SSブログ
暮らしの手帖 ブログトップ
前の30件 | 次の30件

国立競技所を「バベルの塔」へ [暮らしの手帖]

kokuritu5_1.jpg 「スマホの歩数計」が、10月末であと少しで8万歩越えゆえ、新宿伊勢丹を越えて千駄ヶ谷まで歩いた。国立競技場の全貌が現われ始めていた。「あぁ、凄い建物を造っているなぁ」と巨大さにワクワクした。

  10月初旬に検査院が「オリンピック予算3兆円越え」と指摘。いや、実際は4兆円越えとの声もあり。

 五輪後に負の遺産もあろうが、誰も責任はとらないだろう。福島原発の責任も誰もとらない。呆れた財務省トップの責任もなしの、それはそれは〝美しい・美しい日本〟です。

 加えて安倍政権の「米製兵器ローン残高5兆円」で、それら兵器維持費もン兆円とか。すでに高齢者社会は始まっている。日本列島は災害多発で、復興に予算も回らない。更なる大災害も予測されているというのに~

 あたしは巨大な国立競技場を見つつ、屋根など造らず、日本の無責任政治を象徴すべく天まで届く「バベルの塔」を造ったらいいのに、と思った。

 隠居(老人)すると、この世に未練なしゆえ、遠慮なしの文句が増える。テレビは観たくもない顔ばかり。まぁ、露出度の多い偉そうなタレントは凡そ大嫌いだし、子供時分から泣いたり怒鳴ったりのテレビドラマも嫌い。観るテレビ番組は限られている。 

 政治も〝嘘をつくことが仕事〟と思っている総理が3選され、それを選んだ議員らも税金を食い扶持にする保身ばかりが透けて見える。政権に擦り寄り自ら〝なっちゃんです〟と云う薄気味悪い代表もいる。

 「あぁ、いやだ・いやだ」と鴨長明の方丈小屋を想ったりするが、そこまでスネなくも、せめて授かった残り少ない生に感謝すべく貝原益軒『養生訓』のお勉強に戻りましょうかと思う「こ・の・ご・ろ」です。

コメント(0) 

雪払ふ肩が恋しやはぐれ鳥 [暮らしの手帖]

inko1_1.jpg 都内4年振りの大雪、草津白根山噴火、米軍ヘリ今月3回目の不時着、相撲取りの不祥事、韓国冬季五輪の騒動、破棄した森友学園の文書開示~。そんな騒々しい1月23日のこと、我が身にも〝椿事〟あり。

 夕餉の食材買いの帰り、我がマンション数軒手前でスゥ~と白い鳥が横切った。かかぁが「アァッ」と指さし、小生「ハクセキレイ」。だがセキレイの飛び方でもなく、止まった辺りをよくよく見れば白と青のインコ。セキレイインコ(背黄靑インコ)。

 「あれまぁ」と見やれば、なんと云うことでしょうか、飛んできてかかぁの肩に止まった。「まぁイヤ~」と払えば、今度はあたしの肩に止まった。

 そのままエントレンス、エレベーターを経て7Fの我家へ。餌と水を与えたが(写真)、飲み食いほどほどに、すぐに肩や頭に飛び止まる。可愛がられていたのだろう。

 どうしましょう。糞もしよう。ならば鳥籠が必要か。いや飼えば最後までが責任だろう。元気な若鳥らしく、ワシらより長生きしそうだし、飼えば旅行もまままらぬ。

 餌も水も摂ったゆえ、外へ出した方がいいのかも知れない。ベランダに出るも肩から飛ぼうとせず。〝弱ったなぁ〟と何度も言いつつ、結局は払うようにして、やっと空へ。数年前にもベランダの手摺りに飛んできたインコを部屋の中から撮ったこともある。〝迷いインコ〟多いんですね。

 今年もベランダのローズマリーへメジロが遊びに来た。紐一本で着脱可能の餌台をセットすれば、新宿とは云え何羽のメジロが集い、ヒヨドリも来る。ヒヨはメジロを追い払い、糞もデカい。今年は餌台を止めようかしらと思案中。

 さて〝椿事〟と云えば、1月28日から伊豆大島〝椿まつり〟。この寒さに「椿にメジロ」が愉しめましょうか。

コメント(0) 

机上〝文鎮動物園〟 [暮らしの手帖]

buntinzu_1.jpg 「明窓浄几」は〝まぁ〟として「古鼎宋硯」の「鼎」は若い時分に通った新宿伊勢丹前の地下酒場。墨汁+筆ペン+コピー紙で「〝硯〟もほろろ」。窓外は「奇峰遠水」ならぬコンクリート建築群の遥か先に東京スカイツリー。

 かく「文房清玩」とは程遠い机上に〝ガラクタ文鎮〟増殖中。机には万年筆4本、無数のボールペンや絵筆もある。それらに各々の使い勝手があるように、文鎮群も夫々の役目と思い出がある。

①文鎮初入手の鶏。1000円。(池袋古本まつり):書道系書棚で発見。机の佇まいが妙に整う感じで、初めて文鎮を認めた。従来の「習字セットの金属棒」を捨て文鎮集めが始まった。この「鶏」はつまみ易く、文庫本などの見開き押さえなど稼働多し。

②牛。1500円。(池袋古本まつり):形悪く期待ゼロも、ズシリッと重い鉄の塊でお気に入りに。キーボードを立て掛け置く場合、この「牛」でビクとも動かぬ。

③鯉。2500円。(代々木公園の大江戸骨董市):絵を描く時、分厚い本の見開き押さえに稼働。この種の文鎮は数万円の工芸品級をよく見かけるが、これは某学校ノベルティー。

④仕掛け鍵の亀。2500円。(花園神社骨董市):仕掛け鍵で尾の錠が外れる。面白いので机に居る。インド製。

⑤銭山に乗る亀。1500円。(護国寺骨董市):小生の文鎮は粗悪品が多いが、これは細部まで精緻。小さく摘まみ易いのでメモなどにマメに使っている。

⑥REGALウエスタンブーツ型ペン立て。500円。(代々木公園の大江戸骨董市):同じのがヤフオフで6800円也。この種の骨董値はあってないものと教えてくれた。

⑦虎。800円。(花園神社骨董市):ウォーキング途中でつい手が出た。期待ゼロも意外に重くて気に入った。小生の文鎮価値は形より重さが肝心。

⑧象形文字の山。300円。(国際フォーラムの大江戸骨董市):女房がチェスト上に敷く正月、クリスマス用の金糸刺繍の帯が欲しいってんで、初めて骨董市に連れて行った。2千円の帯を5本購入。そのついでに買った。

⑨古代刀貨レプリカ。2500円。(護国寺骨董市):骨董市でよく見かけるが、本物とレプリカの違い不明。先日の司馬江漢調べでは数冊を見開き読み較べの際に大活躍。

⑩滑車付き分銅。1300円。(国際フォーラムの大江戸骨董市):「これは何だい」「こんなモン買ってどうすんの」「文鎮替わりになるかなと」「へぇ、そんな使い方もあるんだ。200円引きで持って行きな」

⑪象。1200円。(富岡八幡宮骨董市):画集を見開きで立て掛け鑑賞する時の押えになる。他にドアノック用装飾金具も買った。

⑫龍。2000円。(代々木公園の大江戸骨董市):これも重いのがいい。★机上ガラクタは12個まで。新文鎮購入で机上隠退の入れ替え制。

コメント(0) 

