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小林清親を愉しむ [スケッチ・美術系]

kiyotikaten_1.jpg 新聞に「練馬区立美術館で小林清親展」の報。掲載の絵に「あぁ、何度も見てきた絵」と思った。ぜひ実物を拝見と自転車を駆った。山手通り、環七を横断して「中村橋」の同美術館へ。版画と肉筆画による江戸から明治の風景画。浮世絵でもなく西洋画でもなく「光線画」。描かれた江戸・東京の風景も技法も〝過渡期〟の脆く哀しくも懐かしさ漂う作品群。

 はて、どこでいつ見た絵だろうか。帰宅後にこれだ!と見つけたのが<井上安治『色刷り・明治東京名所絵』>とクレジットされたCD‐R。これは画集というより安治が描いた風景に現在写真を添えて江戸・明治・大正・今への街の変遷を解説した書。いい資料と思って複写保存していた。CD‐Rを開く。うむ、やはり先ほど見たばかりの清親(きよちか)の絵が収められているが、作者名は井上安治。どういうことだろう。

kiyotika1_1.jpg 『明治東京名所絵』全133図のうち54点が「清親展」で見たとほぼ同じ絵。ややして謎が解けた。井上安治は元治元年(1864)、浅草並木町生まれ。12歳で父を亡くし、14,5歳で清親に弟子入り。安治の才能開花は早かったが26歳(明治22年)で早逝。死後出版の同書に、師のコピー画が収録された。

 次に図書館で『小林清親・東京名所図』を借りた。水彩の練習に「橋場渡黄昏景」一部を模写してみた。水彩画を一枚描いただけの小生に上手く描ける筈もないが、さらに杉本章子『東京新大橋雨中図』(昭和63年の第100回直木賞受賞作)を読んだ。

 物語は小林清親が本所御蔵屋敷を官軍に引き渡す屈辱シーンから始まる。徳川家が移った駿府での厳しい暮らし。文明開化で変貌する江戸に戻ってからの絵への目覚め。小説に描かれた制作シーンを読みつつその絵を画集で愉しんだ。

 「石版画」時代になって、手間の多い「光線画」の採算が厳しくなり、かつ清親も「光線画」に倦み始めてきた。版元の「ハガキ版ならやっていけるが」に清親が首を振る。版元はならばと弟子・安治に依頼。また杉本章子は師の絵(模写)から抜け出せぬ安治を叱る清親に、こんな言葉を吐かせていた。

 「風景をそのままうまく写し取っても、君の絵ということにならん。それは写真なんだ。肝心なことは、見て取った風景のなかから、描きたいところだけを選んで、あとはばっさりと捨てる。これだ。その取捨に描くひとの味というものが出る」 

 ふむふむと感心していると、かかぁに「スケッチもろくに描けぬのに、自分らしさとは百年早いわ」と笑われた。安治は清親コピーから自分の世界を構築する前に死んでしまった。


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