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佐伯祐三4:画友著『素顔の佐伯祐三』 [スケッチ・美術系]

uzosaheki1_1.jpg 佐伯祐三関連書5冊目。やっとまとも?な評伝書に会った。山田新一著『素顔の佐伯祐三』(昭和55年、中央公論美術出版刊)。山田は佐伯と同じく上京して東京美術学校を目指して春日町・川端画学校でデッサンの日々からの画友。

 画学生ならではの思い出の数々を回想。そこになんと!大石七分との交流があって驚いた。小生は佐藤春夫邸の設計者として「大石七分」の横顔を探ったことあり。また「大逆事件(幸徳秋水)」関連書も読み漁った。紀州新宮の医師・大石誠之助や菅野スガら12名が処刑、無期刑で獄死5名。誠之助の東京連行に、甥兄弟で米国帰りの西村伊作(後に文化学院創設)と大石七分がバイクで追った。

 同書には、大石七分がその時の赤いバイク「インディアン」を駆って、本郷・菊富士ホテルから川端画学校に通ってい、著者・山田も菊富士ホテルを訪ねたりの交流が語られていた。(註:同書には書かれていないが、大石七分は大杉栄(+伊藤野枝)に誘われて、彼らの隣の部屋に入った)。他に今東光をはじめ後に名を成す多くの青年群像とのまばゆいばかりの青春。(先日、上野で「二科百年展」を観たが、西村伊作の大正2年・第二回出品作「新宮風景」があって驚いた)

 山田・佐伯共に東京美術学校入学。スケッチ旅行のエピソード、米子との恋愛・結婚。佐伯の凝り性、ヴァイオリンの練習・合奏。下落合アトリエ完成後の画友動員での増築作業、はしゃいだクリスマスイブ。卒業後の大正12年9月に関東大震災。16日に甘粕正彦による大杉一家虐殺。その11月に佐伯一家はフランスに旅立った。

 著者・山田は父のいる満州で中学校美術教師。以後の佐伯の様子は画友らの執筆原稿から考察。2年3か月振りに佐伯一家帰国。パリで未燃焼分を埋めようと下落合風景36点を1ヵ月余で書きなぐる。パリの石造りに比す日本風景にもがく佐伯。二科展に19点特別陳列で、夫婦揃って入賞。昭和2年夏、佐伯一家は再びパリへ。今度はシベリア鉄道経由。京城在住の山田宅でしばし休息してパリに向かった。(続く)

 同書に佐伯のスケッチの様子が紹介されていた。概ねこんな感じ。「穂先の固まった筆でたたきつけ、汚れた手を衣服になすりつけ、チューブの蓋はせずに箱へ放り込む。イーゼルも箱も汚れ、彼の立ってゐる地面も絵具で汚れる。ホテル主人は気狂沙汰だと言った」。油彩ならではの描き方だろうから、そんな真似はできぬゆえ、不透明水彩で5分程で再び佐伯アトリエを早描きしてみた。


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