大腸内視鏡検査の告白(2) [暮らしの手帖]

naisikyou2_1.jpg 最初の大腸内視鏡検査(ポリープ切除)一ヶ月後にポリープの組織分析結果を聞く。「良性ポリープでした。取り残しがありますから来月にまた検査(切除)しましょう」。

 翌月の再検査(切除)は、スコープ挿入部がS字結腸から下行結腸への曲がりを緩やかにすべく難儀していたのだろうか、脇腹下にグリグリとした痛みを感じた。

 その一か月後に再び分析結果を聞く。大腸内映像を見つつ切除したポリープを映し、その細胞分析結果を聞く。「直腸辺りにあったやや大きなポリープも切除したから、これで安心です。また来年に定期検査を受けて下さい」。下剤で大腸をきれいにするなんてことも初めてだったし、ポリープも全切除。ホッと安心です。

 その一年後の定期検査日に仕事が重なってキャンセル。再予約すべく病院へ。そこで前回記した同年配の不安を抱く御仁に話し掛けられたってわけ。すでに二回の検査体験で先輩面でこう言ったものだ。「心配するこたぁねぇよ。ケツから突っ込むたって痛くもねぇ。とにかくやっちまえばスッキリ安心ですぜ。どうぞ心配せずにケツから突っ込まれて下さい」。

 御仁をそう励ました後に、小生が再予約すべく診療室へ入れば、前任医師から新人医師に代わってい、彼がこう言ったから腰を抜かすほど驚いた。「前回切除のやや大きなポリープが〝癌〟でしたから~」「ええっ、そんなこたぁ~聞いていねぇよ」。小生の荒げた声に、新人医師の表情がこわばって、慌てて組織分析の難しそうな説明を展開した。

 ここで何となく医者の裏側をチラッと垣間みた。前任医師は「切除したから心配なし。だが来年も検査を~」の言葉の奥には〝判断に少し不安もありますので、来年も検査をして~〟の意を含む患者の気持ちを配慮した〝こなれた説明〟だったように思った。比して新人医師の〝癌があったから〟は教科書通り直球の、なんだか〝青臭い〟弁のように感じた。

 そんな新人医師に検査されるのはイヤだなぁ。案の定、検査室での内視鏡操作はぎこちない気が充ち、それをベテラン看護婦が支える雰囲気だった。「まだ終わらねぇの」と焦れた頃にやっと終了。

 翌月、今月上旬に検査結果を聞いた。「すべて良性ポリープでした。ポリープが出来やすい体質かもしれませんので、当センターの医師としては二年後の検査をお薦め致します」。新人医師の弁が親切・丁寧になって急成長をしている感なり。当方はこれで大腸癌の心配は消えたが、この歳ではいつあの世に召されるかは分からない。

 なお、大腸のクネクネと曲がった形に沿って内視鏡挿入部が入って行くかと思っていたが、小生ネット調べでは、腸の複雑な曲がりを緩やかな湾曲に直しつつ内視鏡を盲腸まで入れて行くらしいと知った。図らずも「首のお勉強」から「大腸のお勉強」へとボディ・フィジカル面の関心が続いた。

コメント(0) 

大腸内視鏡検査の告白(1) [暮らしの手帖]

naisikyoukensa1_1.jpg 昨年、大腸内視鏡検査(ポリープ切除)を二度受けた。今年の定期検査日に仕事があり、再予約で大病院へ行った。待合席に座っていると、同年輩の男性がオズオズと話しかけてきた。

 「あのぅ、すでに内視鏡検査をお受けになったご様子で~。私はそれがイヤでイヤで逃げ回っていたんですが、家内がうるさくて」「そりゃ、誰だってイヤですよ。ケツから何かを突っ込んで調べるなんざぁ~」「そう、そうなんです」。彼は小生の検査体験を聞きたく擦り寄って来た。

 そんなことがあったゆえ「大腸内視鏡検査体験」を記すことにした。それは数年前のこと。新宿区の高齢者健康診断で「便潜血・陽性」。女医さん「大病院で内視鏡検査を受けて下さい」。「てやんでぇ~、その血とやらは痔のせいよ。でぇいち、ケツから何かを突っ込まれるような検査なんぞ、真っ平御免でぇ~」

 女医さん、その後も会う度に内視鏡検査を勧める。ふとした機会に息子にそれを話せば、会社の健康診断から内視鏡検査でポリープ切除したとサラッと言いやがった。ふ~ん、それが今の世の〝当たり前〟かと気付いた。ケツから突っ込まれることが大ごとで嫌悪を覚えるのは、古い人間ってぇことらしい。かくして半年後にやっと受ける気になった。

 当日の朝、「ニフレック」なる下剤薬を2リットルの水に溶かし、2時間で飲み切れと。1時間1リットルほどで便意。何度目かで便は水になり、小便のようにジャージャーと勢いよく排出。便器の溜まりが透明になった。

 下剤のイヤな味に、最後は吐きそうになったが、2リットルを飲み切った。大病院は近いゆえ、漏らさぬようゆっくりと歩いて行く。ケツが裂けた検査着で検査室ベッドに横たわる。痛みを感じぬ鎮痛剤(注射?)のせいかで、ケツから何かを突っ込まれる〝苦痛・屈辱感〟もなく、大腸内で何かがモゾモゾと蠢いている感じ。

 小1時間も横たわっていただろうか。ポリープを幾つも切除し終わって、看護婦がつぶやくのを耳にした。「数は多かったけれど、小さかったから大丈夫そうね」(大腸癌ではないの意らしい)。検査とは云え、ポリープ切除だから簡易手術と言ったほうがいいかも。検査・切除後は安静室で1時間ほど過ごして帰宅。(長くなったので、続きは次回~)

コメント(0) 

古釘(盧箸)の正体は? [暮らしの手帖]

durutetuhako_1.jpgfurukugi_1.jpg 〝クズ鉄集め〟をしていると知った姉が「法隆寺の古釘(盧箸)をあげよう。ちょっともったいないが、大島のストーブの灰箸にでもしたら」。箱書き付きである。

 箱書きが読めずに悶々としたが、どこにも「法隆寺」とは書かれていなかった。解読できぬ小生(未熟者)に、親切に教えて下さる方もいらっしゃるので「箱書き」もアップです。

 小生でも読める個所を読んでみる。箱横に「古鉄 盧箸」とある。茶道の炉(盧)でつかう〝盧箸〟。亡き母は江戸千家のお師匠さんで、姉もその道を継いでいる。

 本文は「蒼鋪(では意が通じない)ではなく舊鋪(ならば旧舗)古光(昔、古代か)可掬其可貴重固(?)無論其函材亦釘同時古而(ここは字の通り読め、意もわかる)〇理亦可珍因〇(?)/外箱併記其由伝当家宝云〇/明治三六年八月病症執筆 松涛庵主人彰誌」

 読めぬ字、意のわからぬ部分多多。情けなや。無理に解読すれば「昔の旧舗を掬って得た貴重な物。其の箱材も釘も同時期の古さで珍しい。外箱に併記した通り其の由伝で当家宝云々~」のような内容だろうか。

 ネットオークションで箱に「唐招提寺」の焼き印付き「古釘の炉箸」が定価6万円、販売価格3万円~で出品されていた。古釘の頭はそれと同じような丸型で、薬師寺の古釘頭は四角。さて数万円か、只の〝クズ鉄〟か。

 しかし、これは「文鎮」としては使えず、やはり島の薪ストーブ用にしましょうか。これで芋なんかを突っ通して「ストーブん中で焼く」なぁ~んてことも面白そう。姉夫妻が島に来れば、それでお・も・て・な・し。


コメント(0) 

