、2008年刊の中谷巌著『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社)があった。目下のベストセラー、水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』に書かれたことは、すでに6、7年も前から指摘されていることを知った。しかも中谷著には今話題の「トーマス・ピカティ(まま)」指摘点も紹介されていた。★なお、今日8日の東京新聞は「ピケティ特集」の感。見開き頁で独占インタビュー。「社説」も「時代を読む」もピケティがらみ。
さて、ピケティ氏来日で、民主党が格差是正の必要を問えば、お坊ちゃん総理は「まず成長」と突っぱねたそうな。2月3日のBSフジ「プライムニュース」でも自民党側出席者が「まずパイを大きくしなければ格差是正もできないでしょう」と言っていた。
アベノミクスはパイを大きくして、三角錐に組んだワイングラスのトップに水を注げば下も満ちよう=トリクルダウン理論だが、今朝の新聞でピケティ氏は「トリクルダウンの理論が実現した例は過去にありません」と発言していた。パイを大きくする=成長至上主義。コレが格差をいかに拡大したかをお勉強してみる。
武田晴人著『脱・成長神話』(朝日新書)の冒頭に、こんな記述があって驚かされたい。「経済成長という言葉、概念が使われだしたのは、せいぜい60年くらい前からのこと」。ウヘッ、50年代半ばってこと。経済白書で「もはや戦後ではない」と記されたのは1956年(昭和31年)。テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器が普及した神武景気の頃らしい。
また同書は、1961年からの「国民所得倍増計画」は文字通り〝国民みんなの所得倍増〟で、完全雇用で格差是正を目指した。その結果が「国民総中流層」の実現に至る。中谷巌著には自身の69年からのハーバード大留学時の米国中流階級による「よきアメリカ」に感動したとの述懐が記されていた。
中谷巌氏はその影響もあったか、アメリカ流の急先鋒として行政にもタッチしたが、その後のアメリカの荒廃に、自らの考えを懺悔・転向の自戒を込めて同書を執筆したと告白している。「よきアメリカ」がなぜ崩壊したか。「新自由主義=構造改革」と「グローバル資本主義」が「危険思想」だったとさえ記している。それは〝パンドラの箱〟を開けたようなものだったと懺悔する。
新自由主義は規制を撤廃してマーケットの自由な動きで経済を活発化しようという「レーガノミックス」を生んだ、慾の開放。共同体価値を無視し〝より多く儲けた者=勝ち組〟になる。この「構造改革」が日本に入ってきて「小泉構造改革=聖域なき改革」。米国で起こったと同じ現象が日本でも起きた。雇用規制の開放で派遣社員が増えた。そこに「IT技術と金融グローバル化」。生産工場は海外に出て行けばリストラが。地球環境も食品汚染も一気に世界規模で拡大した。(上図の「レーガンミックス」は「レーガノミックス」に訂正。クリック拡大でどうぞ)
そして同著をはじめ多くの経済書には、OECD(経済協力開発機構)の所得分配調査が紹介されている。日本は先進国のうちで三組分けの最下位「不平等性の高い国」に括れ、OECDの平均所得の50%以下を貧困者と定義した貧困率調査で、日本第5位が紹介されている。メキシコ、トルコ、アイルランドを抜いた先進国ではアメリカに次ぐ貧困率2位。あぁ、我が日本の現状はこの有様、なにが経済大国だ。なにが平等だ。(2012年データでは、日本は堂々の4位になっていた)。
あたしは日々テレビに流れる1億円余の資産を有した閣僚らの姿を見つつ、あぁ、これじゃ日本は良くならねぇなぁと思ってしまった。彼らは本当に正しく?税金を払っているのだろうか。誤解なきように言っておくが、あたしは如何なる政党員でもなく、ただの隠居。なお中谷巌の同著内容については「松岡正剛の千夜千冊」に詳しく紹介されていた。
