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荷風記す南畝の也有ウズラかな [永井荷風関連]

 ブログ更新せぬも、日々六百程の頁ビュー有り。昨日、二年も前の<揃い踏む南畝荷風のウズラかな>が読まれていて、ちょっとうれしかった。横井也有翁の俳文「鶉衣」を、大田南畝が編・刊していて(共に江戸時代の話)、これを南畝好き荷風さんが言及せぬわけがないと書いた。ネット調べをしたら、それなりに荷風文の引用紹介があるも、どれも出典が記されていない。孫引きなのか。全集を調べたら「雨瀟瀟(しょうしょう)」の中程にあった。その二年前のブログで「その部分を後日に引用紹介する」と記したままだったので、二年越しになったが、改めて無学の私流に( )にひらがな、意味を加えて引用紹介です。

 まずその前に「雨瀟瀟」についてと、以下文に至る経緯を紹介。・・・同作は荷風四十二歳正月脱稿。荷風さんは渡米時代の旧友で、今は某社取締役の彩牋堂なる戯号を有するヨウさんと親交を深めていた。ヨウさんが木挽町で薗八節を習っていて、荷風も共に通い出していた。ヨウさんは色気ではなく、芸を仕込むのも道楽と十九の芸者「小半」を囲った。妾宅の土地探しや普請にも立ち会った荷風さんは、その新築完成祝に「彩牋堂の記」を書くことを引き受けた。それを書こうと思ったのも、平素「鶉衣」の名文を慕う余りに出たもの・・・と也有「鶉衣」の素晴らしさを記したのが以下の文。 

 ・・・鶉衣に収拾せられた也有(横井)の文は既に蜀山人(大田南畝)の嘆賞措(お)かざりし處今更後人の推賞を俟(ま)つに及ばぬものであるが、わたしは反復朗讀する毎に案(机の意だろう)を拍(う)つて此文こそ日本の文明滅びざるかぎり日本の言語に漢字の用あるかぎり千年の後と雖(いえど)も必ず日本文の模範となるべきものとなすのである。其の故(わけ)は何かといふに鶉衣の思想文章ほど複雑にして薀蓄(うんちく)深く典故(てんこ:故事)によるもの多きはない。其れにも係はらず読過(読破)其調(そのしらべ)の清明流暢なる實にわが古今の文學中その類例を見ざるもの。和漢古典のあらゆる文辭(文書の言葉)は鶉衣を織成す緯(い:横糸)と成り元禄以後の俗體はその經(けい:縦糸)をなしこれを彩るに也有一家の文藻(文才)と獨自の奇才とを以(もつ)てす。渾成(一つにまとめあげること)完璧の語こゝに至るを得て始て許さるべきものであろう。


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