文鎮ならぬ〝グズ鉄〟集め [暮らしの手帖]

buntingun2_1.jpg 〝がらくた文鎮〟集め続行中なり。骨董市は〝愉しい散歩〟でもあり。過日、再び東京フォーラム「大江戸骨董市」へ行った。目指すは数千円ほどの文鎮。これは骨董領域ではなく、間違いなく〝クズ鉄集め〟。

 意匠よりも、手に取った時の〝重さ〟が肝心。今回は重さが気に入って、使いもしないだろう滑車付き分銅(1300円)と「鯉の文鎮」(2500円)を買った。「鯉」には〝20周年小山台小学校〟なる文字が読めた。記念品だな。

 三歳の孫が遊びに来て、机の文鎮群を見て「あっ、お魚さんが増えた」と言った。PC好き孫と「なんの魚かしら」とネット検索すれば、同じのが載っていた。「高岡鉄器〝鯉〟2000円」。ありゃ~、500円高く買ってしまった。

 当初、これら文鎮群は「誰が何処で造っているのだろう」と思っていたが、これらは今も全国の鉄器、銅器、鋳物産地の工場で造られているらしいとわかった。有名彫刻家による高価な物もあるが、これら数千円ほどの文鎮は工場の片手間仕事か、ノベルティー(記念品)受注で造られているのだろう。

 今度は骨董市のお兄さんに「こりゃ高岡(富山県高岡市)が南部(岩手県・南部鉄器)か、いやぁ川口か山形鋳物かなぁ」などと呟きつつ買ってみようかしら。

 写真は稼働頻繁な3文鎮。右の「牛」の稼働率がすこぶるいい。鉄の塊ゆえズシリッと重い。キーボードを立て掛けてソコに置けばビクとも動かなくなる。「鶏の親子」は文庫・新書の見開き止め、筆写や水彩の文鎮に丁度いい。「鯉」は単行本の見開き止め、絵を描く時の文鎮に塩梅がいい。

 「鯉」は赤錆びていた。サンドペーパーで磨けば凸部が光り出した。「牛」はメッキを磨き落とせば、グラインダーで削った部分に鉄の照りが出た。そんな独り遊びでニヤニヤしていることもある。

 〝クズ鉄集め〟をしていると耳にした姉が「法隆寺の古釘をあげようか」と言った。函書き付きで、これが満足に読めない。次回はソレをアップして得意な方に解読していただこうと思っている。


コメント(0) 

島ロッジと運転免許証の相関 [暮らしの手帖]

kouresyakousyuu1_1.jpg 新宿・大久保と伊豆大島について記してきたので小生の「島のロッジと運転免許証の相関関係」を記す。年末に「運転免許証更新のお知らせ」がきて「高齢者講習修了証明書を持参せよ」。慌てて〝高齢者講習〟を受けるべく教習所へ電話をすれば「予約でいっぱいです」。日本中、高齢者ばかりなのだ。焦ってあちこちに電話をしまくる羽目になった。

 「上北沢自動車学校」がキャンセル有りで受け付けてくれた。いつだったか宮崎駿のテレビドキュメンタリー番組を観ていたら、氏が「高齢者講習会へ行ってきたよ」と共に受講の年配者らをスケッチした絵をスタッフに見せて「みんな、爺さん婆さんで驚いたよ」みたいなことを言っていた。氏も傍から見れば白髪翁だ。宮崎駿は1941年生まれゆえ、75歳以上の後期高齢者講習を受けたのだろう。

 小生も同年配の爺さん婆さんと一緒に受講。バイクや車は幾年も前に手放し済ゆえ〝免許返上〟をしてもいいのだが、島へ行けば車なしでは暮らせない。島では軽トラ・軽ボックスゆえ、教習所で乗る普通乗用車に不安があったも、まぁ無事に講習修了。

 免許更新は今は誕生日の前後一ヶ月。だがゴールド免許で誕生日前ならば、近くの都庁内の更新センターでOKで誕生日前日に行った。約30分で新免許証入手。今までは5年更新も、高齢者は3年更新。次は後期高齢者講習を受講してからの免許更新になる。

 どうやら今後は島のロッジ維持と免許証更新がセットで迫ってくる。一気に両方と手を切りましょうか。思案のしどころです。いやボケたら思案もままならぬ。さてさて~。今や日本の高齢者比率は4人に1人。島は平成20年で30%ゆえ、今は40%に近いのか。すれ違う車の運転手の2人に1人が高齢者となれば〝限界集落ならぬ限界離島〟になろう。

 それにしても市町村、いや国会議員もそうで、なぜに爺さんばっかりなのだろう。議員も若者(男女)中心で構成されなければ〝若者に魅力ある行政〟にはならず、明日を築く子らも産まれぬだろう。離島、いや日本の若者、爺さん連中に負けずに頑張れ・頑張れ!


コメント(0) 

クロッキー帖、二年目へ [暮らしの手帖]

croquis1_1.jpg 小生の〝ブログ絵〟を見た友人が、キングジムの「ショットノート」に描いてiPhoneで撮る(歪みなく撮れる)・管理する法をアドバイスしてくれた。すでに小生は今年初めからマルマン「CROQUIS」(SSサイズ、218×255)を手帳・メモ・簡単スケッチ用に使い始めてい、この年末で二冊共一杯になった。

 各百枚で、裏頁を使うことも多く、二冊で概ね三百頁が埋まった。二冊の使い分けは成り行き任せ。一冊は途中から「狂歌入東海道」のメモ帖になり、最終五十六作「内裏」までの調べメモがビッシリ続き、最後は「古文書講座」ノートになった。

 もう一冊はスケッチ他。北斎絵本『踊独稽古』の褌姿の〝悪玉おどり〟を女性に変えたシリーズをはじめ、ブログ絵になったものが多い。最後は「iPhone」の使い方メモ。ブログ絵にする場合は、一眼レフで撮ってPC上で編集(平行やトリミング、色の調子)してサイズダウンでブログアップ。元写真はCDRで保存管理。

 先日、四谷図書館へ行ったら『手帳で楽しむスケッチイラスト』なる書あり。手帳達人?らそれぞれがアイデアを紹介していた。クロッキー帖から手帳に換えた方もいたが、小生は描かぬ日あり、日に何頁も書く場合があって「日付け入り手帳」は向かない。

 他の方のアイデアで、描いた隅に「日付スタンプ」を捺すと言うのがあった。「これは良い」と、さっそく高田馬場の竹宝商会でシャチハタの回転ゴム印1450円を買った。

 手帳にスクラップ派の人も多かった。小生も十返舎一九の年表、美術展半券、幾つかの領収書などを貼っている。次に凝った方の例。フリクションペン(描き・消える)で下書き、そしてペン入り。それをデジタル・スキャンしてフォトショップで彩色。これはもうプロの領域。

 次に人物、風景などジャンル別に手帳を使い分けている方もいた。これも〝一考〟したい。小生の机辺にはすでに新クロッキー帖が四冊スタンばっている。一冊は早くも〝デジタルお絵描き〟の使い勝手メモ用になっている。

 また若い時分は縁のなかった病院だが、この歳になって病院へ行く回数も増えた。〝老体維持・管理帖〟なんてぇのが必要かも。病院はやたらと紙発行ゆえ、クリッピングのし易い一回り大きいSMサイズ(308×255)がいいかもしれない。さて、来年のクロッキー帖はどんな内容で埋まるだろうか。


コメント(0) 

