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microと macro/ bokehと blur/圧縮効果 [散歩日和]

bokaso5_1.jpg 前回のマクロ撮影「紅葉の芽吹きと露」で、初めてキヤノンは「MACRO」で、ニコンは「MICRO」だと気が付いた。小生使用のマクロレンズは「canon MACRO lens EF-S 60mm」。

 「MACRO(マクロ)=大きな、大規模、大局的な考え」の意。「MICRO(マイクロ、ミクロ)=100万分の1.非常に小さいもの、微小、極微、ミクロの世界」の意。キヤノンとニコンは、小さなものを大きく(等倍)で写すレンズを、真逆の言葉で商品名にしている妙~。

 上記に併せて、「ボケ」と「ぼかす」も改めてお勉強です。マクロレンズで撮った写真は、接写=被写界深度が浅く、大きく美しい「ボケ」が得られる。日本語の「ボケ」は英語で「bokeh」。一方「ぼかす」は英語で「blur」。スローシャッター、手ぶれ、雨粒や滴越し、前ボケで撮れば「blur(ブラー)」。♪ぶらりぶらりと云うもんだいちゅう~(長崎ぶらぶら節)と口ずさみながら撮りたい。

futaribokasi.jpg スナップ写真は、基本的には「bokeh・blur」狙いではなく、広角レンズで絞り込んで被写界深度を深くして(パンフォーカス、ディープフォーカス)ピント域を広げて貴重なシャッターチャンスを逃さずに撮るとされている。

 だがソール・ライターは中望遠レンズ多用で「縦位置+圧縮効果」で版画的(平面的)な写真も多いとか。加えて「雪・雨粒・滴などによる〝あいまいさ〟」も特徴とし、そこから「詩的な雰囲気=リリシズム=抒情的な趣、味わい」を生んでいると分析・評価されている。

 過日、あたしは今までは鳥撮り専用の「EF100~400」で、海外旅行者を撮ってみた。F(絞り)を小さくして背景「bokeh」域を広くした写真(上)。F大きめで被写界深度の深い「圧縮効果」(遠・近景両方が凝縮され詰まった感じ)の写真(下)を撮ってみた。

 だが「一眼レフ+望遠レンズ」は、散歩カメラには重過ぎ、かつ盗撮レンズと思われがちで(巣立ちしたばかりのツバメの子を撮っていたら、オバさんが血相変えて〝盗聴者〟と怒鳴ってきた。

 小生は掌に収まる古いコンデジ(28mm~光学12倍=420mm相当)をもって「microとmacro/bokehとblur/圧縮効果」などを試行錯誤(改めて写真のお勉強)をしつつ「街散歩スナップ」で遊んでいる。

 古くなって破棄しようと思っていたコンデジを、今になって使いこなそうとして「バカだなぁ~」です。そこで「ライカ・ミラーレス」のカタログを見ていたら、婆さんが「爺さんは新しいカメラより、新しい墓石の方が肝心ですよぅ~」と言いやがった。

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五輪は何時やるんか? [散歩日和]

gorin1_1.jpg 久し振りに「新国立競技場」まで歩いた。完成していると思っていたが、未だ工事壁で囲まれていた。競技場の隣に完成済の「日本オリンピック・ミュージアム」前に「五輪マーク・モニュメント」があった。

 新型コロナ影響で五輪への期待も萎み、賑わいもなく、時おり訪ね来るグループが五輪マークで記念写真を撮っていた。その風景を遠くから撮りつつ「今年五輪はあるんか」と呟き、当然ながら「ないだろうな」と思った。

 国家的な事業は、為政者が何かと利用しがちで好きじゃない。前回の東京オリンピックでは小生「東京脱出組」。今回も「やっても・やらなくても、どっkokuritu2_1.jpgちでもよし」程度の関心。

 だが既に膨大な税金が注ぎ込まれている。その対価以上の収入を見込んでのことだろう。スポーツもプロ化が進んでいる。

 そんな政治・経済がらみの大事業。延期ならば「まぁまぁ」だろうが(追記:3月26日の新聞に、延期でも追加経費は数千億円と報じられていた)、中止となれば「五輪後の不景気」など呑気なことでは収まらぬ惨憺たる状況になろう。そして我が国の為政者らは、軽々に「私の責任で~」と口にするも、誰も責任をとらないのが流儀。こんな日本の明日はどうなって行くのでしょうか。

 自慢の新国立競技場も、見方を変えると、こんなにも小さく歪んで見えるのには、ちょっと驚いた。(観音橋際の凸レンズ状ガラス壁YKビルに映った新競技場)

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そこに愛はあるんか? [散歩日和]

love1_1.jpg 「そこに愛はあるんか」は、消費者金融アイフルCFの大地真央の台詞。

 「LOVE」モニュメントは、西新宿アイランドタワー前(新宿警察署の隣の隣)にある米国の現代美術家ロバート・インディアナ氏の作。同オブジェは世界各地にあって、米国ではソール・ライターがスタジオを構えていたNY五番街にもあった(今は撤去?)そうな。

 ちなみにインディアナ氏はソール・ライターより3歳下。彼がNYのロウアー・マンハッタン(ブルックリン橋より南一帯の芸術家街)へ移転して来たのは、ライターが例の『看板描き』を撮った1954年だった。

 さて、日本は今、新型コロナ騒動で荒み、疲弊し始めている。かく云う小生も過日のこと。バスに乗り「ゴホンッ」と咳き込めば、マスクをしているにも関わらず、隣の爺さんが露骨な嫌悪感剥き出し顔で睨み、後ろの席へ移動して行った。あたしは爺さんをバスから引きずり降ろして怒鳴りまくってやろうと思ったがグッと我慢した。

 新型コロナへの不安、感染の恐怖、フェイクニュース~。加えて政治家(特に独断対策)への不信、猜疑、崩れる生活に人々はストレスを溜め、寛容さを失い、人格をも壊し始めているようでございます。街はかくギスギスし、イヤな奴との遭遇も多くなってきています。

 ~ですから「そこに愛はあるんか」への答えは即「あるんです」。そう信じて、人々が穏やかに過ごせますように~と願いたい。(なお写真の人物と文章とは無関係。子供には優しそうなお母さんが付き添って遊ばせていて、手前の女性はスマホで撮ったLOVE写真を確認中でした)

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丸い穴、細長い穴から覗き撮れば~ [散歩日和]

ntvana1_1.jpg 近所の〝日テレ〟こと「新宿イーストサイドスクエア」(大江戸線・東新宿直結)の中から見上げると、こんな穴から空が見える。その日、最初にカメラを向ければ「青空」で、面白さに欠けたので久し振りに「新国立競技場」まで散歩をした。

 その帰路、南方向の雲が次第に広がって、再び穴の下に戻ると、丁度いい塩梅の雲が覗けてシャッターを切った。やはり〝覗き写真〟は面白い。

 次に細長い穴を見上げた。あたしがもし若いソール・ライターだったら、この構図の左端地上に恋人のソームズに明るい色のワンピースでも着せ、風にそよぐ呈でシャッターを切っていたかもしれない。

