SSブログ

「狂歌」のお勉強(1) [狂歌入東海道]

kyoukamiji.jpg 「狂歌入り東海道」は「くずし字」解読が目的も、思いもよらず「狂歌」とお付き合い相成り候。俳句関係書を読み駄句も作るが、和歌や短歌の「みそひともじ」は好きじゃなかった。

 「百人一首」の四十三首が恋歌。隠居の身で「百人一首」を口ずさめば、老いたシンガーソングライターらが、若い頃にヒットさせた恋愛ソングを今も未練たらしく唄っているのに似て恥ずかしい。

 かくなる理由で和歌・短歌に親しめずも「狂歌」は、やはり避けては通れなかった。永井荷風好きゆえ、彼が関心を寄せた大田南畝(蜀山人、四方赤良、山手馬鹿人、杏花園など)の人物像に関心をもって関連書も読んできた。彼の旧居巡りもした。その大田南畝こそが狂歌の代表格。

 加えて江戸好きだと、浮世絵と狂歌は欠かせない。いい機会ゆえ少しは「狂歌」に親しもうと俄か勉強。文末紹介の著作から〝勝手解釈〟で「狂歌」をまとめてみた。

 狂歌は和歌(五七五七七)をベースにした滑稽・諧謔の遊び。浪花系と江戸狂歌の二つの流れがあるも、ここは江戸狂歌をお勉強。狂歌は当初、仲間内の遊びゆえに詠み捨てだったが、天明期(1781~)の黄表紙、洒落本、川柳など庶民中心の出版大ブームと共に爆発的に盛り上がった。南畝が公募すれば荷車五台、千箱が寄せられた。

 その特徴は、優雅な古典和歌の〝本歌取り(もじり)〟の滑稽・諧謔仕上げ。主な技巧は「縁語・掛詞・地口」等の多様。●「縁語」は関係する語を連想的に使うこと(古語辞典の付録に一覧表がある)。●「掛詞」は(待つ=松)(聞く=菊)などの同音異義語。●「地口」は言葉遊び。有名文句のもじりで「舌切り雀=着たきり娘」、韻を踏むなら「美味かった=馬勝った」、意味のない言葉をつなげる「そうはいかのキンタマ」「恐れ入谷の鬼子母神」など。他に百人一首などの下の句をそのままに上の句を変えて別の一首にする遊びなど。

 本歌取りの多くは、すり替えて別の意にする滑稽さ。また卑俗な世間に引き下ろす諧謔。それら根底にあるのは体制への反発。封建主義下の心の狂、狂趣もあり。度が過ぎれば「落首」にもなる。その精神は散文にも及んだ。

 寛政の改革で、山東京伝は手鎖50日の刑、蔦重は財産半分没収。武士も自害に追い込まれた。風俗統制、贅沢禁止、文武奨励の松平定信をおちょくって「世の中は蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといひて夜もねられず」「白河の清き流れに魚住まず 濁れる田沼いまは恋ひしき」。

 そうした精神を反映して。狂歌は武士と町民の垣根を越えて共に盛り上がる。内藤新宿の煙草屋「平秩東作」、湯屋主人の「元木網(もとのもくあみ)」、その女房「智恵内子(ちえのないこ)」、旅籠主人の「宿屋飯盛(やどやのめしもり)」吉原妓楼主の「加保茶元就(かぽちゃのもとなり)」等々。

 ここで紹介の十返舎一九は駿府生まれで、浪花で芝居作家としてデビュー。三十歳前に江戸に来て蔦重家に居候。その経歴から彼の〝東海道中膝栗毛〟の文は下世話で、狂歌も関西ノリがある。江戸人がアイデンティティ(江戸自慢、貧乏自慢、建前の裏のホンネ露出を含めて)を求め発揮した狂歌だったが、お上の介入で武士は身を引き、大田南畝は学問吟味に挑戦して主席合格。有能な町人狂歌師も江戸払い。やがて明治の改革から大日本帝国になって滑稽・諧謔・風刺の狂歌は姿を消した。

 参考資料:岩波書店「日本古典文学大系/川柳・狂歌集」の濱田義一解説文、小学館「日本古典文学全集/黄表紙・川柳・狂歌」の水野稔解説文、江口孝夫著「江戸の百人一首」、なだいなだ著「江戸狂歌」など。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。