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「東都新聞」と「東都ジャーナル」 [政経お勉強]

myback1.jpg 上記タイトルからお気づきの方も多いだろうが、映画『新聞記者』主人公・吉岡は「東都新聞」で、川本三郎原作の映画『マイ・バック・ページ」主人公・沢田は「週刊東都~東都ジャーナル」。

 映画は同じ〝東都〟だが、前者モデルは「東京新聞」で、後者は「週刊朝日~朝日ジャーナル」。6月28日公開『新聞記者』から約1週間後7月7日にBS日テレが2011年公開の『マイ・バック・ページ』(以下『マイ~』)を放映した(頭のいい編成がいるらしい)。

 映画『マイ~』は映画や町歩きの随筆、また永井荷風テーマはじめの幾作で文学書を受賞の川本三郎が、1971年の赤衛軍を名乗るグループによる自衛官殺害の際の血痕付き腕章などの所持から「証拠隠滅」で逮捕。同社を懲戒免職された15年後に、その経緯を記した同題書の映画化。

 ここでは著者の〝問題点〟を再考せぬが、〝東都〟両映画から45年の時代の変わりようにも気付かされた。川本三郎は小生と同年代だろう。60年安保は16歳で、70年安保は26歳で社会人。学生運動の狭間世代。小生は付属高校入学時に、大学生らが物騒(危険)なプラカードを作っているのを見た。70年直前には新宿西口フォーク集団や東口のフーテン族を縫って新社会人として通勤していた。当該世代は傷を負い、狭間世代が口を挟めば揶揄される。

warudakumi_1.jpg 映画『マイ~』には、当時の荒れた世情や若者の熱気が満ち、ザワザワとした手触りが満ちていた。一方の映画『新聞記者』画面には妙なクール感が流れていた。内閣情報調査室(内調)場面の灰色プラスチック壁の中で、大勢の内調スタッフらが黙々とパソコンに〝悪だくみ〟を打ち込む光景にゾッとする恐怖感があった。

 45年を経ると同じ<新聞・雑誌&政治>の世界は、かくも変化している。ならば今から数十年後は、当然ながら戦前の傀儡のような政治家らの姿や影響のない、「ビッグデータ~AI(アーティフィシャル・インテリジェンス)」による未来予測、政策立案、効果的施策の時代になっているのかも知れないと思った。何かと問題が多く、金食い虫の〝国会議員〟はもういらない時代がきてもいい。

 川本三郎の妻は、彼が懲戒免職された際に「私は朝日新聞と結婚したワケじゃないから~」と彼を励ましたとか。彼女は2008年没で、川本三郎は2012年刊『いまも、君を想う』で荷風句「持てあます西瓜ひとつやひとり者」をもじって「持てあます野良猫二匹やひとり者」と書き出した。その最終章では「公園墓地と言う霊園で亡き妻を思いひとり弁当を食う」と詠った。

 時代も、人も、街の姿も変わり、「中立」は絶えず変化し、テクノロジーは驚異的変化・普及している。そのなかで誰もがどう生きるかを問いつつ生きて、あたしもソロソロでございます。

 時の流れは早く、人々はもう「モリカケ問題」があったことなど、すっかり忘れているらしい。森功原作『悪だくみ』なる映画が製れたら、『新聞記者』より遥かに凄い映画が出来るに間違いない。話題の人物が多いゆえオールスター出演。2時間余の超大作になりそう。小生は単行本で読んだが、今年6月6日に「文春文庫」刊らしい。

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