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草の戸もプレハブ寒し芭蕉かな [おくのほそ道]

basyo1_1.jpg 隅田川と小名木川の合流地に「芭蕉庵跡」があるが、ここから南、清澄通りの仙台堀川に架かる海辺橋際の「採茶(さいと)庵」跡に、この芭蕉像があった。

 芭蕉は「芭蕉庵」を引き払い、杉山杉風(さんぷう)の「採茶庵」にしばし逗留してから「おくのほそ道」に旅立った。まずはここから舟で隅田川に出て千住に向かった。この「採茶庵」跡だが、江東区は予算がなかったか、哀しいことにプレハブ小屋で、その縁側に旅立とうとする芭蕉がいた。

 「おくのほそ道」第一句は<草の戸も住替(かは)る代(よ)ぞひなの家>。 これは引き払った「芭蕉庵」を訪ねると、もう代は替わって、女の子がいる家なのだろう、お雛様を飾った家になっていた」という句。死をも覚悟した旅に出る芭蕉の覚悟が込められた句。最初は「世や」だったが、後に「代ぞ」と強調されたとか。さぁ、この第1句をひねって<草の戸もプレハブ寒し芭蕉かな> 

 寝起きがしらの駄句のレベルを少しでも上げるべく「おくのほそ道」の句(5、60句)をなぞり弄る遊びを今日から始めてみた。果たしてどこまで続けられるか・・・。(主な参考書は小学館刊・日本古典文学全集「松尾芭蕉集」、岩波文庫「芭蕉おくのほそ道」付曾良旅日記、奥細道管菰抄ほか)


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