SSブログ

ニューバランスを買う [スケッチ・美術系]

newbalance2_1.jpg 大島ロッジに防腐剤を塗るのに脚立に乗った。バランスを崩すのを心配して履きなれたスニーカーで作業。案の定、防腐剤で汚れた。「筆洗い液」で汚れを落とせばいいのだが、面倒なので新しいスニーカーを買った。

 実は一ヶ月ほど前にかかぁが「ニューバランス」の新しいのを買っていて「それ、いいなぁ」と思っていた。同じのを買ったが、今は若い子にニューバランスが流行っているとか。「それじゃ、ちょっと恥ずかしい」と言えば、「ばっかねぇ、私は40年も前に履いていたじゃないの。リバイバルブームだから年寄りが履いていてもおかしくないの」と言った。

 今は冠婚葬祭じゃなければ革靴、ネクタイ、スーツは身に付けぬ。先日、テレビを観ていたらパリコレのモデルらがハイヒールを拒否したようなことを報じていた。今はスニーカーとジーンズでも概ねどこでもOKの時代。スエットも街着になったとかで、楽がいいあたしはユニクロのスエットも買った。


コメント(0) 

古文書中級講座を受講中 [くずし字入門]

komonjyo2_1.jpg 目下、全五回の「古文書中級講座」受講中。大島暮しが長引き、一回目を受け損なって二回目からの受講。講座が始まるまでスケッチの手が動いた。

 〝中級講座〟ゆえ、受講者それぞれが日頃から何んらかの形で古文書に取り組んでいるようで、教室は解読スキルアップを目指す真剣かつ熱心な雰囲気に満ちる。教材は虫食いで解読不能部分もある古色蒼然の江戸文書だが、教室スケッチに着色すれば、なにやら愉しく華やいだ雰囲気になった。かく記す小生も〝学生〟に戻った気分なり。

 この日に読んだ古文書は宝暦四年の、浅草御蔵に御用人足を仰せつかった村々相談の記録。御蔵は浅草橋近く、現・蔵前あたりに幕府が設けた年貢米・買上米を出納・保管の蔵で、最大67棟もあったそうな。高田村、戸塚村、市ヶ谷村、原宿戸村、石神井村、飯倉村、麻布村など江戸中の村々名主が著名している。

 ちなみに冒頭は~ 一(ひとつ)此度(このたび)浅草御蔵(おくら)御用人足(ごようにんそく)被仰候ニ付(おおせられそうろうにつき)村々相談之上、各(おのおの)才料二、相頼申候間(あいたのみもうしそうろうあいだ)人足差出候内ハ(にんそくさしだしそうろううちは)日々無間違(まちがいなく)御勤可被下候(おつとめくださるべくそうろう)然上ハ(しかるうえは)~

 もう一つの教材文書は鉄砲方の町見術(ちょうけんじゅつ、測量)に対する角筈村、下落合村、品川の名主連名による「差上申御請書」。解読と共に幕府と庶民の関係も垣間見える内容。絵は万年筆(黒インク)でイラスト風に描いてみた。


コメント(0) 

サファリのペン先を砥ぐ [スケッチ・美術系]

lamy1_1.jpg 黒インクを入れたラミー「サファリ」のペン先が嫌なヒッカカリをする。赤インクを入れた「サファリ」ペン先も気に入らぬ。三本の「サファリ」のうち最も滑りの良い、書き心地のよい「サファリ」に、最も多く使う「パイロット・ブルー」のインクを入れてある。

 黒インクはパイロットインク「竹炭」から、水彩をのせても滲まないセーラーのナノインク「極黒」に入れ替えてある。ならば気持ち良く絵も描けるように、ペン先の滑りを良くしたい。ペン先を砥ぐことにした。