 穴から覗く雲は「積雲」でしょう。この日の東京は19度。午前中は晴天も、南から雲が広がっntvana2_1.jpgて、遅い午後に〝天気雨〟が降った。

 この角度で写真を撮ると、面白いことに穴から覗く雲が「べったりの雲(白)」だと、眼の錯覚で凸凹が逆に見えたりする。つまり黒線交じりの壁に白テントの屋根が盛り上がって見えたりする。

 若い時分にポンティの「ルビンの壺」、フッサールの「現象学」を読んだことを思い出した。今度、晴天と曇天の時に撮った写真を並べ、凸凹がどう見えるかで「現象学」基礎の復習をしてみましょうかねぇ。

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〝覗き撮る〟面白さ~ [散歩日和]

sakura_1_1.jpg 昨日、WHOが今になって新型コロナ「パンデミック」を表明。「迫る4月経済危機、安倍官邸錯乱す」(週刊文春)、「安倍政権コロナ対策第2弾は〝ケチノロ〟経済クラッシュ寸前」(日刊ゲンダイ)。もはや隠居が言及するレベルではなく〝隠居遊び〟に戻ります。

 さて、ソール・ライターには「ジャポニスム」の影響を受けた大胆構図の写真が多かった。このブログでもカテゴリー「北斎・広重・江漢他」で<ジャポニスム全22回>をアップ済。

 ゴッホをはじめ印象派画家らは歌川広重『名所江戸百景』、葛飾北斎『富嶽三十六景』の構図に衝撃を受け、行き詰まった古典絵画から脱皮した。

 このスナップは、その辺を真似て手前の木(で構図を定めて)から覗いてインバウンド・カップルを撮った。(望遠レンズ向きだが、重いカメラは持ちたくない)

 ちなみに、この松は「多行松」。根元から枝分かれし〝傘〟を開いたように葉が繁る。自然界にない園芸種。英語で「ジャパニーズ・アンブレラ・パイン」。ソール・ライター風写真には、なにかと〝傘〟がからむ。

meiji_1.jpg こんなショットを覚えると、なんだか、まともに撮るのがつまらなくなってくる。だが「〇〇越し」に撮るってことは〝盗撮〟の危険と背中合わせ。シャッターは切れなかったが、松から覗いた芝生で横たわったオバさんの太もも奥が見え、熱く抱擁中のカップルもいた。

 すでに覗きで撮った〝お気に入り写真〟は「ビル狭間越しショット」(写真下)があるが、次は丸い穴、細長い穴から覗いた写真です。

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昼と夜のタワーの間に~ [散歩日和]

tower2_1.jpg 久し振りに「新宿御苑」へ。インバウンドの賑わいも消え、かつての閑散とした趣に戻っていた。NTTドコモ代々木ビル(ドコモタワー、271m)の背後に「巻雲」がドラマチックに広がっていた。あたかも携帯電波が飛んでいるような感じだが、それは悠久の妙なる美しさ。

 ドコモタワーの25階以上は電波塔で、それを隠してNYビル風を真似た「ハリボテ」。てっぺんの鉄塔は、実は上層部アンテナを操作するクレーンで、使用時にはV字に開くらしい。

 そして夜~。かかぁが「おまいさん、東京スカイツリーがキレイだよぅ」。我家からは「展望デッキ」下は見えずで、今回初めて同デッキより上部までライティング。その趣旨をネットで読めば「オリンピックが近づいて外国人旅行者(インバウンド)の増加が見込まれ、さらに注目をいただくべくのパワーアップライティングです」の説明。「粋・雅・幟」の3変化。

 だが今は「インバウンド」の姿は消え、「五輪開催」も危ぶまれ、「アベノミクス」も安易な「ハリボテ」だったように跡形もなく消し飛んだ。パワーアップ照明は虚しく「マボロシ~~!」です。

 幻らしくブラして撮って、PCでtree1_1.jpg拡大してみたら展望デッキ部分に「Tokyo 2020~」の英文字だろうか~。

 そう云えば「新宿御苑」へ向かう明治通り(大久保通り~花園神社)沿いにホテルが10軒(建築中もあり)もあった。「インバウンド・オリンピック」目当ての突貫工事で竣工だろうが、今は空室ばかりで、早くも「負の遺産」になってはいないかと心配した。

 小賢しいことばかりが目立つ政経状況だが「悠久の美しさ=巻雲」が、たっぷりと心を和ませてくれた。

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GAPと爺さんと赤い少女~ [散歩日和]

minami1_1.jpg 今は街中で多くの方々が「スマホ撮影」をしているので、「ストリートスナップ」も気兼ねなくできる。あたしは「東京見物のお爺さん」の呈で、きょときょと見回しながらシャッターを切る。

 新宿駅近く。「GAP」広告前で、居眠りをする爺さんがいた。GAP広告写真より冴えた青いジャンパー。おや、その手前を赤いリボン、バッグ、スカートの女の子が横切った。」パシャ・パシャ!。 うん、ちょっと〝ソール風の写真〟が撮れたかも。

 写真は素人で、カメラは古いコンデジながら、眼は「人と人、色と色の組み合わせ」の妙を探している。ソール・ライターに教わった「ストリートスナップ」で、街歩きの新たな愉しみです。

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「暖色」を求めて街歩き。 [散歩日和]

kanidoraku_1.jpg 前回「日テレ」スナップで「街には暖色系が少ない」と初めて認識した。ソール・ライターの似顔絵を、また画集『painted nudes』を参考にnude絵を描いた影響もあろうが、街歩きをすると眼が「暖色探し」を始めていた。

 写真は「かに道楽」の〝赤3点揃い〟に思わずシャッター。そこから伊勢丹交差点へ。道路反対側「マルイ本店」1階が「Apple新宿」。夜の店内から白と黄色が洩れ、赤いディバッグと赤いパーカーの金髪染めの女性。ちょっとゴッホ『夜のカフェテラス』風で二度目のシャッター。

 ウォーキングは月平均10万歩ほどだが、かくして街歩き=暖色や冴えた色彩探し、という新たな愉しみが生まれていた。そして翌日は小雨。ソール・ライターが撮ったような「赤い傘」に出逢えるかしらと思ったが、残念ながら赤は、看板とネオンサインだけだった。

akakinpatu_1.jpg 昔々『赤い帽子の女』なる幻のポルノ小説(一説では芥川龍之介作?)があったらしいも、あたしには「赤い傘」を撮るのも幻に思えて来た。

 現実の街には、冴えた暖色・青・緑がかくも少ないのに、絵画になると色彩躍動が多い。マティス、ピカソ、ミロ、ゴッホ、林武、そしてソール・ライターのnude絵も~。彼らに訊けば眼に見えぬ「色彩の洪水」を見るコツが分かるかもしれない。

 そんなことを考えているってぇとソール・ライターの「無機質な街だからこそ、俺のストリート・スナップのように、雪ん中のたった一つの赤い傘が効果的なんだ。そう、絵はまた別問題だなぁ」の声が聞こえてきたような。そうか、次は美しい色を効果的に撮るべく街歩きをしてみましょう。