重量級文鎮は抄紙機竣工記念 [暮らしの手帖]

syasiki_1.jpg 代々木の「大江戸骨董市」で〝バカみたいに重い文鎮(置物)〟を買った。鉄の塊だ。売る方も買う方も、笑いながらの愉快な売買交渉だった。

 なぜこんな物に手が出たか。実は画集や分厚い書籍を見開きにしつつ、キーボードを叩くことままあり。そんな時は重量級押えが必要で〝セロテープ台〟を使ってい、それに代わると思ったんだ。

 物は「十條製紙・釧路工場、昭和三十五年六月竣工記念274吋抄紙機」縮小型記念品。抄紙機(しょうしき)とは、紙を連続的に抄く機械(製紙機)。100㍍8秒で紙を製造するとか。

 この釧路工場の歴史が面白い、前田製紙~北海製紙~富士製紙~王子製紙~十條製紙~現・日本製紙と激動を秘めている。当時の世界最大新聞用紙抄紙機で同工場6号機。歴史的価値があるらしく、王子・飛鳥山「紙の博物館」に縮尺模型が展示されているそうな。

 同抄紙機完成の昭和35年は「ダッコちゃん人形」ブームだった。小生は高校生で、特注の革製本格登山靴を求めるべく、麹町の文具卸店でアルバイトをしていた。ミゼットの助手席に乗って、横浜・有隣堂へ納品。第三京浜走行中の急ハンドルで横転。二人で車を起こし、投げ出されて〝ひしゃげた教材粘土〟を手でペタペタと長方形に直して無事納品。今後、この重量級文鎮を使う度に釧路工場の激動史へ思いを馳せ、ミゼット横転と登山靴を思い出すだろう。

 過日「東京フォーラムの大江戸骨董市」へ行ったが何も買わなかった。何故に手が出なかったのだろうと考えた。己の〝にわか文鎮蒐集〟にポリシーがないと気付いた。●ガラクタはもう買わない。●ン万円の文鎮を幾つも集めたいとも思わず。そこからウ~ンと熟考。やはり手が出るのは、「面白い(曰く、ワケあり、ユニークな形)文鎮」だなと思った。今後、そんな文鎮に出会えるでしょうか。


コメント(0) 

龍ってなに? [暮らしの手帖]

ryu3_1.jpg ガラクタ文鎮のなかに〝龍〟が二つ。この歳まで〝龍〟に無関心。無知ってこと。その世界を覗けば龍関連書(龍研究者)があり、龍マニアもいる。これを機に初めて〝龍〟の世界を覗いてみた。

 基本的にはインドの蛇神、水神のナーダが、中国に渡って神獣、霊獣化。五本爪の龍が皇帝の象徴になった。ゆえに韓国では四本爪の龍。日本に龍が登場したのは弥生時代。弥生土器に龍あり。古墳時代には壁画の四神に青龍。平安時代の密教では雨の神として龍王。「法華経」にも龍が登場。龍神信仰が浸透した。

 日本の龍には中国からの陰陽道、仏教の龍王・龍神、そして日本土着の龍(大蛇)の影響があるとか。〝龍蛇〟は爪なし脚なしで大蛇に近い。宝刀魚、摩訶薩魚もいる。その後に天・地・海で三本爪の龍が多くなったか。北斎が描く龍を見れば、すべて三本爪。龍へのこだわりがあったか、最晩年に描いたのも龍だった。

 以上、いささか乱暴な龍の概念まとめだが、西洋のドラゴンの影響も無視できないらしい。しかし、それら由来などは次第に薄れて、今は様々な龍がいる。寺社の向拝、木鼻、出三斗、欄間、天井絵、襖絵、手水舎。神輿や山車にも龍がいる。北斎に限らず浮世絵師や日本画家は龍を描く。子供時分に浅草の縁日で〝一筆描きで龍を描く〟露天商を見た記憶がある。そして十二支のなかに唯一の想像動物として龍が組み込まれている。

 角は鹿、頭は駱駝、髭は鯰、眼は鬼、体は蛇、腹は蜃気楼の蜃?とか。鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛とか。他にも鎌倉時代の蒙古来襲を防いだのは諏訪大明神の龍蛇で、大地震や噴火をおこすのも龍。山には龍穴がある。

 ちなみに「龍」とだけで新宿図書館で蔵書検索すれば六千件もヒットした。それだけ浸透しているんですね、だが皇帝、神話、宗教には関心薄く、辰年生まれでもなく、名に龍の字も付かず、身体に龍の刺青も彫っていない小生には、何だかとても厄介な存在です。以上、黒田日出男著『龍の棲む日本』(岩波新書)やウィキペディアなどを参考にした。

 写真の真鍮(黄銅)製の龍は、顔が短く狆みたいで、左足の四本爪で如意宝珠(にょいほうじゅ)を持っている。これを文鎮にして何かを書いたら、いい事・悪い事が起こりましょうか。


コメント(0) 

大江戸骨董市の掘出し物 [暮らしの手帖]

REGALpen_1.jpg 過日、自転車で代々木公園ケヤキ並木「大江戸骨董市」へ行った。ガラクタ文鎮をいろいろ買った。その中に「龍の置物」(値札2,000円)に「REGALペン立て」を抱き合わせで「2,500円で持ってけぇ~」と店主。

 家に戻って「REGALペン立て」を検索すれば、なんとヤフオクで6,800円の落札。その紹介文は「REGALウエスタンブーツ型ペン立て、真鍮製、アンティーク珍」。それをまぁ、500円で入手したことになる。

 さらに調べれば1976年より靴購入者へのノベルティーとして作られたもので、製造は「吉田三郎商店」とのネット情報あり。それなら骨董と云うほどの古さもない。

 骨董の価格は〝あってないようなもの〟と知るべし。某店でネズミの文鎮がガラスケースに入っていた。「名のある人の作かえ」。店主はばつが悪そうに「いえ、実にいい形をしているじゃないですか」。青空骨董市の価格は店主の主観ってこと。数十万、数百万の骨董はいざしらず、貧乏隠居の小遣い程度の骨董売買は愉しいお遊びです。

 写真の通り汚れたままの「REGAL」を「PIKAL(ピカール)」で磨き、40年前の黄銅色の輝きを甦らせつつ、思わずフフッと笑ってしまった。今は金ピカになって、iPhone用タッチペンがぴったり収まっている。

 さて、買い込んだガラクタ群を並べ見れば、早くも「ガラクタ」は卒業したい気分になってきた。今後の文鎮蒐集は〝お気に入り厳選〟かな。実は同骨董市で逸品を見た記憶あり。それは緩く歪曲した金板の上にカモノハシの精緻な銀彫刻が載っていた。西洋文鎮(ペーパーウエイト)にもいいものがあると知った。

 次は、ガラクタ群のなかの〝超ガラクタ〟の幾つかを紹介したい。(続く)


コメント(0) 

一瞬の秋、一瞬の雪山 [暮らしの手帖]

akiakaneosu_1.jpg 春と秋が好きだが、昨今は酷暑が長引いて、一気に晩秋。そして雪も降った。秋を楽しむ間もない。季は逸したが、背伸びすれば歌舞伎町が見える東新宿に訪れた〝一瞬の秋〟の記録が、7Fベランダ他に飛んで来た赤トンボ。

 赤トンボ(アキアカネ、秋茜)は、翅を体の下に徐々に下げて休むとか。♂♀共に翅を下げている。オスは成熟すると腹部も赤くなり、メスは背中が赤くなるのもいるが腹部は淡褐色らしい。

