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日本語(9)儒教批判と和歌文学の本居宣長 [くずし字入門]

motoori2.jpg_1.jpg 小池著のⅣ章「日本語の音韻の発見 本居宣長」を読む。本居宣長(もとおりのりなが)。江戸中期の国学者。内科・小児科医。35年を費やした『古事記伝』、「源氏物語」の注解『玉の小櫛』、歌論など多数。外来の儒教を批判して和歌文学(もののあわれ、恋愛歌)、古道、神道論、近代考証学を追及。また五十音図など日本語の音韻を明確化した。小林秀雄、丸谷才一らが『本居宣長』論を著わしている。

 著者はまず「母音・子音」の歴史から説明している。小野篁が拒否した最後の遣唐使(承和5年・838)に、最澄に師事の44歳円仁(えんにん)がいた。唐滞在9年。真言(密教の呪術的語句)の正確な発音を求めてインドの発音(サンスクリット語=梵字)の発音一覧表「悉曇章」を請来し、『在唐記』を刊。仏典など計423部・559刊を書写。その波乱万丈の旅日記『入唐求法巡礼記』は日本初の本格旅行記。中公文庫、東洋文庫あり。他に講談社学術文庫は元米国駐日大使ライシャワー氏の著作。(本居宣長、円仁のお勉強が新たな宿題になってきた)

 なお山口著には、空海が請来した悉曇学書は『悉曇章』『大悉曇章』『羅什悉曇草』『瞻波城悉曇章』『七曇字記』『悉曇釈』で、サンスクリット語から日本語になった「ulambane=盂蘭盆」「stupa=卒塔婆」などの例を紹介していた。写真下は『悉曇字記』例。これは梵字を漢字翻訳した音訳書で、喉声(唇音)は5字。この梵字は「波(ハ)」と発音すると記されている。

sittanjiki.jpg_1.jpg 唐末~五代の頃の『韻鏡』に、横軸に声母(日本の子音)、縦軸に韻母(日本語の母音)で構成した図表があり、ここから平安時代に母音5字×子音10字の日本語50音図が考案された。日本に現存する最古の「五十音図」は11世紀初期に経典の読み解き方を伝える附録に「ア行・ナ行なし」の『孔雀経音義』もあったと説明。

 そして慶長9年(1604)にジャアン・ロドリゲス(ポルトガル出身イエズス会宣教師)著の『日本大文典』が、ローマ字50音図で「あいうゑを」を発表。それらを訂正したのが元禄6年(1693)の契沖『和字正濫抄』で「安(あ)・以(い)・宇(う)・江(え)・遠(を)」を発表。この頃に初めて「五十音図」なる言葉が使われたと説明。

 そして安永5年(1776)に本居宣長が『文音仮名字用格(もじごゑのかなつかい)』で「お=ア行」「を=ワ行」とし、「いろは47字」を定めたと説明。宣長は他に『てにをは紐鏡』や特殊仮名遣いの『上代特殊仮名遣』も著わし、現代に通じる音韻を確立したと説明。隠居の頭では理解も大変だが「くずし字」に親しむには、こんな歴史も知っておきたい。このシリーズは次回で終了です。

 カットは「肖像(野村文紹著)」より本居宣長。カット下は『悉曇字記』より波(ハ)の説明頁。

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