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都庁・ピアノ・コロナ・五輪・嘘つき [散歩日和]

tocyo45_1.jpg 26日報道で、新型コロナウイルスの影響で「都庁45階展望室」が一時閉鎖とか。訪問客は年間200万人らしい。

 小生も同展望室からの、東は超高層ビル群と海越えの房総半島、西は富士山までの眺望が好きで時に訪ねる。元気ならばウォーキングを兼ねて訪ね、空の塩梅が良ければ、ソレッて感じで大江戸線に飛び乗って「都庁前」下車。いつも外国観光客でいっぱいです。

 その展望室に、昨年春頃から〝草間彌生の水玉模様の装飾ピアノ〟が置かれ、腕自慢たちが順番を待って次々に演奏。生ピアノが展望室に響き、それは凄い迫力です。写真は閉鎖前の「ストリートピアノをストリートスナップ」。

 新型コロナウイルスの影響は、都庁展望室に限らず、唐突な「小中高校と特別支援学校の臨時休校の要請」に及び、日本中が大騒ぎになっている。感染者は「南極以外の全大陸」に及んでパンデミック(世界的流行)の様相。オリンピック開催も怪しくなってきた。

「モリカケ~桜を見る会」などの様々に続き、〝彼〟はまた今夕の記者会見でどんな嘘をつくのだろうか。(追記:幼児性が伺える薄っぺらなパフォーマンス。どん底まで堕ちた記者クラブ。それらに振り回される悲しき国民~)

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ツンツンと吃立する街・東京 [散歩日和]

tatutokai_1.jpg 「あぁ、夕陽が見たい」と思った。大島ロッジは東海岸沿(西向き)で、海に沈む夕陽が美しい。東京の我家は、西側にマンション隣接で西の空が見えない。「そうだ、都庁展望台へ行ってみよう」。

 新宿西口の高層ビル群を縫って都庁展望台へ。昼、晴天なり。西の彼方は「太陽光+眩しく白い空+雪の富士山」で〝白ボケ〟の遠望。写真も撮れなかった。南方向へ眼を移すと~。

 手前に「NTTドコモ塔」が聳え、その右奥に新・国立競技場。その向こうから東京湾まで超高層ビル群の吃立。華道の〝剣山〟のように、ツンツンと尖った感じ。不動産の再バブル、五輪後の日本経済凋落の噂も耳にしないでもない。

 タワーマンションに住み、超高層オフィスビルで働く人も多いのだろう。その裏に「東京一極集中(地方都市疲弊)」がある。例えば、かかぁが好きなテレビ番組「秘密のケンミンSHOW」出演者全員が各県出身者で東京暮らし。※24日の厚生労働省発表の今年の出生率−死亡数=自然増減数=マイナス51万人。まぁ1年間で、ほぼ鳥取県人口分が減少して行くってことらしい。

 すでに子供時分を東京で過ごした大人たちは少数派。子供時分の路地裏・縁日・盆踊り・ベーゴマやメンコに竹馬・空き地・行商の声~。みんな土の臭いがした。

 加えて今、都庁展望台にいる8割強は外国観光客だ。我がマンションの張り紙もハングル文字・中国語・英語併記。子供時分には思いもしなかった暮らしに「あぁ、長生きし過ぎたかなぁ」とも思う。

 時に「夕陽・夕焼け」が見たくなるのは、どこか、そんな郷愁と結びついているような気もした。「あぁ、夕陽が見たい」。

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そうだ十条、行こう。 [散歩日和]

jyujyoginza_1.jpg テレビに十条銀座が映っていた。「そうだ十条、行こう」。寝そべってテレビを観ていた老妻を誘って十条銀座へ行った。東新宿~池袋~十条駅。「肥溜めを出でてななそじあぁ十条」と呟けは「何ソレ」と言われた。

 十条は北区。我家は北区隣接の板橋区で、最寄り駅が十条駅だった。十条銀座メイン通りから左へ折れる「十条仲通り」に面した商店裏に、まだ畑があった時分のこと。そこで遊んでいて「肥溜め」に落ちた。悪臭漂わせ泣きつつ家に戻ると、バアさんが井戸の洗い場に裸で座らせ、水をジャージャーと掛けてくれた。

 十条銀座は、昔の店も面影も残っていた。「十条仲通り」のカメラ屋も営業を続けていた。小生初のカメラは「ペンタックス」で、同店内に店主撮影の〇〇賞受賞やカメラ雑誌掲載の写真が飾られていて、私は店主に露出、シャッタースピードなど撮影技術を教わった。

 「仲通り」を抜けて「姥が橋のお地蔵様」傍にあった「千代の湯」を探したが、もうなかった。子供時分は北区「千代の湯」か、板橋区「稲荷湯」のどちらかへ通った。毎年夏の「お地蔵様の縁日」も賑やかで楽しみだった。その通りに面したパン屋?だったかのお姉さんが、テレビ歌番組のバックダンサーで出演していた。

 十条駅近くの中華屋で600円「五目そば」を食った。新宿の850円「五目そば」より断然旨かった。帰りは埼京線「池袋」の次が「新宿」で、これは便利だと驚いた。新宿の伊勢丹デパ地下で夕飯を買ってブラブラと歩いて帰った。

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御苑と水明亭と新宿厚生年金会館 [散歩日和]

kokuritusanpo_1.jpg 大げさに云えば、木々の1本づつまで知っている新宿御苑だったが、今年春に入園料が200円から500円になった。貧しい小生はパタッと行かなくなった。忘れた御苑だが「桜を見る会」騒動で、彼らが入場料を払うはずもなく~。

 そう思って御苑情報をサイトで見れば「高齢者250円」也。ならばと自宅から徒歩で御苑へ。500円が影響したのだろう、近在者は足を運ばず、観光客(外国人)ばかりの公園になっていた。追記:12日の新聞に、記者が「園内の環境省新宿御苑管理事務所に〝1日の来園者数〟を電話で尋ねたら「事前に原稿チェックを」と仰天要求してきたとあった。我が国は、そんなことまでも報道官制をするようになったのか。

 小生「紅葉好き」だが、写真上の朽ちた葉があの顔この顔にダブってきた。「何時までしがみついて国政・税金を私物化してんの。早く散れ・散れ!」と叫んでしまった。日本がどんどん悪くなっている。

 御苑内から「千駄ヶ谷門」を抜けた。門の外で左を向けば国立競技場が見える。JR線を潜れば「千駄ヶ谷駅」。国立競技場の千駄ヶ谷門前で「水明亭ちゃんぽん」を食べようと思ったら「あらぁ~、水明亭がない」。

 スケート場の隣が、昔は「神宮プール」(クロールの長距離練習で通ったことがある)で、フットサル場になって、いまはその跡地に「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア」が先月22日開業とか。同ホテル庭風の呈で、水明亭跡が公園(写真下。手前側が公園)になっていた。