 24日の雪は「東京の11月初雪、1962年以来54年振り」とか。1962年(昭和37年)の雪の思い出がある。社会人山岳会の新人2年生。富士山で滑落やザイルワーク訓練後に、厳冬期・南アルプス縦走合宿に参加。深い雪との闘い。そこに切迫形相の伝令が来た。稜線の風を避けた地に全員が集められ、先輩隊の「甲斐駒・赤石沢奥壁登攀隊」三名遭難の報。縦走を中断して、甲斐駒へ急行する旨が告げられた。

akiakanemesu2_1.jpg 今は更地らしいが甲斐駒五合目小屋?が会の拠点になった。社会人ゆえ多くは帰京も、あたしは最後の遺体収容まで滞在。小屋に電報が来た。「大学進学手続きの締切迫る。帰京せよ」。

 大学入学。山岳部の勧誘を断った。亡き登攀隊員・須藤氏の赤シャツを形見にいただいて、それを着て武甲の沢登りに行った。下流の沢でテント泊。深夜「逃げろ」の怒声でテントを這い出し、ブッシュに取り付いて振り返れば、土石流がスローモーションのようにテントを呑み込んで行った。

 先輩の形見の赤シャツをはじめ全てを失って、交番でお金を借りて帰京した。しばらくして同山岳会三年在籍で退会。山をやめた。今、ネット検索したら甲斐駒の奥壁取り付き、八丈バンド辺りに慰霊プレートがあると知った。54年も前の〝山の思い出〟。この歳になれば、それも幻のような一瞬の思い出。


コメント(0) 

護国寺骨董市で文鎮二点入手 [暮らしの手帖]

buntin2_1.jpg 過日、自転車で護国寺・骨董市へ行った。「銭山に乗る亀」と「古代刀貨レプリカ」の文鎮を買った。銭山に乗る亀は「龍亀(ロングイ)=躰は亀で頭は龍」が多いが、これは普通の亀。重いのに小さく可愛い。小さな紙にメモをする時の文鎮に使えそうだ。

 一方「古代刀貨」の正体が分からぬも〝幾度も見た記憶〟があった。鉄扇、出土品、武具かしら~さまざまと検索したがヒットせず。Goodleの類似画像検索もしたがヒットせず。

 「ゴミみたいのを買ってきて」と文句を言われるのを覚悟でかかぁに意見を求めた、〝古代の刀みたいね〟と言った。そこで「刀風文鎮」検索で、やっとヒットした。わかるまで三日を要した。中国は春秋戦国時代の斎国他で流通した〝古代刀貨・刀銭〟のレプリカだった。反っているので「反首刀」。狩猟や漁労用の小刀が原型らしい。象形文字風漢字は「〇〇〇法化(貨)」で、最後の二文字は法で定めた貨幣の意だろう。

 後日、息子に自慢したく「コレなぁ~んだ」と訊けば、こともなげに「昔の貨幣だろ」と即答。「ど・どうして知っているの」。「子供時分の図鑑に〝世界の貨幣〟として載っていた」。あぁ、そうだったのか。

 亀も古代刀貨も、誰がこんなレプリカを造っているのだろう。骨董(風)文鎮を検索すれば江戸・明治・大正の名工による箱入り・名入りで2万~10数万円あり。だがネットには数千円でも〝欲しいなぁ〟と思う逸品もある。この俄か〝文鎮蒐集〟は十個も集めれば満足しそうゆえ、もう少し集めてみましょう。

 追記:実はその後に行った「代々木公園ケヤキ並木・大江戸骨董市」で面白い物を入手した。その話はまた後日。


コメント(0) 

「スマホと古井戸」物語 [暮らしの手帖]

furuido1.jpg 近所の裏路地へ入ったら、古井戸があった。スマホのシャッターを押せば「ガシャガシャガシャ」と凄まじい連写音。静かな路地ゆえ腰を抜かすほど驚いた。なぜこんな余計な機能を付けたのだろう。

 その後は「連写をさせない=LivePhotosをオフ」にして写真を撮る。シャッター音を消す法もあるらしいが、面倒なのでスピーカーを指で塞いで撮った。それも面倒になってテープで塞いだ(電話時にテープ着脱が簡単な小細工をして)。

furuido8nen_1.jpg そしてまたスマホの調子が悪くなった。「Gmail」アプリが<ネットワークリクエストはタイムアウトしました>と出て、埒が明かない。ネットを見れば、多くの方がコレに困っていた。息子が再インストールで直してくれたが、連動していたか「あの表示が消え、あの機能が使えず」など。なんだか、無性に〝ガラゲー〟の安定感が懐かしくなった。

 「Windows10」の強引アップグレードの誘いで「10」にしたことがある。最初は新機能を喜んでいたが、仕事で使えぬ機能が幾つかあった。慌てて「8.1」に戻してもらって、慣れ親しんだ画面・機能にホッとしたものだ。だからと言って今さらガラゲーに戻るのもシャクだ。スマホは新機能開発にかなり無理をしているな、と思った。

 古井戸写真を見れば、昔も撮った記憶あり。調べればブログ開始の8年前頃で、未だスマホ登場前のこと。両写真を見比べれば〝朽ち行く8年〟が見えた。それは我が肉体も同じ。高齢になって俄かにCT検査、MRI検査、大腸内視鏡検査が続いた。己の身体内部映像を見るなどということは想像も出来なかった。「朽ちたこの肉体で、あと何年生きられるだろうか」。

 子供時分は井戸のある生活だった。祖母は洗濯の〝濯ぎ〟に入ると、孫のあたしに井戸を汲み続けることを命じた。まだ家にテレビも電話もなく、ラジオから広沢虎造の浪曲が流れていた。「こんなに時代が変わっていいのだろうか」。地球も世界の政経も悲鳴を上げている。


コメント(0) 

〝スマホの文鎮〟と〝文房清玩〟 [暮らしの手帖]

buntin1_1.jpg スマホ、タブレットが固まることを〝文鎮(化)〟と云うらしい。「iPhone」の「メモの手描き」が〝文鎮化〟した間に「池袋西口古本まつり」へ行った。書道系書籍の山に〝文鎮〟を見つけた。十二支の動物彫刻付き文鎮群。申年(猿)を探すもなくて、酉(鶏)を買った。

 家に戻って机に文鎮を置くと、妙に机上が落ち着いた。佇まいが出来たようで〝文鎮恐るべし〟と思った。今までの文鎮は味気ない「習字セットの金属棒」と「新潟土産の角ガラス」。調べものをする際に、何冊もの頁を開いたままにする場合が多く、以前から〝文鎮不足〟を感じていた。

 再び自転車を駆って「古本まつり」へ。さらに二つの文鎮「虎と牛」を買った。味気ない金属棒と角ガラスを破棄して、江戸っぽい文鎮を揃えたいと思った。仕事一途=PC駆使から、隠居後にアナログ世界が少し広がった。古文書のお勉強〝筆写〟で毛筆を使うようになり、絵を描き始めて水彩(透明・不透明)各種用具、ボールペン、万年筆などが徐々に増えて来た。

 〝文房清玩〟は文房(書斎)で清玩(清く遊ぶ)の意らしい。〝文房四宝〟は墨・硯・筆・紙。裕福な文人ならば、高価な文房具を愛でるのだろうが、小生は貧乏隠居ゆえ、万年筆は一本四千円の色違い「ラミーサファリ」(黒・黄・赤・青のボディ)四本で、筆ペンは「ゼブラ毛筆・硬筆」。筆置きは箸置き、ボールペンは百円ほどで、絵筆はほどほどがいい。

