SSブログ

22:隅田川涼賦‐也有から漱石 [鶉衣・方丈記他]

sumidagawa1b_1.jpg(一行目下から)数々の橋こえ過ぎ、両国の河づらにこぎ出づれば、風はかたびら(単衣)の袖さむきまで吹きかへすは、秋もたゞこの水上より立初(そ)めるなるべし。椎の木(両国と厩橋の間の東岸ににあった名木)の蝉日ぐらし(蜩)、けふもくれぬと啼きすさみ、岸の茶屋茶屋火影(ほかげ=灯の光)をあらそふほど、今戸あたりのかけ船(停泊の船)もともづなを解き、糸竹をならして、をのがさまざま(己が様々)にうかべ出ぬ。

 よく使われる言葉の復習。「初む=そむ」で「咲き初めし」など。~しはじめる、はじめて~するの意。「べし」の基本義は現状判断から「そういうことになるに違いない」。推量、予定、当然、適当、可能、意志、必要義務など。「すさみ=荒ぶ、進ぶ、遊ぶ」と意の範囲は広いが、ここでは「盛んな勢いで事が起こる」。「ともづな=纜」。船尾からのもやい綱。「糸竹=和楽器の総称」。「糸=琴や三味線などの弦楽器」「竹=笛や笙などの管楽器」。

 前回に記した「牛込揚場丁(町)」から舟に乗って浅草へ行くシーンは、夏目漱石『硝子戸の中』に描かれている。これは兄から聞いた姉たちの芝居見物の様子との前書きがあって、~当時(明治初期)は電車も俥もない時分で、姉たちは猿若町(浅草寺の裏側)の芝居小屋に行くのに、家(夏目坂)を朝早く出て筑土を下りて柿の木横丁から(牛込)揚場へ出た。そこの船宿にあつらえておいた屋形船に乗って御茶ノ水~柳橋~大川に出る。流れを遡って吾妻橋、今戸の有明楼に着けて芝居小屋へ行った。贔屓役者の楽屋部屋にも行って、来た路を同じ舟で揚場まで戻ってきた、という一日がかりの芝居見物。侍じゃなかったが名主ゆえの華麗なくらしがあったと書いてあった。

 我が家7F部屋の眼下東に広がる戸山公園向こう際に、若松町から早稲田に下る「夏目坂」がある。そこに代々名主の夏目家があって漱石の生家。家運衰退後に生まれた漱石は里子に出されたりして、名主時代の華麗な暮しを知らず、兄から当時の話を聞いている。

 一昨日のこと。かかぁと日本橋に買物へ行ったのだが、橋のたもとで日本橋川から佃島辺りまでの周遊クルーズ船に乗った。舟で大川にも出たゆえ也有や漱石の姉たちの気分をちょっと味わったことになる。えらく楽しかったので、機会があれば日本橋川クルーズ、神田川クルーズなどにも乗ってみようと決めた。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。