原「けふいくか足よ腰よとあゆみ来て~」 [狂歌入東海道]
第十四作は「原」。狂歌は「けふいくか足よ腰よとあゆみ来て見あぐるはらの不二の大さ」。「けふいくか」は〝今日行くか〟ではなく「今日幾日(今日は幾日だろうか)」だろう。
和宮が江戸に下る途中で「住み慣れし都路いでて今日幾日 急ぐも辛き東路の旅」と詠んだとか。「今日幾日」は「土佐日記」にも例あり。絵は見上げる富士山が迫力一杯に描かれている。
宿場は東海道のなかで最も小さい。旅籠は25軒ほど。絵を描くならば宿場風景ではなく、やはり富士山だろう。この絵は宿場を出てからの立場(茶屋)だろう。保永堂版も「原・朝之富士」で湿地帯・浮島が原に鶴が二羽。その奥に富士山が聳える図。
弥次喜多のふたりは「まだめしもくはず沼津をうちすぎてひもじき原のしゅくにつきたり」。飯も食わず(飲まず⇒沼津)、ひもじき腹(原)の駄洒落。
彼らは印伝の巾着袋を武士に買ってもらった百文で、やっと蕎麦を食う。蕎麦の盛のよさがうれしくて「今くひしそばはふじほど山もりにすこしこゝろもうきがはら」。〝浮島が原〟を盛り込んでいる。
浮島が原から西へ歩くと「新田」なる地。ここはうなぎの名物にて、家ごとにあふぎたつるかばやきの匂ひに、ふたりは鼻のさきをひこつかして「蒲焼のにほひを嗅(かぐ)もうとましや(疎ましや)こちらふたりはうなんぎのたび(難儀の旅)」。
2016-07-31 06:58
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