5)ゼロ成長で豊かに生きる [政経お勉強]
人生初「政経お勉強」を始めると、眼を止めるテレビも違ってくる。早起きのあたしはBSジャパンの朝「Newsモーニングサテライト」に見入った。東京・NYを結んで円高、株高、格差、量的緩和、アベノミクス、物価指数などの言葉が飛び交う。「テレビ東京」系は日本経済新聞社系ゆえ経済に特化した「日経朝とく」「日経プラス10」「ワールドビジネスサテライト」等が特徴。
本も水野和夫著だけではマズかろうと紀伊国屋書店へ。まぁ、新書コーナーは経済書で盛り上がっていた。『税金を払わない巨大企業』なる新書腰巻にはソフトバンク0.006%、ユニクロ6.92%の大活字。アベノミクス批判書も多い。
テレビは系列新聞社の色付き、体制へつらい、ジャーナリズム欠如、芸人頼り、韓国ドラマなど情けない媒体になって久しく、観たくない番組が多い。加えて公共電波利用による「放送法」(政治的に公平であることなど)のシバリもあろう。比して出版社は誠に自由闊達の感がした。あたしは古本、図書館派だが、たまには新刊書店を覗くもいいかなと思った。
平積みから、内容はわからぬが題名から佐伯啓思著『「アメリカニズム」の終焉』、武田晴人著『脱・成長神話』、小幡績著『円高・デフレが日本を救う』を購った。オォ!これは経済分野外だが橋下徹・猪瀬直樹・石原慎太郎(当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、今は羽抜鳥の感)らが結託した攻撃で筆を折った佐野眞一〝復活〟の書『ノンフィクションは死なない』があって思わず入手し、最初に読了なり。
さて、水野和夫著のまとめに入る。第三章からは資本主義終焉後の考察。いち早く資本主義の限界に突き当たり、経済的需要飽和点に達した日本こそ、新システム構築のポテンシャルがあると指摘していた。
先進国はもう「無限」がない事を知ったのだから「より速く、より遠く、より合理的」から「よりゆっくり、より近く、より曖昧に」で、そこに幸せを見出す新システムを創ったらいいだろう。まずは「脱成長」へソフト・ランディングしよう。
その先は「ゼロ成長=定常状態」だろう。例えば自動車なら乗り潰してから買い換える=一定台数で推移する社会。だが日本はすでに一千兆円余の借金がある。ゼロ成長だって至難。気を抜けばマイナス成長になる。今のまま成長を夢見るアベノミクスでは危機が加速、破綻も拡大されるだけだろう。同書はそんな警告で終わっていた。
同書を読み終えたところで、かかぁの声。「おまいさん、ペットボトルのお茶が115円のところ、今日だけ87円だってさぁ。持てるだけ買って来ておくれよ」「よっしゃ」。ふん、あたしなんかとうにゼロ成長で生きているんだがなぁ、と呟きつつスーパーへ向かった。
写真は2月3日の新宿・花園神社の節分祭追儺式(ついなしき)。旧暦の大晦日。立春の前日。有名人・芸人なしで宮司さんと鬼の問答に恵比寿様、大黒様も登場。「豆打ちてゼロ成長の豊か哉」
4)資本主義の終焉は民主主義をも~ [政経お勉強]
2月1日「東京新聞」に「ピケティ氏、本紙と単独会見」速報。詳細は後日掲載とあったが核心一部が紹介されていた。氏は「日本の富裕層上位10%の富が、1960年代は全体の30%程度で、2010年は40%に上昇」。富の集中が進んでいると指摘。非正規労働者が全体の4割に拡大していることには「経済成長を阻止する」と懸念。また「人口減少は経済成長率を鈍化する」。親から遺産を引き継ぎ、家賃や配当を稼げる富裕層と、所得が伸び悩む中低所得層の不平等が広がる」と指摘したそうな。
日本の総理は、何故に親から遺産を引き継いだ元総理の子や孫で、かつ財閥裕福層のお坊ちゃま(麻生太郎、福田康夫。鳩山由紀夫、安倍晋三など)が就任するのだろうか。おっかしいなぁ~。