 昔の水明亭脇(今は公園の奥)のJRを跨ぐ橋を渡って、慶應義塾大病院裏の大京町路地へ。四谷4丁目から富久町へ坂を下る。昔、坂途中の石造り玄関のビルに、フジテレビ系の〝コバンザメ〟と自嘲した「メディア・レモラス」(お笑いプロデューサー横澤彪氏が社長)があって、同社の仕事もしていた時期があった。そこから靖国通りを新宿方向に左折。

 小生、フリー仕事が忙しくなって最初に事務所を構えた場所が、昔の新宿厚生年金会館と並びのマンション。よくコンサート取材をしたものだが、同会館跡は長い間工事中で、今年3月に「ヨドバシカメラ本社」になっていて驚いた。

 歩かなければ気付かぬ街の変化の数々。併せて都内を歩けば、昔のあれこれの思い出が甦ってくる。久し振りの1万歩ロングウォークでした。

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国立競技場の植栽とパノラマ撮影 [散歩日和]

63kokuritu_1.jpg 1万歩ウォークで、千駄ヶ谷・国立競技場を一周した。各階の外周に草木が植わったプランターが並び、地上の植栽も始まっていた。

 完成予想図で感じた〝緑豊かな〟印象はなく、木材多用イメージだったが各階鉄骨天井に板が張られた程度で、木の印象もなかった。今後の仕上げで変わってくるのだろうか。

 小生、20歳の「東京オリンピック」では東京脱出組だった。今回のオリンピックへの関心も希薄。この巨大な競技場を見上げていると、国家イベントゆえにアスリートが為政者に取り込まれている気がしないでもなく、ちょっと心配になってきた。

kucya_1.jpg すでにテレビは「放送法4条」とやらで縛られ、為政者にへつらう人物が番組審査委員長だったりしている。テレビを主な生活の糧にする芸人らも、風刺諧謔の尾を丸めているような~。むりもなかろう、すでに官僚らは〝忖度〟した人生を歩み始めている。

 国立競技場はじめの五輪の膨大経費。戦闘機の巨額購入。「イージス・アシュア」導入では、秋田市配置調査でグーグルアースから算出の呆れたお粗末。年金生活に2千万円足らずも明らかになった。今朝のニュースでは、女性ファッション誌によるモデル起用の自民党とのコラボ企画が報じられていた。「そこまでやるか!」と腰を抜かすほど驚かされた。

 国立競技場をスマホでパノラマ撮影したら、車3台がクチャと潰れていて、面白い絵になっていた。何故こうなるのだろうか。オリンピック終了の頃の日本も、何かが「クチャ・クチャ・クチャ」と潰れていて、不景気に襲われ、老人らの悲鳴が満ち、民主主義も無視され、若者らも明日に夢を託せぬ~とんでもない日本が始まっているような気がしてきた。

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恵比寿のビールは登山靴の味がした [散歩日和]

cyoubou_1.jpg 高2の夏休みに、恵比寿のビール工場でアルバイトをした。お金が欲しかったんです。すでに「山岳会」に入ってい、冬山に備えて「本格皮製のオーダー登山靴」の必要に迫られていた。

 「エビスビール記念館」の昔のビール工場模型を見つつ、高2のバイトの日々が甦って来た。そこでビールを飲めば、修学旅行費を親に内緒で山の経費にし、厳冬期南アルプスの縦走、亡くなった北壁挑戦の先輩らのことなど山の思い出がドッと甦ってきた。もう登山が出来る歳ではなく、山の代わりに「恵比寿タワー」からの眺望を愉しんだ。

ebisukarakita_2_1.jpg 39階(167m)から北方を見ると(写真下)、渋谷の新ビル群が見えた。今秋開業の「渋谷スクランブルスクエア」の屋上「渋谷スカイ(230m)」の眺望が楽しみです。神宮の森の先が新宿の高層ビル群、右にNTTドコモ代々木ビル。

 次に北東側を見る(写真上。山頂から眺望する姿をマウスで描き加えた)。左から「東京ミッドタウン」「六本木ヒルズ」、手前の茶色2棟が「同レジデンス」。三角錐が壁に張り付いたような「六本木グランドタワー」、高低差ある3棟の濃靑ビルが「泉ガーデン」(下に荷風旧居跡碑あり)、上部へ曲線で絞られた「アークヒルズ仙台山森タワー」、トップ形状が特徴の「虎ノ門ヒルズ」。その後ろにスカイツリー先端が覗く。斜め手前の薄茶キノコ状が「元麻布ヒルズフォレストタワー」。トップを絞った「愛宕グリーンヒルズ」が2棟。屋上が円型の「ヒルズ」、隣のより高いのが「MORIタワー」。そして東京タワー、東に湾岸風景~。

 小生の高層ビルからの眺望好きは、若い頃の山登りの影響があるのだろうか。だが峰々の眺望に比し、高層ビル群の光景は、いま生きている人間の業・欲・営みの姿だろう。鎌倉~室町の禅師・庭師「夢窓疎石」にこの眺望を見せたら何と言うだろうか~。

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高2バイトの恵比寿ビール工場へ [散歩日和]

ebisu5_1.jpg 新聞に恵比寿のイラストマップが載っていた。「そうだ恵比寿、行こう」。

 過日、若い時分の渋谷体験を探しつつ、変貌する渋谷を歩いてみた。その時に町が変貌し過ぎて「昔の思い出」が結びつかない例として「恵比寿」を挙げた。

 高2の時に、恵比寿のビール工場でアルバイトをした。その思い出が「恵比寿ガーデンプレイス」とどうしても結びつかない。確か夏休みのバイトで「営繕課」配属。ブロック小屋作りを手伝ったり、木樽ん中のアルミ製球体に亀裂がないかをスコープライトのような物で検査をしたりした。

 社会人になってからも恵比寿の思い出がある。線路脇にあった録音スタジオで、楽曲のラジオスポットを制っていた時期もある。ナレーターは「小林克也さん」でY社とPC社の楽曲。いつも5曲ほどの各15秒、20秒、30秒パターン。5曲×3パターン=計15の台本。


ebisu2_1.jpg ストップウォッチ片手に、楽曲のどの部分を使い、ナレーション原稿を考えて嵌めて行く。ナレーションは楽曲キャッチコピー風を軽快語り。自分でナレーションを語って秒数計算。概ね時間ギリギリまで格闘してスタジオへ向かった。何曲分かの台本を渡して、残りを脇のテーブルで書き仕上げていたりした。「克也さん、そこをDJ風に英語で張って下さい」など。あの日あの時の事を思い出す。

 恵比寿の電算写植屋へ仕事を頼んでいたこともある。小生が中年オジさんになると、演歌系の仕事が多くなった。恵比寿に事務所を構える歌手の仕事も永く続いた。演歌を代表する男女歌手のスポーツ紙連載(ゴースト)の担当者に呼び出されて飲む場も恵比寿だった。

 平成6年(1944)に「恵比寿ガーデンプレイス」開業。高2の時のアルバイトをチラッと思い出したが、特別な用事もなく同地に足は向かず仕舞い。で、今回初めての「恵比寿ガーデンプレイス」です。