 「サファリ」ペン先は鉄で、万年筆も安価(4千円)ゆえ、失敗を恐れずにクルクルと円を描くように砥いで行く。新宿御苑のヒマラヤスギ(マツ科)を描いて滑り具合を確かめつつ砥ぐ。ガリガリからツルツルという音に変わって、次第に描き易くなって行く。

pen&sugi1_1.jpg 赤インクはパイロットインク「躑躅」を入れてある。この「サファリ」はメモ、校正用だから太くならないように用心して、ただ滑らかになるように砥いだ。

 うむ、このヒマラヤスギのようなタッチの絵も面白いかなと思った。今度、黒インクの「サファリ」とポストカード大スケッチブックを持って公園スケッチをしてみよう。


コメント(0) 

頑張っている〝ガメラ〟 [スケッチ・美術系]

canon1_1.jpg スケッチづくと、身の周りの物も描いてみたくなる。このコンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)「PowerShotSX130IS」は、自転車に乗り始めて、腰ベルトに付けるカメラとして買ったもの。確か2011年の購入で、最後の単三電池型になった。

 キヤノンの同カメラ後継機は、すでに幾台も発売されていて、現発売中のコンデジは「SX710HS」(35ミリ換算のズーム750ミリ相当)と「SX60HS」(1365ミリ相当)らしい。そこまで高性能になってくると、肩に食い込む重さの「一眼レフ+望遠レンズ」はもう持てないなぁという気にもなってくる。

 目下は写真よりスケッチのブログを面白がっていて、このカメラは壊れるまで使い続けそうな気もする。携帯が〝ガラケー〟なら、コンデジは〝ガメラ〟とでも言ったところか。一眼レフを手にしたのは20代から。カメラ歴は人生を振り返るようになってしまうので、そこは胸ん中~。


コメント(0) 

透明水彩絵具18色とその他 [スケッチ・美術系]

palette_1.jpg 透明水彩画に初挑戦した〝大島暮し〟。「HWC12」で10枚ほどスケッチしたら、もっと色が欲しくなった。水彩入門書には★三原色で充分。★初心者は12色から。★まず27色を揃えて気に入った色を追加する~と様々。〝決まり〟はないらしい。

 東京に戻って新宿・世界堂で別色2号チューブを6色買って計18色にした。だがパレットが15色仕切りだったので、木工ボンドを盛り上げて4仕切りを作った。凝り性ゆえ次々に新たな色が欲しくなりそう。現18色をメモしておく。

最初の12色=クリムソンレーキ/バーミリオン(ヒュー)/イエローオーカー/パーマネントイエローライト/パーマネントグリーンNO1/ビリジャン(ヒュー)/コバルトブルー(ヒュー)/プルシャンブルー/バーントシェンナ/バーントアンバー/アイボリーブラック/チャイニーズホワイト。

追加6色=コバルトバイオレットライト/キナクドンレッド/パーマネントイエローディーブ/パーマネントグリーンNO2/コンボーズブルー/ジョーンブリヤンNO2。

 (ヒュー)は従来顔料に代わる安価顔料の普及絵具。他に毒性の強い顔料の代替顔料を(ノーバ)とか。他に以下も揃えた。「マスキングインク」とその「筆洗い液」。それを剥ぎ取る「ラバークリーナー」。そのインクを使うには羽根がいいとかで、東急ハンズで「黒いガチョウの風切羽」も買った。なお、その後に画材店へ行ったら「ペン型マスキングインク」も「注入式マスキングインク」も売っていた。他に画用紙をスクラッチ(削る)する「金具」、ウェットを吸う「海綿」も買った。

 昔の小中学校の水彩画しか知らないかかぁは、それらが透明水彩画の道具とは巌として認めようとしなかった。百円ショップへ行ったら、薬(カプセル)入れがあって、これは固形透明水彩入れ風で、次々に新たな色を買っても充分にパレットになると思った。


コメント(0) 

