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港区の超高層ビル群彷徨 [新宿発ポタリング]

grantower1_1.jpg 7月中旬、久し振りに自転車を駆った(脊柱狭窄症と診断され、自転車の長時間凸凹道の影響と自己判断して、運動をウォーキングに切り替えている)。さて、どこを走りましょうか。

 一時期「お雇い外国人」らが眠る「青山墓地」へ通ったことを思い出し、まずは新宿~神宮銀杏並木~青山墓地へ。ここから道に迷って、ふと見上げるとガラス壁に三角錐が張り付いているような「六本木グランドタワー」が見えた。「よし、遠望ではなく間近で見てみよう」。

 六本木通りを「寄席坂」(坂途中に明治~大正期に寄席・福井亭があった)から「なだれ坂」(昔に土崩れがあった)へ。その坂沿いに同ビルが建っていた。下から見上げると、遠望で感じるほどに三角錐は出っ張っていない。眼の錯覚が計算されているようだ。3年前の2016年に竣工。先日、仮想通貨35億円流出のニュースで同ビル映像が流されていた。該当企業が入居しているらしい。

 同坂沿いに古い民家が1軒取り残されて、昭和初期風景の面影が残っていた。昔、荷風さんは麻布通りの向こう側「偏奇館」から、寄席坂の上辺り「丹波谷」の窪地にあった秘密めいた家で、十円で女を抱いた。今は同ビル地下で麻布通り向こう地下鉄「六本木1丁目」や「泉ガーデン」とつながっている。

grantower2_1.jpg 昔からずっと赤坂にあった「日本コロムビア」が六本木1丁目に移転した際は、仕事ついでに隣の「泉ガーデン」泉通り側玄関の植え込みにある「偏奇館跡碑」を幾度か眼にし、荷風さんがいた時代に思いを馳せたもの。荷風さんは「偏奇館」勝手口に蛇が出ると記していた。川本三郎は『荷風と東京』で偏奇館跡付近を歩いていた際に、そこから坂を下る「御組坂」で大きな蛇がゆっくりと坂道を横切っていたと記していた。

 もう蛇は見なかったが「御組坂」を下ると、正面が「アークヒルズ仙台山森タワー」(2012年竣工の47階建て)。同ビルを見上げて振り向くと、背後の小さなビル「泉ガーデンANNEX」で「ポニーキャニオン」社屋があって腰を抜かすほど驚いた。しかも同社ロゴマークも変わっていた。今年4月頃に虎ノ門3丁目から移転したらしい。

 小生がPC社の仕事をしていたのは、同社社屋が浜松町・世界貿易センター、九段の一口坂やNPビル、中央区入船時代まで。その後に虎ノ門3丁目へ移転したらしい。同社全盛期は九段時代と思っていpc_1.jpgるが、そこから流転。無理もない。音楽は陳列商品商売からデジタルへ。そして六本木1丁目にあった「日本コロムビア」は、逆に虎ノ門3丁目に移転らしい。かく街の姿の激変に併せて、仮想通貨やIT(情報技術)系、AI(人工知能)系企業が躍進して産業構造も変わっているのだろう。

 六本木1丁目彷徨を終えて「そうだ海を見に行こう」で「竹芝桟橋」まで走ったが、その帰路で「ソニーミュージック・市ヶ谷ビル」が「武蔵美大・市ヶ谷キャンパス」になっていた。

 「偏奇館」が東京大空襲で紅蓮の炎に崩れるさまの荷風記述が鮮やかに脳裏に残るも、今の港区はこの5年ほどで超高層ビル乱立(70棟ほど)。ちょっと前のことが〝遠く・遠ぉ~い過去〟になっていた。

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