 まず最初にイラストマップで知った「エビスビール記念館」へ。平日だが試飲2杯のガイドツアー(500円)の客が大勢いた。エビスビールの昔の写真パネルの数々をガイド嬢が説明をしている。その脇に「昔のビール工場」模型があった。「フムフム、働いていたのはあそことここで~」と思い出しつつ模型に見入った。息子より断然若いガイド嬢が近づいてきて「ご説明しましょうか~」。

 当時、高2のあたしは、お金がどうしても欲しかったんです。(続く)

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つま先立ちで「ヴィーナスのえくぼ」 [散歩日和]

siriekubo_1.jpg 起床。まずコーヒーを淹れる。最初は20秒ほど蒸らす。後はゆっくりと注ぐ。せっかちゆえ、その待ち時間に「つま先立ち運動」をするのが習慣になって久しい。その結果だろう、下腿三頭筋が浮き上がっている。左図は吾の誇張なしスケッチですぞ。

 ある日、ふと「つま先立ち運動」を「踵をつけた八の字」でやってみた。するってぇと、尻上部と背筋下部辺りがビリリッと効いた。「あっ、ひょっとすると、この筋肉が大事なのかも」。以来その形で「つま先立ち」をするようになった。すると長時間歩いていても上体を支える疲労感が消え、歩く姿勢も良くなったような気がする。

 調べてみると、踵をつけた八の字のつま先立ちは、尻上部と背筋下部の筋肉を発達させ、そこに「ヴィーナスのえくぼ」が出来るらしい~説明があった。それはまた俯せで上体を起こす(反る)、下半身を上げる運動でも同じ効果が得られるとか。爺さんが言うことではないが、それが「美尻ポイント」とか。

 さて、それによって、長時間歩いても疲れなくなれば、今度はもう少し早く歩いてみたくなる。歩くのが早い人っていますよね。これは男女に関係なく、歩幅でもなく、足運びのテンポの速さのような気がします。歩いていると、そんな早歩きの人に抜かれ、なかなか追い着けません。

 かくして目下は、早く歩く練習をしています。それには、どの筋肉を鍛えたらいいのだろうか。若い時分は早歩きだった婆さんに訊けば「お爺さんはほどほどが肝心。無理をすると危ないですよぅ」と笑いやがった。

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貪欲に三つ巴かな蝦蟇 [散歩日和]

kaeru_1.jpg 2月の歩数計が目標の10万歩に至りそうもない。そこで「梅は咲いたかぁ~ 桜はまだかいなぁ~」と口ずさみつつ新宿御苑へ向かった。

 梅も寒桜も咲いていた。「おや、聴き慣れぬ鳥の声~」。双眼鏡で覗けば、鳥ではなく不気味な軟体物の塊の蠢き。眼を凝らし観れば、ヒキガエル(ガマガエル)3匹が絡み合う姿。

 3匹交接?と思ったが、それは人の性の概念で蛙を思う不見識。蛙は卵に放精する対外受精。背に抱きつくのは交尾ではなく産卵を促す「抱接」とか。

 ちなみに蝦蟇の季語は夏。「蛙女房=蛙の目(妻)の位置が上=目上、年上女房」だって。昔々「カエル=帰る・還る」また沢山の卵から豊穣、の縁起物と説明され、亡父が彫った実物大ガマガエルの石の置物を貰った。捨てられず今もにベランダ片隅にあるが、お金は廻り還らず出ずっぱりの貧乏です。しかしこの歳でも歩ける身体をいただいたと感謝すれば儒教っぽいか。

 自宅~新宿御苑~文明堂で土産「どら焼き」を買って帰宅。計8,669歩也。写真は簡易カメラでピン合わず。実際もこんな感じで、眼を凝らさぬと蝦蟇3匹とは分からなかったんです。春到来。

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月10万歩の「街歩き」続く [散歩日和]

hasetara_1.jpg 1月の「街歩き」は11万6千歩だった。日頃は新宿繁華街歩きだが、時に北・西・東へも歩く。惚けて1月にどこを歩いたかは思い出せぬが、歩き途中で撮ったスマホ写真から、印象に残った散歩3題を記す。

 1)金乗院(目白不動)へ:コースは穴八幡~大隈講堂~面影橋~宿坂通の急坂前が金乗寺。昔、早稲田通りに面した小ビルに在住で、傍に「鎌倉街道碑」あり。同街道が宿坂道へつながっていた。また高戸橋際マンション在住もあって金乗院はご近所。そして今回初めて墓地内へ入ったんです。目下「由比正雪」読書中で、江戸蜂起役で鈴ヶ森処刑の第1号?「丸橋忠弥」の墓があると知ったんです。掃苔後に目白通りへ出て、別の急坂を下って帰宅。約8千歩。

 同院は戦災焼失の目白不動(長谷寺)合併で、小生は昔、恥かしながら石柱の〝はせ寺〟が読めなかったんです。「くずし字のお勉強をしましょ」と思った理由のひとつ。扁額(寺額)は「神霊山金乗院慈眼寺」の〝神霊山〟。読めますか?

 2)近所の路地で昭和を発見:大久保コリアン商店街の北側裏に幾本もの小路地がある。過日、息子と孫が来た際に「面白い公園」を見つけたと言う。路地奥からは想像できぬ立派な「キリン公園」あり。ならばと、明治通り~山手線間の全rojide_1.jpg路地を歩いてみたんです。写真のような煉瓦の暖炉煙突のお宅もあり。戦前は軍人・文化人が多数ゆえ当時の面影だろう。全路地の探検から新宿繁華街を歩いて帰宅で7千歩。

 3)江戸川公園の崖から椿山荘:戸山公園~大隈講堂から神田川沿いの江戸川公園へ。さらに護国寺~定信の庭園「六園」があった大塚3丁目まで歩く予定も、梅満開に誘われて公園裏の崖の階段を昇って椿山荘正面玄関へ。目白通りの植木屋さんを覗き、別の急坂を下って芭蕉庵~細川庭園~面影橋~早稲田通り~帰宅で9369歩。さて、次はどこを彷徨いましょうか。

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鳥瞰の快感「カレッタ汐留」へ [散歩日和]

siodomehidari_1.jpg 小生〝高層ビル好き〟かなと思った。未だ「東京タワー」も「東京スカイツリー」も昇っていないが、先日は四谷区役所9階から国立競技場を見た。そのちょっと前には「都庁展望台」へ行った。数年前に浜松町「世界貿易センタービル展望室」を楽しんだ。自転車散歩途中に幾度も「文京区役所の展望台」へ寄った。

 一昨日の朝、「そう〝カレッタ汐留〟の眺望を楽しんでみよう」と思い付いた。自宅傍の「東新宿」から大江戸線に乗れば「汐留」下車で、地下道沿いのエレベーターに乗れば、そこが46階、地上200m。

 地下鉄の中で考えた。「小生の高層ビル好きって何だろうか」と。色々考えたが、確かな答えは出て来なかった。そんな気持ちで展望スペースに着けば、眼前眼下に広がる湾外風景にハッと思い当たった。

siodomemigi_1.jpg 小生の高層ビル好きは、この「俯瞰・鳥瞰」好きゆえらしい。鳥になって眼下を見る稀な視覚・感覚の妙。超高層階の住民、また高層階で働いている人々には日常だろうが、小生には稀で、非日常の視覚の妙。