伊豆大島のニューファミリー層 [週末大島暮し]

map1_1.jpg 今回の大島シリーズは、島を去る前日5月10日に「ぶらっとハウス」裏の多目的広場で行われた「春の軽トラ市」見聞記で終える。これは中古の軽トラ販売市ではなく、軽トラによる30ほどの模擬店集合お祭りだった。

 行ってみて、まぁ、眼を丸くした。子連れの若い夫婦らで大賑わいなのだ。今は東京の祭りでも高齢化・少子化でジイさんバアさんばかりなんだが、同イベントには若さが溢れていた。主催は北ノ山青年会だが岡田の青年会も一緒らしい。

 3月のブログに<大島町も「消滅可能性町」>と題して「日本創生会議」のデータを紹介し、大島で若い女性を観たら神々しく、赤ん坊を見たら宝物と思える~と記した責任上、この「軽トラ市」に溢れた若さに言及しなければいけないだろう。島のよそ者で僭越ながら、ここで見た大島ニューファミリー層についてちょっと考えてみた。

 北ノ山、岡田地区は土地が平らで、かつ安い。若いカップルが両地区に続々と持ち家を構えているらしい。しかもこの辺の都道沿いには三軒のスーパーマーケット「げんろく」「八木商店」「さむかわ食賓館」があり、島のドン・キホ-テこと「やすとく」もある。大島空港寄りには野菜即売場「ぶらっとハウス」もある。小・中学、高校も近い。改めてこの地区が大島で最も生活便利な地区になっていたことを認識した。

 この変化は、大島広報誌の人口統計からも伺える。島の南部・北部の人口減が目立ち、今は「北の山+岡田」の人口が元町に肉薄している。広報誌の「お誕生おめでとう」コーナーでも、春の新生児5名中4名が「北ノ山」だった。差木地の保育園定数が減少して、北ノ山保育園定員が増員されている。

 広報誌は町別人口だけではなく、町別年齢層比も発表したら、興味深いデータになるような気がしないでもない。大島滞在の最後に楽しんだ「軽トラ市」(北ノ山や岡田の青年会主催?)で見た島のニューファミリー層に明日の大島の若さ、希望、パワーを感じて、とてもうれしくなってしまった。


コメント(0) 

伊豆大島10「坂を曲がり下ると~」 [週末大島暮し]

wagayahe2_1.jpg ロッジの防腐剤塗装の合間に、大島最後のスケッチをした。この坂を下り曲がると我がロッジに至る。描く地点からもう少し下れば、防風林奥の白亜邸隣に小さな我がロッジ屋根が見える。

 往き復りの船の中からも、白亜邸奥の小さな屋根が見える。24年前にロッジを建てた当初は、防風林ん中に隠れるように2軒だけが建っていた。今は家数も増え、なんだかんだと防風林が伐採されて〝海一望〟なった。

 海が見えるようになって、冬の強烈な西風をまともに受けるようになった。怖くて〝冬の大島暮らし〟はできない。建てた当初は「島は冬暖かく、夏は涼しい。クーラーなんかいらないよ」と言われたが、次第に夏は灼熱化した。テレビの天気予報が〝老人は熱中症で死ぬぞ〟と脅すので、夏は東京のクーラーの部屋に籠るようになった。あたしにとって島は春と秋がベストシーズン。島の自然環境も変わり、島の状況も大きく変わった。

 絵は色使い、筆使いが汚いと(この絵のように)見るに耐えぬ。下手でも思い切りの良さ、潔さが肝心(=写真のように描こうとしない)と反省。それが初スケッチ行で得た〝私流水彩画の方向性〟のような気もする。さて、次から〝潔い水彩画〟が描けますでしょうか。明日は5月10日開催の「軽トラ市」について記し、今回の大島シリーズを終える。


コメント(0) 

伊豆大島9「 ロッジの防腐剤塗り」 [週末大島暮し]

wagaya1_1.jpg 海っぺりの家の金属は、あっという間に錆びる。ロッジは木造だがメンテナンスは欠かせない。島に行く度に中野のホームセンター「島忠」で購った4リットル防腐剤を持ち込み、外壁やベランダなどをちょこちょこと塗ってきた。

