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20:武蔵野紀行‐「な~そ」のお勉強 [鶉衣・方丈記他]

musasino2_1.jpg 今とても猶端々には、其広き野の迹のこれりと聞きて、見にまかりける。案内するをとこの聾なるも、時鳥きくしらべならねばと、其日の興にして、亀ヶ谷・下富などいへる村々を過ぎて、かの野に出でぬ。誠に四方に木竹もなく、草さへも今は霜がれはてゝ、哀に物すごき原のさま也。 武蔵野やいづこを草のかげひなた

 武蔵野は雑木林イメージがあるも、草木もない野だったとは驚いた。調べれば「照葉樹林~焼畑農業~草原・原野~田畑・薪にする楢などの雑木林」の変遷があったと知った。安土桃山時代の歌人・一色直朝に「むさしのは木陰も見えず時鳥幾日を草の原に鳴くらん」がある。也有が訪ねた武蔵野はすでに〝今は家つらなり田畠と変じて〟いたのだから、そこに和歌で詠まれた武蔵野イメージを探し求めたのだろう。

 そこら見めぐりて「枯野にもすゝきばかりは薄かな」。 くれ行く空をおもひやりて「武蔵野に露ひとつなし冬の月」。 又の日、野火留といふ所を尋ね侍り。こゝは『伊勢物語』に、「けふはなやきそ」とよみし跡なれば、里の名もかくよぶ侍るとか。業平塚とて、さびしきしるし今も残れり。歌のこゝろをしらな、枯草に吸ひがらなすてそ、とたはむれて、「こもるかと問へば枯野のきりぎりす」

 「けふはなやきそ」「吸ひがらなすてそ」の「な~そ」は古語の有名な言い回し。「な~そ」は~に連用形の動詞が入って~するな、~してくれるな。禁止の終助詞「そ」が副詞の「な」を呼応する。「なやきそ=焼いてくれるな」「なすてそ=捨ててくれるな」。北原白秋に「春の鳥 な鳴きそ鳴きそ あかあかと 外(と)の面(も)の草に 日の入る夕(べ)」がある。

musasino3_1.jpg 『伊勢物語』は「なやきそ」の次はこう続いている。「若草のつまもこもれりわれもこもれり」。ここから也有は「こもるかと問へば枯野のきりぎりす」、枯野なのにキリギリスはここに籠るのだろうかと詠っている。

 また前回に加舎白雄の「妻も子も榾木に籠る野守かな」を挙げたが、年長(七歳上)の同じく蕉風復活を志した佐久間柳居が、野火止で「吸殻を追ふて踏消す枯野哉」を詠ってい、也有は「枯葉に吸ひがらなすてそとたはむれて」と記している。

 調べれば調べるほどに也有俳文の深さが分かってくる。ここにきてやっと岩波文庫の堀切実・校注から離れて、少しづつ自分流解釈が出来始めているか。


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