 今までの俯瞰体験で面白かったのは、調布空港から伊豆大島への小型飛行機低空飛行の眼下俯瞰。だが楽しむには速過ぎて、やはり静止画像で落ち着いて俯瞰を楽しみたい。それが己の超高層ビル好きの正体らしい。

 かくして「カレッタ汐留」からの俯瞰眺望です。眼下に「旧築地市場」。昨日夕刊の1面トップが「築地跡地を国際会議場へ」だった。五輪時は車両基地で、その後に再開発されるらしい。完成は2040年とかで、小生はもうこの世にいないだろう。

 隅田川に架かるのは「勝鬨橋」。その先の「晴海大橋」も見える。築地前の橋が「築地大橋」で「黎明大橋~豊洲大橋」へ。昨年11月に暫定開通(環状2号線)。その先が月島ふ頭~晴海ふ頭(目下は五輪選手村建設中)~豊洲市場。さらに有明から台場、中央防波堤へ繋がっている。築地川を挟んで眼下右は「浜離宮」~「竹芝桟橋」。

 この俯瞰景色を見ていると、不染鉄「山海図絵」を想う。彼は大島・野田浜から伊豆半島を眺めつつ煙草をくゆらせて富士山から日本海までを夢想し、時空を超えた俯瞰図を描いた。あたしも絵描きならば、この俯瞰から大島からハワイを、そしてアメリカまでも描き足してみたい。

 さて、俯瞰眺望をカメラに収めた後は、地上に降りて浜離宮を虫のように歩き回ってから帰宅。女房に写真を見せると「あんた、先日の国立競技場写真だけれども、あの工事現場で過労死があったわよね。〝カレッタ汐留〟ってぇのは電通本社ビルでしょ。確か同社では何人かが過労死しているわよね。そこを忘れちゃダメよ。そう五輪招致疑惑、ロゴデザイン問題も電通がらみじゃないの」と言われた。

 テレビニュースが、歌舞伎町カラオケ店での暴力団発砲殺人事件を報じ、逃走バイクが「東新宿」駅辺りに乗り捨てられていたと自宅近所の景色が映っていた。あたしは部屋の扉の内鍵とチェーンを掛けた。

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定信を国立競技場見つつ読み [散歩日和]

yotuyakara_1.jpg 松平定信関連書を求めて四谷図書館へ(新宿御苑・大木戸門前)まで歩いた。目的の本を借り、久し振りに9階の喫茶店(モスカフェ)で頁をひもとこうと思った。

 店に入って「アッ」と眼を見張った。眼前に工事中の国立競技場が見えるじゃないか。カウンターのおばさんにコーヒーを注文しつつ話しかけた。「ここから競技場があんな風にみえるんだぁ」「えぇ、最初から最後まで毎日見ていますよぅ」と自慢げだった。

 御苑の景色を見下ろすばかりでなく、国立競技場の工事進行を楽しむに絶好の場所になっていた。次に四谷図書館へ行く時は、工事観察用双眼鏡を持って行きましょうか。

 それにしても五輪招致の賄賂疑惑の行方は? 2億3000万円が問題らしいが、招致総費用は89億円とか。その前の失敗に終わった16年の招致活動費は146億円だったとか。図書館で本を借りた後に250円のコーヒーを楽しみつつ、国税の〝甘い蜜〟を誰かがどこかで吸っているに違いないと思った。

 さて、お目当ての松平定信の書の「はじめに」を読む。定信は家臣や後世の人達に自分が賞賛されるべく、いかに立派な儒教的政治家で、文化保護・継承に務めたかを家臣に書かせ、不都合なことは隠蔽した人物だったと書かれていた。明治維新~終戦までは清廉潔白、「仁政」を貫いた儒教的政治家のイメージも、戦後に学問の自由、学術発展に従い、本当の実像が次々に明るみなって来た、と書かれていた。

 さて、2020年の五輪は、後にどう評価されるのだろうか。五輪招致関係で得意げだった方々のなかには、理由は様々もすでに〝イメージ失墜〟の方も出ている。

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夫婦連れ抜かれ追っての1万歩 [散歩日和]

nanposanpo_1.jpg 二日間、家に籠って「今年は世界中が嫌な状況に突入するなぁ」と嘆けば、かかぁが「お前さんが政治、世情を嘆いたってどうしょうもないよ。さぁ、歩いておいで」ってんで家を出た。

 今回は大久保通りを飯田橋方面へ。若松町を過ぎた辺りで、隠居小生を若い夫婦連れウォーカーが颯爽と追い抜いて行った。

 追いつこうとするも、その差は縮まらない。起伏のある「牛込柳町」から「牛込北町」へ。身体が辛い。信号に止められて、若い夫婦連れを見失った。飯田橋まで歩く積りも「神楽坂の賑わい」の中へ入った。ここまで約4千歩。

 神楽坂下の手前で右折し小露地に紛れ込んだ。間口一軒程の小店が黒塗りで統一されて並んでいた。そんな路地をクネクネと曲がれば「宮城道雄記念館」の案内標識あり。牛込中町の角「フールオンザヒル」なるビートルズナンバーの名の肉まんじゅう屋の壁に「大田南畝旧居案内」チラシが貼られていた。(写真下の①から②へ移転したと記されていた。出典は鈴木貞夫著『大田南畝の牛込中御徒町住所考』で、同書は中町図書館が蔵書)

 昔、小生が大田南畝旧居巡りをした際は場所特定表示なく、あたしは同地前「中町公園」の写真を撮って、南畝の家があったのは公園の反対側と記したことがあった。

nanpookati_1.jpg その道を西へ進むと、その「新宿区中町図書館」あり。新宿11図書館のなかで、同館のみ蔵書の例もままあって幾度か訪ねたことあり。牛込北町~市ヶ谷田町の道を横断し、そのまま西へ歩く。左に「牛込第三中」。その先に〝奇をてらった代表例〟みたいな某芸人宅あり。その先に渋く粋な裏千家東京出張所、大正8年建築の欧州山荘風の家(旧・野本耳鼻咽喉科医宅)など、多彩な建築ストリートです。

 「おや、この辺に最近来たことがあるなぁ」と思い出せば、徳川宗家(家達)との確執で役所辞任して民俗学専念の柳田国男旧宅が一本裏の道だ。大久保通り反対側には「林羅山一族の墓所」もあり。自宅帰還でやや歩き過ぎの計10,590歩。

 今年は日本を含み世界中が次第に嫌な状況突入と気分が沈んでいたが、しばし江戸に遊んだ楽しい散歩でした。イラストマップがもっと上手に描けたらいいなぁ。

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今年は月十万歩の〝街歩き〟 [散歩日和]

kokuritumatu_1.jpg ブログは空から地へ。貧乏隠居は読書(&お勉強)中心ゆえ運動不足。足腰が萎えます。少し前までは自転車に凝っていました。しかし半日も乗り続けていれば、路面凸凹衝撃が腰や脊柱に良いワケもなく、今はもっぱら街歩き(ウォーキング)。読書に疲れたら「さぁ、お散歩に出かけましょう」です。

