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大磯「うかれ女の真心よりぞうそふける~」 [狂歌入東海道]

oisoe1_1.jpg 九作目は「大磯」。狂歌は「うかれ女の真心よりぞうそふけるとらといふ名はいしに残れり」。これを詠み解くには難儀した。わからない時は漢字で書いてみる。「浮かれ女(遊女)の真心よりぞ嘯ける(吟じる)虎という名は石に残れり」。

 江戸時代に大磯といえば、遊女・虎を語るのが定石だったとか。曽我兄弟の父の敵討ち。兄・十郎は本懐を遂げると同時に果て(陰暦五月二十八日)、彼の愛人が遊女の虎さん。この時期の雨を、虎御前の涙「虎の雨、虎ヶ雨」。ならば「浮かれ女の真心よりぞ嘯ける虎という名の雨になりけり」。

 街道沿いの延台寺に、曽我兄弟の敵が放った矢と刀の身代わりになったとされる「虎御石」もある。ネットで写真を見たら刃跡が亀頭をかたどって、矢の穴を女陰とみる陽陰石。弥次喜多のふたりもこの石を見てこう詠んでいる。

9ohisouta2_1.jpg「此さとの虎は藪にも剛のものおもしの石となりし貞節」。「藪に剛の者」は諺。草深い所にも優れた人物がいるの意。「剛の物⇒香の物⇒おもしの石」。校注を読みつつ十返舎一九の狂歌も、かなりひねりが効いていると感心した。

 宝永堂版は「大磯・虎の雨」。大磯宿に入る直前の旅人らが〝虎の雨〟に合羽姿で背を丸めて歩いている。相模湾に面した海岸には磯馴松(そなれまつ=風に耐えつつ曲がって伸びた松)。大磯宿には西行の歌で有名な「鴫立庵」もあるが、説明が長くなるので割愛。

 この絵は大磯宿の上方端を描いた絵だろうか。沖に突き出たのは真鶴岬と伊豆半島の山々だろうか。この絵を見ながら大磯・照ヶ崎でアオバトを撮った事の他に、もうひとつ思い出したことがある。小学校の臨海学校が大磯のお寺だった。えらく素敵なお姉さんが世話をしてくれて、異性に初めて胸ときめいたことを思い出した。あれはどこのお寺だったのだろうか。


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