 今回はひょんな事で、島でケミプロ化成「アリシスステイン(油性 ウォールナット)」の一斗缶=16リットル(防腐・防虫・防蟻木材保護塗料。2万円ほど)が入手できた。次に島に来るまで間が空こうから、一斗缶すべてを使い切ってしまいたい。

 「おまいさん、絵なんか描いている暇はないよぅ」。いやはや大変なことになってしまった。幸い前回の島暮しで脚立を買った。これに乗ってロッジ外壁とベランダ(建物全四面の二面分)を三日をかけて塗った。

 塗っている刷毛が錆びた金属部分に触れただけで、それがボロッと落下した。おぉ怖い・怖い。海辺の家の理想は金具を一切使わぬ建築なのだろう。「錆」は鉄の酸化だ。潮風がいけないのは塩分を含んだ水分が酸素と作用して錆の進行を早めるとか。防腐剤を塗っているこっちの身体も、酸化による老化、塩分による高血圧、血管劣化、痛風などでボロボロ状態。こっちも何時ボロッと逝ってもおかしくない。

 ロッジのスケッチは、今までに何度かトライしたことがある。ここはこういう斜線かなと思えば直線で、直線かなと思えば斜め線だったりで単純なはずの遠近法もままならず、数分で描くのを放棄していた。今回は絵の内容は別に初めて描き通した。描こうという気持ちが優ったのだろう。描くことのひとつの壁を乗り越えたような気がしないでもない。油性防腐剤を塗り終わった後は、この絵より濃い色でテカテカと輝いている。


コメント(0) 

伊豆大島8「底付蚊帳と殺虫剤」 [週末大島暮し]

musikoro1_1.jpg 某日夜、寝ていたら「キャッ」という声に起こされた。洗面所の網戸にタランチュア似のクモが張り付いていた。忍び寄ってサッと硝子戸を締めて一件落着。また別の夜「キャッ」の声に起こされた。台所流しに今度はアシダカグモらしきクモがいた。

 叩き起こされ、頭の回転悪く対処策が浮かばない。ムカデなら熱湯をかけて一瞬で終わるが。クモはどうすればいいのだろう。ふと殺虫剤が眼に入り、これで弱ったところを紙に包んでトイレに流した。このクモはゴキブリを食う益虫らしいが、部屋ん中にいれば新宿育ちのかかぁは一睡も出来ない。

 クモ騒ぎで眼が覚めたので、殺虫スプレーを描いた。虫の時期なのだろう、スーパーへ行くと各種殺虫スプレーがズラリッと並んで壮観だった。殺虫剤を描きつつ、スズメバチと闘ったことなどを思い出した。最初はまだ二階ベランダがあった頃で、軒下に巣を作られた。忍び寄ってビニール袋を被せ取った。二度目は玄関天井に巣を作られた。バズーカ―砲風の殺虫剤と棒を武器に除去した。今思い出してもヒヤリとする。

 ヘビ、ムカデ(刺され痛さにのたうち廻ったことがある)、スズメバチ、巨大クモ等々~これらが怖くちゃ田舎暮らしは出来ない。あたしらは共に東京育ちで、大島で初めて遭遇する生物たち。喰われ・刺されたくないが、彼らの生命をむやみに奪えない。

 せめて夜は安眠と参りたく、高額の底付き本格蚊帳を購った。最近は蚊帳を吊るのが面倒でワンタッチで広がる底付きナイロン製蚊帳(数千円)で寝ている。都会育ちの島暮しには底付き蚊帳と殺虫剤は欠かせない。


コメント(0) 