 すべて安物だが〝お気に入り〟に定まるまでは紆余曲折。ボールペンは40種を試み、万年筆は〝ペン先が鉄〟ゆえ、四本それぞれ違った書き味になるよう入念に砥いだ。黒インクは三種遍歴で定まった。そこに新たな文鎮群。文鎮を持つとその重さが何とも心地よく、思わずニンマリしてしまう。

 デジタル世代の虎年生まれの息子が遊びに来た時に〝虎の文鎮〟をあげたら、机がちょっと淋しくなってしまった。江戸っぽい文鎮を揃えるべく、ハタと気付いて<青空骨董市で「文鎮蒐集」>をしてみようと思い付いた。花園神社、護国寺境内、代々木公園の欅並木へと、いざ出動です。


コメント(0) 

iPhone手描きが〝文鎮化〟 [暮らしの手帖]

kyakuhiki_1.jpg 「iPhone」の〝手描き〟にハマったと記したが、面白いことはそうそう(然う然う)続かない。保永堂版の「御油(旅人留女)」の絵が面白かったので、それを描いてみようと思った。こんな感じの凄まじい客引きで、気の弱い小生は江戸時代の東海道は歩けそうもない。

 ご覧の通り上手に描ぬゆえ、より上手にと再トライ。画面をピンチアウト(拡大)して細部を描いていたら、なんと絵が固まってしまった。押しても、擦っても、叩いても、ウンともスンとも動かない。スマホを手にして十日足らずで早くも故障か。メーカー窓口に持ち込む他はなかろう。

 スマホが固まった数日後に、思い切ってAppleサービス窓口へ電話をした。相談しつつ己のスマホの「メモ」をタップすれば、なんということでしょう、あれほど頑固に固まっていた画面が消えていたじゃないか。どうやら過負荷が原因で、デジタル内部で勝手に時間をかけて問題を処理したらしい。

 スマホで絵を描く時は〝固まらない〟ように簡略の線・色に限るのだろう。スマホやタブレットが固まることを〝文鎮・文鎮化〟と云うそうな。そんな言葉を知らぬまま、スマホが文鎮化した間に「池袋西口古本まつり」へ行った。読みたい本は少なかったが、毛筆系書籍の間に埋もれていた〝文鎮〟を買った。

 家に戻って文鎮を机へ置けば、妙に定まった。机の佇まいが整った~とでも云うのだろうか。えらく気に入って、また新たな文鎮を買いに行った。(続く)


コメント(0) 

柏の葉ひらと時空を飛ぶ遊び [暮らしの手帖]

kasiwanoha_1.jpg 雨の日の遊び。伊豆大島ロッジ前に大きな柏の木があって、その立派な葉を写真に撮っていた。その葉を見つつ、島で食った「柏餅」が〝丸っこい葉〟で包まれてい、かかぁと「島に柏の葉があるのに、この丸い葉はなんだろう」と首を傾げつつ頬張ったのを思い出した。

 そこで「大島の柏餅」を検索。それはサルトリバラ(猿捕茨)で、島ではカシャンバ、またはキンキライ(山帰来)とも言うそうな。サンキライはサルトリバラの一種で、中国や台湾に自生で、中国名は「土茯苓(どぶくりゅう)」と知った。

 あれぇ、どこかで見た漢字だなぁ。新宿の我家マンション前の公園「戸山公園」は昔、尾張藩下屋敷。遊び心満載の池泉回遊園で、虚構の町まで作られていた。同下屋敷調べをしていた時に何度もお目にかかった漢字だと思い出した。

 試みに「尾張藩下屋敷 土茯苓」と検索。案の定、寛文11年(1671)の「尾州公戸山御庭記」を転載した小生サイトがヒット。現在の戸山公園・箱根山は、当時は「玉円峰」で、その峰に至る坂が「茯苓坂」だった。

 そう云えば、最近の戸山公園一帯には昔の尾張藩下屋敷当時のお庭名称を記した史蹟柱が至る所に建っていて、箱根山に至る坂に「尾張徳川家戸山荘茯苓坂」の案内柱もある。

 さて「土茯苓=サルトリバラ=サンキライ=カシャンバ」ならば、大島の柏餅を包むのは「土茯苓」になる。だが「土」がなく「茯苓(ブクリョウ)」となると、また別の意らしい。

 「茯苓」は、松林の地中に生じる木材腐朽菌。松の根に寄生するイモ状のキノコらしい。松の神霊の気が宿った妙薬で、仙人が好んで食した漢方食材。するってぇと「茯苓坂」とは。尾張藩主が薬用キノコを育てていての命名だろうか。当時の薬草園作りの誰かが、尾張藩下屋敷のお庭作りにも係わっていたとも推測される。こうした推測とネット検索はキリなく続いて行く。

 ここまで調べて、かかぁに「柏の葉」と「大島の柏餅を包む丸い葉」と戸山公園の「茯苓坂」についてを報告すれば、「あら、あたしもその名に心当たりがあるわ。昔、顔のシミ取りに飲んでいた漢方薬が〝桂枝茯苓丸〟だった」。

 大島ロッジ前の「柏の葉」写真から「大島の柏餅を包む猿捕茨(カシャンバイ、サンキライ)へ。そこから中国の「土茯苓」。新宿の我家前に広がる戸山公園(尾張藩下屋敷)の「茯苓坂」。かかぁが呑んでいた漢方「桂枝茯苓丸」へと続くトリップでした。外は今日も雨です。


コメント(0) 

隠居のクロッキー帖 [暮らしの手帖]

croquis1_1.jpg ここ数ヶ月のブログ絵は、クロッキー帖に描いたもの。併せて「メモ」もクロッキー帖になった。今までのメモは、使用済コピー紙の半裁裏利用で、使用後はゴミ箱へポイ! 後日に「あの時のメモは!」と慌ててゴミ箱を漁ったりしていた。

 「メモ」を改めて考えれば二つに大別できるそうだ。クロッキー帖メモ1は、日程的な、日々の暮し上のメモ。病院へ行く日時、仕事の進行、先日はここに「ウイルスバスターズ3年契約更新の受領書」も貼った。シリアルナンバーなど紛失しがちで貼っておけば大丈夫。

(2)は調べごとのメモ。あたしは無教養ゆえ知らぬ漢字の読みや意。カタカナ英語の意などをメモする。ブログに書くことは間違いのないように調べてから記す。北斎「悪玉踊り」では江戸の改革、浮世絵師、川柳、歌舞伎舞踊などいろいろと調べメモった。加えて今は「青山・外人墓地」調べが容易ではなく、それ専用メモ帖を設けている。

 やはりメモは〝ポイ捨て紙〟ではなく、保存可能な帳面(綴り帖=クロッキー帖)が良い。振り返れば「くずし字」を習っていた時のメモも専用ノートにしておけば良かったと反省する。かくして目下は1:ブログ絵用、2:日程や暮しメモ。3:勉強や調べごと。4:青山・外人墓地用と4冊のクロッキー帖を手元に置いている。

 振り返れば20代後半からワーカホリック。打ち合わせメモ、資料、取材メモ等々はひと仕事済めば、それらはまとめてゴミ箱へドボンッ。頭を切り替えて次の仕事に取り掛かっていた。お仕事は、他人様の為の請負仕事ゆえにポイ捨てが習慣だったが、隠居して初めて自分の関心事のメモになった。隠居してこそ自分の人生かも。そんな隠居暮らしがやっと身につき始めたってことだろうか。


コメント(0) 