 スマホに「万歩計アプリ」を入れたのが昨年2月。同月累計58,396歩。そして12月累計が102,746歩。「脊柱狭窄症」が改善され、歩く力も甦りつつあります。この調子ですと三浦雄一郎を真似てどこかの山に挑戦したくなります。(若い頃、PRマン時代に彼のエベレスト・スキー滑降壮行会かのイベントスタッフ要員にかり出されたことを思い出した)

 さて、小生の歩き方や姿勢が悪いのでしょうか、スニーカー踵底が外側へ斜めに減ります。「NB」から「Nike」、そして年末に「FILA」へ買い替えました。新スニーカーで大晦日に国立競技場まで歩きました。

pano.jpg_1.jpg 自宅~新宿御苑・千駄ヶ谷門~国立競技場。いつもは東京体育館から競技場の写真を撮りますが、東京体育館は改修工事壁で囲まれていました。国立競技場は木材が張られ始めました。隈さん設計は、鉄筋の上に木材を貼り付ける工法らしいです。

 競技場をぐるっと回って、長崎ちゃんぽんの「水明亭」~中央線を跨ぐ「無名橋」~大京町~富久町~不正入試の東京医科大~新宿文化センター経由で11,400歩。今年はこの調子で月累計10万歩の〝街歩き〟を愉しみたく思っています。

 先日は「新江戸川公園」まで歩きました。芭蕉庵寄りに新しい門が出来て、正門看板は「肥後細川庭園」に名称が変わっていました。振り返れば、同公園の山を登って「永靑文庫〝春画展〟」を観て以来の同公園訪問。昨日も歩きで久々に都庁展望室へ。沿岸方面がよく見える南棟展望室が工事中で北棟展望室へ。

 国立競技場でスマホ「パノラマ撮影」を試みるも出来ませんでしたので、都庁展望室でパノラマ撮影の練習をしました。今年は街歩きに併せ、もう少しスマホを使いこなしたく思っています。(写真は共にスマホ)

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華燭より散る落葉らの艶やかさ [散歩日和]

akikenran_1.jpg どうです、この秋の豪華な光景。金糸銀糸の花嫁衣裳、金襴緞子の帯よりも、数段に鮮やかです。

 この豪勢な〝散り様〟を見ていますと、小生は肩書・地位なく、功徳もせず、まして大樹でもありませんから、散る時は一人〝ひっそりがいいなぁ〟と思いました。

 目下、儒教・朱子学系を読書中です。どうやら儒教は「孔子=儒=巫祝=喪礼・儀礼=礼・仁」が核のようです。さらに朱熹の朱子学確立は、鴨長明の時代と被ります。やっぱり儒教より日本隠者の〝ひっそり、さっぱり〟がいいなぁと思います。

 ブログは次から「儒教」お勉強シリーズです。

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老妻の車椅子押し紅葉狩り [散歩日和]

oimomiji1_1.jpg 新宿御苑の続き。逆光に輝く紅葉へ向かって、車椅子を押す老人の姿があった。

 あたしより幾つか上の世代だろう。彼らの幼き頃に戦時中の疎開や東京大空襲の体験があったかもしれない。

 あたしも近い将来には、婆さんの車椅子を押しつつ、御苑の四季を愉しむと決めていた。

 だが自分の方が先に、脊柱狭窄所や腰痛で歩行が辛い日々を迎えた。目下は克服中だが、先日の御苑ウォークでは、あたしの方が先に音を上げた。あたしは、もう少し頑張らなければいけない。

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吾は長らへ同じ景を見ゆ [散歩日和]

kareha_1.jpg 御苑〝秋の風物詩〟に、プラタナスの枯葉で埋まるベンチがある。

 写真を撮った後で、同じ写真を8年前にも撮ってアップしたと気付いた。その見出しが「枯葉降り老いを呑み込むベンチ在り」

 この枯葉を近所の高校生らが掃く光景も見た。8年前に見た高校生らは、すでに社会で活躍していよう。比して吾が〝老い暮し〟変化なく、また同じ情景を見ている。

 写真が同じならば少しは進歩・変化をと、短歌に初挑戦。「年毎に落葉掃き経て旅立つ子 吾は長らへ同じ景を見ゆ」 うむ、無理あり。短歌のお勉強も始めましょうか。

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煩悩を枯葉に乗せて無我の境 [散歩日和]

meiso_1.jpg 再び新宿御苑を歩いた。世界放浪風の外国青年が、大樹の下で瞑想していた。

 ビートニック、ピッピ―が流行った若い頃に、鈴木大拙の禅の書を幾冊か読んだ覚えがある。

 別の場所でも、座禅を組む青年がいた。頭上に枯葉が輝いていた。煩悩を枯葉に乗せて流す~。そんな文をどこかで読んだ気もする。

 秋っていいなぁ。(後姿だが写真は止めてスケッチにした)

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白鷺や姿写して日がな哉 [散歩日和]

daisagi_1.jpg 新宿御苑で撮った。ダイサギだろう。郊外には〝サギ山〟なる繁殖地もあるらしいが、都心で見るサギは、概ねロンリー。どこか遠くの塒から飛んで来て、餌を食って、夕方に帰って行くのだろうか。

 餌を探し狙う姿は、何時だって、とても静かな佇まいです。手足微動だにせず集中・没頭。禅僧が瞑想でもしているようです。

 新宿は花園神社のお酉さまも終わって師走の街です。人の落ち着きのないこと。

 そんな世にわれ関せずの、サギの静かな佇まいを、のんびり見ている隠居のあたし。



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激変の渋谷ウォーク [散歩日和]

sibuyaroji_1.jpg 前回の続き。いざ渋谷へ。まず10代の頃のバイト先・喫茶店「リルケ」を探す。スクランブル交差点を渡って、京王井之頭線と道玄坂に挟まれた入り組んだ路地のなか。

 おぉ、見知らぬビルが建っていた。井之頭線を懐にした細長いビル「渋谷マークシティ」。「リルケ」は同ビルに呑み込まれたか、いや、その前に昔の面影の露地が僅かに残っていて、その一画にあったか。余りに昔のことなので記憶薄れて場所の特定に至らず。

 その「渋谷マークシティ」は平成12年(2000)開業とか。1・2・4階が井之頭線渋谷駅に直結した25階建て。地下に「東横のれん街」。5階が高速バスと羽田・成田へのバスターミナル。他が商店35店舗と「渋谷エクセルホテル東急408室」とか。

IMG_6651_1.JPG 次に246際の「東急プラザ渋谷」も工事中。18階建ての「渋谷フクラス」が来年秋に開業。1階が一般路線バスや空港リムジンバスが入って、上が商業階とオフィス階。屋上に広場が出来るらしい。

