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吉良殿は三百余年耐え続け [新宿発ポタリング]

kira_1.jpg ♪~時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓~ 今日は忠臣蔵は討ち入りの日(西暦では1703年1月30日)。写真は両国3丁目(本所松坂町)の吉良邸内の吉良上野介像。事件は今から309年前のこと。まぁ、こんなに永いこと、イヤな奴と思われ続けた人物はいないだろう・・・。

 忠臣蔵云々はここまで。4日前に自宅・大久保から川向こうは江東区・清澄公園まで自転車で走った。行きはほぼ下り坂。同じく吉良邸のある本所までも下り坂。ポタリングで何が楽しいっかてぇと「下り坂」だ。寒風ん中とは言え、山の手から下町へのポタリングは楽しくて鼻歌も出る。写真下は「NAVITIME」自転車ルートによる大久保~両国間の標高図表。

navi_1.jpg 比して♪~行きは良い良い帰りは怖い~。当初は帰り道でへばったが、今は脚力がついて、まあぁ力強く帰還できるようになった。ってことは江戸時代の下町暮しと山の手暮しでは、脚力に違いがあったような。岡っ引きが遺体の足をさすって「親分、こいつぁ下町の人間じゃねぇな。この大腿筋は坂の多い山の手の人間だ」な~んて言ったかも。そう云えば、山の手でよく見る電動ママチャリも、下町では余り見ぬ。あれは坂の多い山の手用の自転車なんだ。

★吉良上野介から噺はとんだところに飛んだ。書き出してみないと何処に行くかわからゆえ、駄文は行方定めぬポタリングに似ている。それが面白いからブログを続けているような気がする。


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