スニーカー・スケッチ [暮らしの手帖]

newbalance2_1.jpg 昨年5月、かかぁが買ったスニーカー「ニューバランス」がいいなぁと思って、同じのを買った。ブルーのジーンンズにちょうどいい。

 同製品だが小生のは色褪せ、踵底も斜めに減った。使用頻度、歩く距離が違うからだろう。

 また同じのを買った。履く前に、いろんな角度からスケッチをした。


コメント(0) 

JINSでメガネ新調 [暮らしの手帖]

sinmegane1_1.jpg 子供の頃からメガネ人生。当初はセルロイド製丸型。コイル状ツルが耳に絡んで痛かった。以来、この歳まで新メガネ更新幾度ぞ。今回はデスク用メガネのフレームが壊れての新調。「長らへて春に新たな老い眼鏡」。

 すでに両眼共に白内障手術済。右目が10年前、左眼が2年前に手術。〝人工眼〟はお好みレンズ装着可だが、子供時分からのメガネ人生を一変するのもどうかと思い、また片目ずつの手術ゆえ左右が極端に違うのも按配悪かろうと〝肉眼〟よりやや良く見える程度の〝人工眼〟にした。

 このデスク用メガネは2009年誂え。室内専用ゆえジョン・レノン風の丸縁サングラスに新レンズを嵌め替えたもの。今までに様々なメガネ店で誂えてきたが今回は「JINS」にしてみた。

 フレーム交換のみは受け付けず、レンズ一体販売。それを了として選んだフレームは、スポーツ&生活共用の「エアフレーム」なる商品。この軽量・ソフトなフィット感はどうなっているのだろう、と観察しつつ絵を描いてみた。

 肝心の値段は「遠近レンズ+新フレーム+ブルーライトカット」で、なんと18,252円。安さに驚いた。壊れたメガネは確か5、6万円。度の強い遠近レンズで薄型、超薄型、紫外線防止等々のひと言毎にグングンと高くなった。

 <追記> その安さについてネットで云々されているので、誂えたメガネを把握しておく。JINSのフレームはデザインから一貫生産。レンズは非球体レンズでHOYA製(通常レンズは球体)。私のデスク用メガネはレンズ屈折率1.60の薄型レンズ。1.70からは超薄型レンズとか。1.60までは粘りがあり衝撃に強い。それでも半フレームゆえ「落とした場合は破損リスク」ありと言われた。(安いから破損したら買い換えればいいだろう)

 2年前に拵えた通常使用メガネは約4万円ほど。〝安くなったなぁ〟と感心したが、今回はさらに安い18,000円で、かつ進化している。なんだか嫌な時代だが、眼に関しては白内障手術、眼鏡の低価格・高性能でいい時代になっている。

 江戸時代の馬琴をはじめ、明治・大正、そして昭和~、眼が悪かった先人らに、この好状況を早く迎えさせてあげたかった。


コメント(0) 

長らへて医療機潜り春を見ゆ [暮らしの手帖]

kennsa1_1.jpg 最近、耳慣れぬ最新医療検査機器に身体を委ねることあり。歩くと足裏がチクチクするので診てもらおうと思った。うっかり「痺れもある」と言えば、医者がうれしそうに「MRI検査(磁気共鳴画像検査)」をしましょ、と言った。

 検査台に耳栓をして横たわる。宇宙船のような中にもぐり込むとグワングァンの大音響。強い磁力・電波で体内画像を撮っているらしい。背骨を横から撮った写真を見せて「ホラ、この背骨が歪んでいる」。次に脊柱内写真。「上の方の穴に比しココの脊柱菅が狭くて神経を圧迫。脊柱菅狭窄症だな」。

 かくして血流がよくなる薬を飲むことになったが、肝心の足裏のチクチクはマッサージ系らしく整形医は無関心。北斎の足の模写の際に覚えた「足根球が痛い」と言えば、「私たちはそんな難しい言葉は使いません。ココやソコでいいでしょう」。

 風邪をひいていたので、風邪薬をもらおうと内科へ寄ればレントゲンを撮られた。「よくわからないから、もう一度撮らせて下さい」。翌月にまたレントゲン。今度は「CT検査を受けて下さい」「オイオイ、何を調べているの」「肺ガン」「ウヒャ~」。1週間後のCT検査まで、生きた心地がしない。なんだか本当に胸が悪くなってきた。10年前に禁煙したが、それ以前はチェーンスモーカー。覚悟を決めて検査台に横たわった。結果は、何でもなし。

 以上は大病院。今度は最寄りの診療所で「健康診断」を受けた。検便に血の反応ありで「大腸ガン検査を受けて下さい」。「ネットには大半が痔による血の反応とか。俺も痔なんだ。ケツから何かを突っ込んで調べるなぁんざ絶対にイヤだぜ」。「一度も受けたことがないのでしょ。受けましょ」(結局、ケツから内視鏡+ポリープ除去を3度も受けることになった)

 病院は「薬漬け」にすると知っていたが、「検査漬け」にもするらしい。あたしはフリーゆえ、会社員だったら受けるだろう定期健康診断に無縁のまま隠居を迎えた。この歳になると、この身体は自分のものではなく病院が管理するものらしい。


コメント(0) 

冬麗ベランダに出で爪を切り [暮らしの手帖]

tumekiri4_1.jpg 我が家7Fは東面に窓。早起きゆえ、朝日が昇る美しいい光景を日々愉しんでいる。太陽が南寄り天空に昇ると、周囲の建物と部屋の家具配置にもよろうが、部屋の中に斜めの陽が差し込む。かつて共に暮らしたコッカー種の愛犬は、その斜めに差し込む狭い日向でよく丸くなっていた。最初は線のように細かった日向が、春に向かって20㌢、40㌢と次第に幅広くなって行き、夏になれば灼熱で遮蔽カーテンの出番になる。

 冬晴れで冷たい風も吹かぬ昨日、窓を開けて日向のベランダに足を出して爪を切った。この爪切りをよく見れば「あしのつめ」と記されていた。石川さゆり『飢餓海峡』のノベルティー(販促グッズ)。同曲は平成6年4月リリース。「あぁ、あたしは22年間も、コレで足の爪を切って来たんだ」と思った。

 昭和50年(1975)頃から音楽業界の外部スタッフとして働いてきたから、部屋のどこかに、抽斗の隅っこにと様々な楽曲販促グッズが隠れている。本棚のどこかには中島みゆき「魔女の辞典」(41年前に作った小冊子)もあるはず。忘れやすい性質なんだが、これを作った時のことは妙に覚えている。

 朝日が昇る悠久のドラマ、冬に差し込む日向、愛犬の思い出、「あしのつめ」と書かれた爪切り、どこかにある「魔女の辞典」~。あれやこれやを思い出しつつのカット絵に、駄句を「くずし字」で添えた。昔の幾つかのことは妙に覚えているのに、苦労して覚えた「くずし字」は、勉強を怠ればすぐに忘れてしまう。


コメント(0) 

ロブスターに手こずる [暮らしの手帖]

homard3_1.jpg 我が家のクリスマスは息子らの好みでステーキで、元旦はカニだそうな。あたしらの両親が健在だった頃の正月は、実家に戻って年に一度の着物姿になってお屠蘇、お節料理、お雑煮だった。あたしの代になって江戸時代からの伝統歳時・習慣・食事を失った。崩壊した。責任重大なり。

 門松もなし。節分はマンション中に響く大声で「鬼は外、福は内」と叫びつつ豆をまいたが、子が独立してから止めた。お盆はマンション廊下で〝迎え火〟を炊いたが、管理人に怒られそうで止めた。今は住民の1/3は異国の方になっている。