伊豆大島7「岡田漁港」 [週末大島暮し]

okadagyokou1_1.jpg いやはや難しいスケッチだった。多くの線が複雑に交差して遠近法もままならぬ。描く姿なんぞ人に見られたくないから、鉛筆5分+ペン5分でデッサンを終了。着色と仕上げはロッジでやった。己の絵を見て、早くもワンパターンっぽいと反省した。大島シリーズが終わったら、他の描き方もやってみたい。

 かかぁの新宿の友達の息子らが、船釣りに凝っている。釣りに行った夕方は必ず電話があって、釣果のお裾分けに預かっている。その息子らが最近になって伊豆大島に通いだしたが、お裾分けの電話がさっぱり鳴らぬ。きっと釣れないか、大物狙いなのだろう。

 友人おばさんは、大島ロッジに二度ほど泊まっている。息子らの釣りグループはどこに泊まって、どこの船で釣りに出ているのだろうか。おばさんにはよく会うが、息子にはなかなか会えず、大島釣りの詳しい話はまだ聞いていない。

 岡田漁港スケッチは実力が試されそうだ。春と秋の二度、五年で十枚も描けば多少は満足できる絵になるだろうか。漫然と描くのではなくテーマを絞り込まなければいけない。色使い、筆使いをもっと多彩にしなければいけない。

 水彩画入門書をみると、透明水彩画には「テッシュペーパーの使い方」「洗い出し」の技法があり、さらには「スクラッチ(削る)」「マスキング(覆って白を残す)」「クロスハッキング(エンピツやペンの斜線で濃淡をつける)」「ウォッシュ(濡らし流しつつの着色)」「ウェットインウェット(塗れた色の上に濡れた色でにじませる)」「グレイジング(乾いた色の上に重ね塗る)」などの技法もあるそうな。

 むろん、それら技法のトライも今後のこと。絵の道へ進み込むのは容易じゃない。かかぁの友人の息子らの大島船釣りが、満足な釣果を得るのは一体いつになろうか。


コメント(0) 

伊豆大島6「新鮮野菜と花」 [週末大島暮し]

wat1_1.jpg 大島はガソリンをはじめ全物価が高い。船で運ばれてくるから当然なのだろう。島ゆえ魚が豊富・安いと思いがちだが、そうは問屋が卸さない。地魚が少ない。新宿暮しで魚が食いたければ、小田急ハルク地下へ行けば全国の旬の魚が揃っている。

 島では意外に思われるが、野菜が新鮮で安い。野菜即売場「ぶらっとハウス」があって、農家さんが早朝出荷で、島民が開店同時に列をなす。あたしらは大島で大輪の「ハナオクラ」を食らう愉しみを知った。芋状根菜「ヤーコン」を段ボールで新宿へ送ってもらったこともある。明日葉やキヌサヤは特産で大島土産になる。この時期は夏野菜の苗も売り出される。西瓜の苗を植えておくと、夏に島に来た時にゴロゴロなっている。

 そしてなにより安いのが花だ。今回は「カラー」3本300円を買った。東京なら1本3~500円だろう。市場を経ないとかくも安く元気だ。またこの時期には我が家周辺には「ワトソニア」の白い花が咲いている。南アフリカ原産で、英国の植物学者ワトソンにちなんだ名とか。実はこの地は昔は「ワトソニア」栽培地だったらしく、ロッジ建築当初は庭を掘れば球根が続々と出てきて、それが今も生きている。

 スケッチは「ワトソニアとフリージア」。最初に白い大輪の花「カラー」を描いたが、白を塗らない透明水彩で白い花を描く技量があたしにはなかった。


コメント(0) 

伊豆大島5「岡田港のエギング」 [週末大島暮し]

0kadaturi2_1.jpg 早朝、岡田港へ写生に行った。堤防で若いカップルがエギングをしていた。釣果を伺うと保冷バッグを指さす。旨そうなアオリイカが入っていた。

「僕もエギング用具を揃えたが、まだ一杯も釣れていない」と告白すれば、「最初の一年は僕もそうだったよ」と言い、「3時~6時にヒット率が上がるから一緒に釣ろうよ」と誘って下さった。

