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関口夏央「子規、最後の八年」 [読書・言葉備忘録]

sikibon1_1.jpg 「上質紙80㎏?」 それほどに厚い本文紙。頁をめくると数頁まとめてめくったかと思うが、それで1頁の、かくも「重厚」な本だった。子規最期の8年を描いているが、読み始めは登場人物らの説明が過去に飛んで時系列が複雑で、いささか読むのに難儀した。それでも中盤から終盤にかけて子規の病魔との闘い、子規をとりまく人間模様が伝わってきた。併せて高浜虚子著「回想 子規・漱石」、子規の「仰臥漫録」を読んでいたので、「あぁ、ここもあそこも引用で・・・」と出典探しも面白かった。

 膝を打った個所がひとつあった。子規の元に山本露葉が訪ねてくる。著者は露葉の子の一人が山本夏彦で、彼が74歳で書いた「夢想庵物語」の一文を紹介する。「父(露葉)は句を吟じ、歌を詠んだ。母も歌を詠んだ。それは芸術ではなかった。たしなみであった」。引用はさらに続く。「いったい私たちが歌をよむことを忘れたのはいつごろからだろうか。子規が歌を芸術にしてしまって以来で、それまであれは風流だった、遊びだった、文化だったと私はいまだに残念に思っている」

 同文引用後に、著者はこう書いている。「山本夏彦一流のけれん味を宿した言い分だが、こういいたい人もあるのだということは、記憶しておいてよい」

 いや、あたしは子規の歌や句、虚子の句も「芸術」とはとても思えぬ。あたしの母も叔母も、老いてから歌を詠んでいた。あたしも老いた今、俳句を風流で、たしなみで、慰みで、遊んでいる。俳人じゃないから句集を読み漁ったりはせぬ無知領域のあたしだが、句に狂気した杉田久女の一時期の句には「ある種の気」が漂っていて、こりゃ別格かなと思うが、そんな句は滅多にない。


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