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伊佐沼やクロツラヘラが抜けた跡 [おくのほそ道]

isanuma_1.jpg 昨日、久々に小チャリ(AL-FDB14)輪行。副都心線・東新宿から川越下車、ここから自転車で伊佐沼へ。鳥撮りなら「はぁ~ん」と推察通り、まだ居るという稀少種クロツラヘラサギ狙い。だが目当てのサギは居ず、改修工事で底泥をさらした無粋な池が広がるだけだった。

 <伊佐沼やクロツラヘラが抜けた跡>と口遊んだら、やっ、どこかで聞いたような・・・。句の構成が「おくのほそ道」の<夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡>似なのだ。芭蕉の歩いた順に句を辿ってみようと思ったが、輪行ついでに一気に平泉まで飛ぶ。

 芭蕉が松島~石巻を経て平泉に着いたのは6月末。兄・頼朝の追討から義経が奥州藤原秀衡(ひでひら)を頼って高舘(たかだち)に居を構えたが、その高舘から眼下の古戦場跡を眺め、藤原三代の栄華も一睡の夢か。芭蕉さん「国破れて山河あり・・・」と涙を落し侍りつつ詠った句。

 ちょっと前まで世界に数千個体という超希少種クロツラヘラサギがいて、連日百名を超える鳥撮り爺さんたちがプロカメラマンも滅多に所有せぬ百万円余の超望遠レンズを並べて競い撮っていた光景が展開されていたそうだが、今はそれも一時の夢と化し、ただ池底の泥を晒した無粋な池が味気なく広がるばかり・・・。

 芭蕉はそのあと金色堂へ向かったが、あたしは輪行記念に池脇に見向きもされず朽ちかけた薬師神社で小チャリを撮っただけでカメラを仕舞い、準急電車で新宿三丁目まで帰ってきた。かかぁが言った。「フン、撮れなかったのかい。電車賃ソンしちゃったね」「でも、小チャリ輪行、楽しかったぜ」と負け惜しみ。粘ってでもいい写真を撮るつもりで買ったコンビニおにぎりを家で食いつつ、歴史の本を開いた。義経が亡くなり、平泉が落ち、頼朝が念願の征夷大将軍になって1192年に鎌倉幕府。


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