 港でデッサン二枚後、ロッジに戻って久し振りにエギング竿を引っ張り出せば、かかぁが「おまいさん、まだ草刈りが済んでいないよぅ」。半年振りの草刈機エンジンが動くはずもない。試みに始動ロープを引っ張れば、なんと「ブルルッ・ブルンブルン」と小気味よく唸り出したじゃないか。これはやるしかない。

 結局、スケッチ着色もエギングにも行けずに雑草刈りに奮闘。誘ってくれた若いカップルに「ごめん・ごめん」と謝りながら庭仕事に汗を流すことになった。翌日、エギングの仕度を整えて岡田港に行くも、彼らにはもう逢えなかった。

 堤防スケッチに若いカップルのエギング姿を描き加えて着色した。相変わらず木々(森)が描けぬ。海を描く難しさも知った。それでも悩みつつ筆を動かしていると「あぁ、そうか」という要領を一つ二つと覚えることになる。エギングもスケッチも始めたばかりで、面白くなる域には未だまだ入っては行けない。


コメント(0) 

伊豆大島4「キジとキョン」 [週末大島暮し]

kiji1_1.jpg アカッパゲのスケッチをしていると、近くの礒岩の上にキジがとまった。普段ならば、この辺の礒岩にはイソヒヨドリがいるのだが、キジとは驚いた。そう云えば島に着いて車で我がロッジに向かう途中でもキジを見た。野菜即売場「ぶらっとハウス」前の牧場や飛行場では常にキジを見た。「ケーン・ケーン」とキジの鳴き声もよく聞いた。

 キジが殖えているのだろうか。キジは蛇を食らう。芭蕉句「蛇くふときけば恐ろし雉の声」。そういえば今回は蛇を見なかった。キジよ!もっと殖えろと思った。

 ロッジから海に出る防風林で、車の前をキョンが横切った。この道はコジュケイらが出没するが、キョンとkyon_1.jpgは驚いた。キョンは大島動物園の中で放し飼いされていた時期があり、それが脱走して大繁殖したのだろう。同じくタイワンリス、タイワンザルも脱走して大繁殖している。ベランダで昼寝をしていたら、眼の前を長い尾をユサユサさせながらクジャクが横切ったこともある。昔の「島の新聞」を読むと、熊三頭の脱出が報じられていた。

 11日間の島滞在を経て帰京すると、自宅ポストに「大島支庁土木課管理係」からの封書。何事だろうと封を切れば「岡田新開地に土地をお持ちの島外地権者の皆さまへ」とあった。そんな手紙は24年間一度も来たこともなく驚いた。読めば「キョン防除説明会のご案内」、及び捕獲事業者の敷地内立ち入り、柵やワナの設置、必要な場合は一部草刈りなどの了承をいただきた旨の文面。キョンが相当に殖え、農作物を荒らしているらしい。

 久し振りに島暮しをすれば、さまざまな変化に気付く。キジと一瞬見たキョンを早描きした。


コメント(0) 

伊豆大島3「アカッパゲ」 [週末大島暮し]

akappage1_1.jpg アカッパゲ(赤禿)を描いた。サイクリングロードと車道が坂を登って視界から消えている。そこが面白いのだが、それが上手く描けない。エンピツからボールペンのデッサン。描き直し三度目で着色した。

 ここから望むアカッパゲは迫力がないも、実際にアカッパゲ先端に立てば断崖絶壁。地球の曲線がわかるような壮大絶景なり。昔々、悪さを繰り返した流人が簀巻きにされてここから投げられた、と何かで読んだ記憶あり。

 今は自転車の大ブーム。あたしも東京では自転車乗りだ。島友Hもとっかえひっかえ新たな自転車に乗り始めている。そんなブームを反映して、大島にも自転車乗りが大勢やってくる。坂道が多い大島は〝チャリダーの聖地〟とか。坂にアドレナリンを滾らす彼らが駆る自転車は、あたしの中古軽自動車より高額だ。

