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川崎「春霞ともに立出てめをとはし~」 [狂歌入東海道]

kawasakie1_1.jpg 三作目は「川崎」。狂歌は「春霞ともに立出てめをとはしわたりつるみの心のとけし」。漢字で書けば「春霞共に立出で夫婦橋渡り鶴見の心の解けし」。春霞(春の朝霞)のなかを一緒に旅立って、夫婦橋を渡って鶴見まで来れば共に心も馴染んでくるよ、の意だろう。「夫婦橋」はどこにあったのだろう。

 「京急川崎」駅の次が「八丁畷(なわて)」駅。同駅と次の「鶴見市場」の間。現・鶴見区市場上町六丁目辺り。江戸時代に多摩川から引いた用水が二本あって、二つの石橋が続いていて「夫婦橋」。用水はこの下流から左右に分かれて一帯の水田を潤したとか。

 夫婦橋を渡ったすぐ先が鶴見川。この絵の通り〝渡し船〟。現「六郷大橋」辺りの渡しで、渡った先に川崎宿や川崎大師。江戸城が出来た当初は「六郷大橋」があって、千住大橋・両国橋と共に〝江戸三大橋〟だった。だが元禄元年の大洪水で流された後、明治まで架橋せずに渡し舟が続いた。(参考サイト「鶴見の史蹟と伝説)

kawasakiuta2_1.jpg 早や外は灼熱の夏で、熱中症注意です。クーラーの効いた部屋ん中での机上旅で「八丁畷」なんて駅名とその由来を知り、当時の「夫婦橋」の絵を見たりと楽しいものです。

 さて弥次喜多コンビは、十文の渡し賃で鶴見川を渡り、川崎宿手前の有名な奈良茶飯屋「万年家」で昼食。店の女の尻を見て、こんな会話をしている。「今の女の尻は去年までは柳で居たつけが、もう臼になつたア。どふでも杵にこづかれると見へる」

 この辺の下世話会話は、なんだか新宿二丁目の姐さん方の会話のようです。性を明け透けに笑う習性は、江戸時代に陰間が盛んだった頃と余り変わっていないようだ。弥次喜多コンビは、ここで大名行列に出くわし、行列をおちょくった後に、安く〝かえり馬〟に乗って、神奈川宿手前まで行く。


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