さておき、ここでは水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』より氏の資本主義史観による〝資本主義の変遷〟を自分流解釈でまとめてみる。①12~13世紀のイタリア・フレンツェで「資本家と利子」が登場。②16~17世紀にイギリスが海を越えて途上国の資産を搾取。この所有欲=資本の蒐集が欧州資本主義の理念。③自国工業力が優って自由主義、植民地主義を主張。④途上国が発展して自国を脅かせばIT技術と金融自由化のグローバリゼーションを推進。⑤蒐集する周辺(国、地域、人々)がなくなってきて資本主義が終焉へ。
加えて「蒐集」による破綻例をこうあげている。★「9・11」は米国金融帝国の「蒐集」に第三世界が反抗したもの。★リーマン・ショックは「電子・金融空間」でマネーを過剰「蒐集」しての自滅。★日本の原発事故はエネルギー「蒐集」で起きた事故。★欧州危機は独仏同盟による領土「蒐集」(ユーロ帝国)が招いた危機。「蒐集」が限界に達して資本主義の歴史が終焉に向かっていると説明。
水野著は、それが「民主主義をも破壊」するとも指摘している。「近代システムは中間層がいて、民主主義と資本主義が成立していたが、今日の貧富二極化による中間層減少で民主主義も成り立たなくなった」。「日本では1970年代に〝1億総中流〟が実現したが、中国で〝13億総中流〟が実現するとは思えない。富裕層と貧困層になれば階級闘争が激化し、中国共産党独裁体制も揺さぶられよう」。
また「富める者は、強引で独断になりがち」ともあった。今朝の新聞で野村総研調査の消費者アンケートが発表されていた。北海道ではアベノミクス「全く実感していない」「実感していない」計75.4%。関東では同計65.1%。別記事で「百貨店売上高4社前年割れ」、「1月新車販売前年比19.1%減」。「味の素が原料価格高騰と円安で輸入コスト上昇で値上げ」。アベノミクスによる異次元的量的金融緩和の大きなツケが、民主主義の行方がちょっと怖くなってきた。
3)富裕層1%が全資産半分を独占 [政経お勉強]
横井也有『鶉衣』を続けたいが、政経お勉強を始めると状況は刻々と変化して慌ただしい。その意では「江戸」は優しい。こちらが行くまで待ってくれよう。かくして「政経お勉強3)」に入る。
アベノミクス第一の矢は「量的金融緩和」の他に、GPIF(年金積立金管理運用独立法人)の日本株運用比率を12%から25%に引き上げた。政府は年金積立金で日本株を買わせた。外国投資家と年金積立金で株価17,000円台へ。日本は「禁じ手=大規模量的金融緩和=財政ファイナンス」をいつまで続けるのだろう。(ここは「山田順プライベートサイト」を参考。氏はブログ文の著作権を開放されてい、それは小生も同じ。勉強させていただいています)。
そう心配した1月23日、新聞に「欧州中銀が量的金融緩和」の大活字があった。3月から2016年9月までユーロ圏の政府発行国債を毎月約8兆円、総額150兆円買い込むらしい。ギリシャの債務超過に端を発したヨーロッパ不況だが、先日のギリシャ選挙では欧州連合(EU)主導の緊縮政策に異を唱える新首相が誕生。欧州の先行き不透明。
世界各国が不景気脱出に「量的金融緩和」だが、国債は国の借金。限度を越えれば国債暴落。国の財政崩壊。図式通りに参らぬ危ない綱渡りが続く。どうやら資本主義は行き詰まったらしい。
水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』には「リーマン・ショック後も3年に1度バブルは生成し、崩壊する」とあり、懲りない政治家の〝成長〟頼りで、繰り返されるバブル。その度に富裕層上位1%に富が集中。そしてバブル崩壊の度に公的資金で金融機関が救済され、その犠牲で中間層がリストラされて貧困層が増える、とあった。