 工事中の同ビル脇の246を歩道橋で渡って、次は「渋谷エピキュラス」を探す。ちょっと迷ったが見覚え有る坂があった。坂を登り切った処に「ヤマハエレクトーンシティ」看板で閉鎖中の「元・渋谷エピキュラス」があった。ここは「桜丘口地区市街地再開発地域」で解体工事直前。なにやら「桜丘町〝まちじまい〟」とかのアートイベント中らしかったが当日は休館。「エピキュラス」最後の姿を見ることができた。

 その高台から東の写真を撮った。手前の建物は全て再開発され、線路向こうに新しいビルが三つ見えた。ガード下を通って、明治通り側に出る。昔の東横線渋谷駅続きの線路地に、ビル外観が白パネルをランダムに張り付けたようなビル「渋谷ストリーム」。35階・地下4階。オフィス、店舗、ホテル、ホールを有した大型複合ビル。「大階段」前が渋谷川で、川壁面に水が流されて広場っぽくなっていた。

epicukara3_1.jpg そこから歩道橋を渡って、既に開業の「渋谷ヒカリエ」へ。エレベーターを二つ昇ったホールから渋谷駅を見る。眼前に「渋谷スクランブルスクエア」の東館47階が聳えていた。これも来年秋に開業とか。地下2階~14階までが商業域で、17~45階がオフィス。45階の屋上が全面展望施設「渋谷スカイ」。地上230mの展望が楽しめるらしい。2027年には中央棟、西棟も建つらしい。

 以上、激変中の渋谷レポート。振り返れば小生の小・中・高校も今はない。東京の故郷は消滅し、この世にデベロッパーが存在する限り、街は限りなく超高層都市へ変貌し続けるのだろう。北海道から上京した中島みゆきは、東京をどう歌っているのだろうか。

 写真上は取り残された露地。写真中は元・渋谷エピキュラス。写真下は同地から渋谷東口側を見る。「渋谷ストリーム」奥に「渋谷ヒカリエ」左に「渋谷スクランブルスクエア」。

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激変中の渋谷の思い出 [散歩日和]

scramble_1.jpg 江戸時代で遊んでいると〝今〟に疎くなる。テレビが「渋谷激変中」と報じていた。かつて街が余りに激変し、何が何だかわからなくなった事がある。

 高校2年、「恵比寿ビール」でアルバイトをした。それで当時4、5万円程の登山靴を入手したが、後に同地が「恵比寿ガーデンプレイス」になって、高校時代の記憶と今の風景がどうしても結び付かない。

 平成3年に大島にロッジが建った際に、幾度も車で「豊洲ふ頭」まで荷物を運んだ。23年後に豊洲へ行くと、あの時の「七島海運」が何処にあったかわからず、全く別の街が広がっていた。記憶寸断の同地だが「豊洲市場」は、造成中の脇を幾度も自転車で走ったから、そこに何が建とうが土地勘は揺るぎない。

 そうか、激変過程を一度でも眼に入れておけば、後で〝きょとん〟とすることもないと気付いた。そんな某日のウォーキングを、激変中渋谷の〝我が青春巡り〟とした。

 渋谷の最初の思い出は10代の頃。東京オリンピック前で、渋谷西口のバスターミナルの向こう側の露地奥にあった喫茶店「リルケ」のバイトだった。『リルケ詩集』を読みつつドリップコーヒーの淹れ方、サンドイッチの作り方を覚えた。

 当時の喫茶店はどこもそうだったと思うが、ネル(布のフランネル)ドリップで何十杯分も抽出し、オーダー毎に一杯ずつ温め直して出す方法。ドリップの技を仕込まれた。初めて棒タイを結んだ。後でベン・ケーシー風の白衣姿になったように記憶する。やがて店長に誘われて、新宿西口の大喫茶店に移ったが、あの頃の「リルケ」は今どうなっているのだろう。

 それから10数年後の30代最初に、再び渋谷に通った。「銀座ヤマハ」の会報編集を請け負っていて、その担当者がヤマハ音楽振興会・宣伝部への人事異動に小生を連れ込んだ。当時の宣伝部は「渋谷エピキュラス」にあって、未整備だった所属アーティストのプロフィール資料や、彼らの活動紹介の定期ニュースリリース、新曲宣材のコピーなどを書き始めた。

 「エピキュラス」のスタジオと宣伝部を、裸足の中島みゆきが走り回っていた。彼女の『魔女の辞典』シリーズは、エピキュラスから同社宣伝部が目黒に移った直後だったか。小生が設問を出し、彼女がちびた鉛筆をなめなめしつつの感で書き込んでくれた。

 小生ずっと新宿暮し。遊びも買い物も新宿中心で、隠居すれば仕事で渋谷へ行くこともなくなった。御無沙汰の渋谷は今どう激変中なのだろうか。昔々の喫茶店「リルケ」や「エピキュラス」はどうなっているのだろうかと歩いてみた。写真は渋谷駅の上に建つ「渋谷スクランブルスクエア」。来年秋頃に開業らしい。(続く)

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衰えまいぞ真夏散歩の四千歩 [散歩日和]

akinosora_1.jpg やっと秋めいた空。ウォーキングに適した季節へもう少し。その為にと今夏は〝熱中症危険〟なれど、少し頑張って歩き続けていました。

 実は昨年夏、脊柱狭窄症による足裏シビレ、加えて俄かに汗かぶれ(アレルギー)で、冷房装置の部屋に籠りっきり。秋になって歩き出せば、えらく辛かった。とりわけ脊柱起立筋下部が辛く、足首や膝が抜けたりでのトホホ状態。

 年寄りが2ヶ月も家に籠っていると、かくも歩けなくなるのか。「クソッ、負けてたまるか」で歩き続けました。ややして尻の筋肉がモリッと動いているのを自覚したりで、次第に足腰の筋肉が復活。秋から冬、そして2月某日、自宅から伊勢丹を過ぎても好調で、千駄ヶ谷に迷い込んでの「千駄ヶ谷物語」を書くことに相成候。

 そんな反省があった故に、今夏は猛暑日も頑張って自宅~新宿伊勢丹往復「暑中散歩」を続行。酷暑が堪え難ければ、冷房の効いたデパート内ウォーキングです。

hosukiroku_1.jpg 例えば自宅から新宿「世界堂」でお気に入りボールペンを買い、「伊勢丹地下」でシューマイ弁当を買って帰宅すれば往復4646歩。そんな或る日、汗だくで同年輩友人店に立ち寄れば「なんでぇ、たった4千歩か。俺は毎朝、孫の保育園送迎だけで5千歩ゆえ、1日1万歩だぜぃ」と抜かした。

 高齢者の理想的歩数はどれほどか。厚生労働省(2016年調べ)で男性70歳以上は1日平均4274歩で、理想は6700歩とか。写真は「高齢性の脊柱狭窄症、高血圧、痛風、汗かぶれ~患者」なる小生の、スマホ歩数計アプリ8月灼熱の日々4千歩の記録。ウォーキング外の日常生活も含めれば理想歩数でしょうか。

 もう少し秋めいてきたら、また千駄ヶ谷辺りまで歩き回れそうです。そう記したところで、島通いの友人から電話。「そんな体力があるのならば、島に行こうよ。ロッジが腐っちまうぞ」。

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