 昨年12月のブログに「サンセットパームライン小史」を記した。昭和12年にハイキング道路として、そして昭和62年に自転車道を拡張して、その名も「サンセットパームライン」に命名。その意では自転車ブームを先取りしたのだから、大島は釣り客、ダイビング客に次いで自転車乗りの集客にアイデア&サービスを積極展開すれば、より多くの自転車愛好家の来島が望めよう。来年1月にはアジア自転車競技選手権のロードレースが大島で開催とか。島として、どこまで盛り上げられるか、集客できるかに手腕が問われよう。

 そんなことを思いつつスケッチしていれば、磯岩にキジがいた。今回の大島では至る所でキジを見て、キョンも見た。自然界にも何らかの変化が起こっているらしい。明日は「キジとキョン」。


コメント(0) 

伊豆大島2「サントリー角瓶」 [週末大島暮し]

suntory2_1.jpg 早起きをしたら、まだ暗かった。島ロッジの東は山麓ゆえ、太陽が山を越えねば陽光が満ちぬ。そこで部屋ん中で静物〝角瓶〟をスケッチした。

 数年前から酒が呑めなくなった。〝老い〟ゆえで、それを自ら言うに抵抗ありだったが、テレビを観ていたら78歳・加山雄三が「僕かぁ~もう酒も煙草もやめた。幸せだなぁ」と胸を張っていた。ふむ、あたしも振り返れば連日ハシゴ酒の時代が長かった。今はもう胸張って「酒が呑めなくなった」と言ってもいいかと思った。友人に「もう呑みには行かんよ」と宣言した。

 横井也有が『鶉衣』に「断酒弁」を記したのは41歳だった。「いたましう酒のあたりけるまゝに(中略)試に一月の飲をたてば身はなら(楢)柴の木(生)下戸となりて(中略)「花あらば花の留守せん下戸ひとり」と詠んだ。島ではハイボールをちょっとだけ呑んだ。そのウィスキー瓶を描きつつ、絵を描くことに興味を持った理由を己に問うてみた。

 実はブログ総閲覧数が150万を越えた。記事数1500ほどで概ね写真付き。思えば一眼レフは20代から常に手にしてきた。その写真になんだか飽きてきた、倦んできた。

 今は誰もが「スマホで写真」。しかも超高性能で実にクリアでいい写真が撮れる。ヘソ曲がりのあたしは、そろそろカメラのやめ頃かなぁと思った。写真に代わって絵ではどうか。〝絵が描ければいいなぁ〟となった次第。ってことは風景画に限らず静物、人物、イラストなんでも描いてみたい。


コメント(0) 

伊豆大島1「乳ヶ崎」 [週末大島暮し]

keikaiske_1.jpg 今回の大島暮しのテーマを、ひそかに〝スケッチ練習〟と決めていた。そのために初の透明水彩絵具12色、パレット、水彩筆なども準備した。

 最初に描いたのはロッジ前の磯・ケイカイから乳ヶ崎(野田浜)を望む景色。ロッジを建てた当初(24年前)は、まだ若かったゆえに日々この磯で潜ったものだが、今は老いた身体をいたわりつつのスケッチに相成候。

 当初は〝ケイカイ〟の意がわからなかったが、朽ちかけたコンクリート碑が今も残ってい、海面に「元村、岡田村境界」、裏面に「大正三年十一月廿四日建立」の文字が読み読み取れる。ややして「境界」の測量読みが〝ケイカイ〟と知った。

 スケッチはまず鉛筆で水平線、岬、手前の大きな溶岩のアタリをとってからボールペンで描き出した。着色はサッと淡彩。ゴツゴツした溶岩を描くのにボールペンが向いていた。苦手の〝草木〟がなかったので簡単だった。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。