そんな文を読んだ1月20日の新聞に、なんと「富裕層1%が世界資産の半分を所有」の大活字。これは国際非政府組織オックスファムが19日に発表したもの。2014年、富裕層上位1%の所有資産が全世界資産の48%を占めた。1%の人々の平均資産は約270万㌦(約3億1500万円)。上位80人の資産合計は222兆円。これは下位50%、約35億人を合わせた資産とほぼ同じ。「えらいこっちゃ。格差がこんなに広がっていたとは」。
ちなみに日産カルロス・ゴーン社長の年収は10億円。累計100億円。例えばこれで資産運用をしていれば想像できぬ金額に膨れ上がっているだろう。ネットで「役員報酬ランキング」を見ると、つくづくイヤになってしまう。なぜに格差はここまで拡大したか。
1月30日、格差拡大を論じた世界的ベストセラー『21世紀の資本』(みすず書房刊、分厚そうな本で5949円)の若い経済学者トマ・ピケティ氏が来日した。国会でさっそく「ピケティ氏論争」。格差是正を訴えた民主党に対し、安倍お坊ちゃんは〝まずは成長〟と突っぱねたらしい。(新聞報)
資本主義はどうしようないほどの格差を生み、終焉に向かっているらしい。老いたあたしは分厚い『21世紀の資本』を読み込む気力はないが、先日夜、眠れずにテレビをつけたらEテレでピケティ氏のパリ講義が放映中で見入ってしまった。富と資産の保有者の資産収益率(r)> 経済成長率(g)とか。しかも日本は4人に1人が高齢者で、6人に1人が貧困。当然ながら経済成長率は余りに微小だ。
2)量的緩和すれども [政経お勉強]
2回目は「デフレ」のお勉強。日本はバブル崩壊からずっと不景気。不景気=お金がまわらない=デフレ。倒産すれば株券は紙屑=「株安」。物価が下がれば逆にお金の価値は上がって=「円高」。この悪循環が「デフレスパイラル」。(図)
リーマン・ショックが平成20年(2008)。株急落で1ドルは90円台へ。この時期は福田内閣。次ぐ麻生内閣で株は最安値6,995円を記録。民主党時代も株価7,000円台。平成23年(2011)3.11東日本大震災後に管総理から野田総理になった9月に1ドル76円の円高記録。
政府は不景気脱出に「量的緩和」策を続けた。企業が融資を受け易く、設備投資をし易く、国民が貯蓄より消費活発になるように「低金利」へ。バブル崩壊後の平成13年(2001)から続けてきたが効果なし。金利調整の実際は日本銀行が行う。日銀サイトの「長・短プライムレート推移」を見た。「長プラ=1年以上」の金利推移は昭和50年(1975)は9.7%で、以後は6~8%を推移。バブル頂点が平成2年(1990)で翌年崩壊。ここから失われた20年の始まりで、平成9年(1996)になると2%台に下がった。だが「金利」下がれど、景気回復ならず。図式通りには参らぬ。「デフレスパイアル」からの脱出は相当に難しそうだ。
平成24年(2012)。安倍お坊ちゃま内閣が高らかに「アベノミクス・第一の矢」を放った。従来の「量的緩和」とは次元異なる超大規模展開。日銀・黒田総裁の名を冠して「黒田バズーカ砲」とか。第1弾は2年間で270兆円を投入。日銀がお金をジャブジャブ刷って「長期国債」を買う。この強制的「量的緩和」は市場メカニズムを捻じ曲げる禁じ手「財政ファイナンス」と言うそうな。アメリカは08年から470兆円の「量的緩和」を展開して昨年10月に「効果あった」で終了。だが日本では消費者の財布の紐はビクとも動かず、給与も上がらない。予定された消費税アップも先延ばし。
平成27年(2014)10月「黒田バズーカ砲第2弾」。年に80兆円投入らしい。10年国債は0.221%、5年物国債は金利低下で募集停止の「超低金利」、株価は目下17,000円台の「株高」、1ドル120円台の「円安」になったが、何故か庶民の財布は固い。給与上がらず。物価は上がる。格差拡大、派遣社員急増で結婚できぬ若者も多い。子供も産めない。老人は老後破綻に怯えている。
なぜ状況は良くならないのか。理由は経済音痴のあたしにも推測できる。株は上がったが、日本株の売買は6割が外人投資家らしい。ドル高になって円安。割安感で日本株がドッと買われたためだろう。消費者物価指数が2%に近づいたが、デフレから脱出できたワケじゃない。これは食品が値上げされるたびに、ナニナニの影響でと説明付きで報道され、そうした値上げラッシュが重なった結果じゃないのだろうか。
数日前のテレビで、黒田総裁が外国のなんだか会議に出席で「世界で最も孤独な総裁」と紹介されていた。「超大量金融緩和」をやるも第2・第3の矢の援助がなく梯子を外されたかわいそうな総裁とか。あのジャブジャブ刷ったお金で膨大に国債を買って「国債崩壊」にならぬのか。そして相変わらず我が暮らし楽にならず。
あちこちの資料より、こんな感じでまとめて(数字に間違いあるかも)みて、日本の現状がちょっと見えてきた。写真は記事に関係なく、昨日のベランダに積もった雪とメジロ。都会の雪はつかの間で溶けるが~。
1)十年国債金利0.221% [政経お勉強]
経済は恥ずかしながら全くわからない。税理士の手を離れ自ら確定申告をし始めた時に、理解出来ぬ経理言葉や合わぬ数字に発狂しそうになったこともある。さらに告白すれば数字が苦手。引き算なんかつい指を折りたくなる。〝完全な経済音痴〟のまま隠居になってしまった。ボケる前に多少の経済知識を得たいと思った。そこで手にしたのが水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』。満足に理解できなかったが、えらくスリリングな内容だった。
日本の総理が自分の名を冠した〝アベノミクス〟とやらを国内外で高らかに謳っている。自分の名を冠したその連呼、その口元を見ていると、なんだか〝幼稚性〟を感じてしまう。これも直観だが、例えば「福島第一原発の汚染水は港湾内で完全にブロックされている」とシラ~ッと演説した時も〝アベシンちゃんの幼児性〟だなと思ってしまった。〝アベノミクス〟とやらを信用していいのだろうか。
いまブログは横井也有『鶉衣』へ挑戦で〝頭の中は江戸時代〟だが、今年は併せて「アベノミクス」と『資本主義の終焉と歴史の危機』を軸に、初めての政経のお勉強をしてみようと思った。イヤ、お勉強というよりもボケ防止だな。隠居で有り余る時間を持ちながら、散財遊びもできぬ貧乏隠居の暇潰しです。
水野著はまず「利子率の低下は資本主義の死の兆候」と題した項に、こんなことを書いていた。「10年国債の利子率が2%を下回るということは、資本家が資本投資をして工場やオフィスビルをつくっても、満足できるリターンが得られなくなったことを意味する」。
本当かしら。ネット検索すれば財務省HPで国債金利情報が公開されていた。平成27年1月20日、10年国債は0.221%。「あんれまぁ~」。2%どころではなく大変な超低利じゃないか。1月22日の日経には「5年物国債、金利低下で募集中止。販売開始後初めて」なる活字も躍っていた。ふふっ、新聞の経済欄を初めて読んだ。
水野著は昨年3月の刊。出版時より約1年で事態はかくも悪化しているらしい。同著によれば〝もう完全に資本主義の終焉〟だろうが、東京には高成長の象徴かのような超高層ビルが次々に建っている。経済ってぇのは本当にわからない。どこかに「やまかし」が潜んでいる。(続く)
★この記事ではなく、昔のHPの「東京下町ことば」へのコメントを「kyokoさん」からいただきました。返信しますと<認証コードが一致しません>で、はねられちゃうんです。で、すいませんがここで返信です。コメントとリンクのご報告ありがとうございます。「おみおつけ」が志ん生で「おつけ」とは知りませんでした。勉強させていただきました。子供時分の下町ことばを思い出した後のあたしは、目下、江戸の文字を読みたく「くずし字」勉強中で「江戸の本」を少しづつ読み始めています。
★迂闊にも気付くのが遅くすみませんでした。野鳥を撮られ、テニス趣味のkaikuuさんのサイト「あっちも・こっちも」が弊ブログを紹介して下さっていました。小生も左枠「読んでいるブログ」にリンクを張らせていただきました。ありがとうございます。