 で、今年はクリスマス前の22日に、新聞折り込みチラシで見た「ロブスター」を買って食った。食う前に淡彩スケッチと思ったが、上手く描けずにグリグリ描き込んでしまった。来年は「絵画教室」に通って少しは腕を上げましょうかねぇ。

 さてロブスターは、爺さん婆さんで「あっ痛ぇ、危ない」と絶叫しつつ料理ハサミで格闘。〝あぁ、面倒臭い。二度と喰わねぇ〟と決まった。後で「イオン」サイトに紹介されていたロブスターの裁き方を見た。やはり軍手は必要で、非力な爺・婆では無理だと知った。我ら亡き後の子、孫らはどんな正月を迎えるのだろうか。


コメント(0) 

蜂腰も遥か昔や秋高し [暮らしの手帖]

houyou1_1.jpg 久し振りに体重計に乗った。69.5㎏。「危ない・危ない」。70㎏を超えたら〝強制ダイエット〟と決めている。目下は「体脂肪減少に油物抜き」中。天麩羅、フライ、とんかつ、から揚げ、中華料理~。振り返ればけっこう油物好きだったと反省。

 若かったジーナ・ロロブリジータ(イタリア女優)は豊満バスト、か細いウエストが魅力的だった。吉増剛三の詩に「ロロブリジータ」とリフレインする作があり、当時の夢の女優だった。蜂のような腰を「蜂腰(ほうよう)」と言うそうな。だがロロブリジータの中年写真を見たら普通、いや肥っていた。

 先日の藤田嗣治カット模写のなかに「蜂」があった。改めて「蜂腰」を確認すべく、ベランダに飛んで来fudepen1_1.jpgた蜂を描いた。三匹描いたが〝絵が汚い〟と猛省なり。こんなカット絵は、簡単サッと描くべきで、描き加えた。絵は描き直しも簡単だが、腹は簡単に細くはならない。

(簡単あっさりカットを描くには、お気に入りペンがあった方がいいと気が付いた。そこで11種のペンを買ってきて、お気に入りペン探しを始めている)


コメント(0) 

梨食へど世情乱れて乙もナシ [暮らしの手帖]

nasi1_1.jpg 毎年、初秋(八月下旬)に千葉在住の姉の嫁ぎ先から千葉の梨「幸水」をいただく。こちらは地元名産なしで〝お返し〟に困る。

 何時の頃からか、最寄り地下鉄の一つ、東西線「早稲田」駅際、夏目坂下の酒屋「小倉屋」(延宝四年開業)発売の吟醸酒「堀部安兵衛」と「夏目坂」と地ビール「早稲田」をセットで送ることにしている。銘酒ではなかろうが、話題になればと思う。

 梨は「うまい!」と声が出たが、もはや異常ではなくなった気象変化(河川氾濫)や政情騒然で、季節を乙に味わう心の余裕ナシだった。

 夕方、梨を喰った後、小便をし、途中のコンビニでペットボトルの水とカロリーメイトを買い込む準備万端で、国会前に行った。


コメント(0) 

Windows10から8.1に戻す [暮らしの手帖]

windoeskaki_1.jpg ここ最近、パソコンを起動すると「Windows10無料ヴァージョンアップのお薦め」が立ち上がった。昨年2014年3月に新パソコン「HP pavilion」にした際に「Windows8.1」になり、それに慣れた頃。老人ゆえ「新機能」より「慣れ」重視。〝新機能は結構です〟と無視してきたが、〝予約・無料〟にひかれて、ついクリックしてしまった。

 かくして「Windows10」になった。よく使う「フォト」アプリを開く。おぉ、使い勝手が良さそうな。フムフム、ここは〝マニュアル本〟が必要かも。さっそく新宿「ビックロ」地下「ビッグカメラ」パソコン書籍コーナーで『できるWindows10パーフェクトブック』を購った。1480円+税也。同店を出て次に「世界堂」で水彩用紙と今まで持っていなかった形状の水彩筆5本を買った。老人にも訪れた〝新しい秋〟の始まりです。

 が、そうは問屋が卸さなかった。どこをいじったか「お気に入りリスト」が消滅していた。改めて最初に登録したのが新宿図書館の蔵書検索サイトで「あぁ、これが俺の生活なんだ」と改めて認識した。そうこうしているうちに、今度は「スリープ」「シャットダウン」からパソコンが立ち上がらなくなった。モニター故障かと思ったがそうでもない。突然のパソコンなし生活。息子に「ヘルプ」。「ダメだよぅ、新しいもんにすぐ飛びついちゃ。まずは不具合が多いのだから」と旧ヴァージョン復旧で、パソコンが動き出した。

 パソコンなし生活で、読書と絵を描く日々。目下の読書は藤田嗣治から佐伯祐三関連書に移っていて5冊ほど読んでいる。その中の一冊に「彼の絵の特徴はパリの街並みの壁やポスターに書かれた文字だが、実は佐伯はこれが不得手で、妻・米子が平筆で描き加えていた」なる記述があった。つまり佐伯絵画は夫婦合作で、そんなところから真贋事件も起こり、佐伯の早過ぎる死も招いたとあった。

 藤田嗣治と同じく佐伯祐三関連書もそれぞれ内容が大きく異なる。詳細は謎多しだが、30歳にして体調不良(結核)、精神異常、自殺未遂、病死。それを追うように14日後、6歳の娘・弥智子を小児結核で亡くすという事実は変わらない。晩年のパリは重く暗い。パソコン不具合ならば、従来ヴァージョン復旧でやり直せるが、狂い始めた人生のリセットは難しい。そんな事を思いつつ、佐伯祐三風バック色?に平筆で不透明水彩のパーマネントホワイトで「Windows10」と描いてみた。


コメント(0) 

懐かしのランクル40幌タイプ [暮らしの手帖]

land1_1.jpg 「おまいさん、こんな写真が出てきたよぅ」。かかぁが差し出す色褪せた写真に「ランクル40ショート幌」が写っていた。あたしは奥手で、30歳過ぎに高校生らに混じって自動二輪中型免許を取った。ヤマハXJ400なるアメリカンタイプのバイクを購い、即!北海道ツーリングに旅立った。乗用車免許はその後で、四駆「ランドクルーザー40系ショートの幌タイプ・紺色」を求めた。

 写真は運転席上部、後部の幌を巻き上げた状態。そのうちに幌もドアも外した。駐車場にはすっぽりとシートで被ってと、まぁ面倒臭いことをしながら乗っていた。

 車を描くのは初めて。緊張して手が走らぬが「ここはこうだったよなぁ」と細部を思い出しつつ描いた。そう、助手席を外して競技用トライアルバイクを積み、何度か参戦したことも思い出した。そしてトヨタタウンエースから再びランクル60系に乗る。

 写真には今は女児の父親になっている息子の、小学低学年頃の姿も写っていたので、そのまま描いた。残り少ない人生で、思い出ばかりが収拾できぬほどに膨らんでくる。


コメント(0) 

老いた夏髭剃り泡と化粧液 [暮らしの手帖]

higesori2_1.jpg 「んたくもぅ」。そろそろ寿命が尽きる歳ってぇのに、初めて髭剃り前にシェービングクリームの泡を塗り、剃った後にスキンコンディションの乳液を使う仕儀に相成候。この歳になるめぇ前の髭剃ってぇもんは、そだなぁ、顔にバッと水ぶっかけて、ジョリジョリと髭を剃っておしめぇだった。それば、老人になるとお肌が柔になったか衰えたかで〝髭剃りアレルギー〟への対処が必要ってざまになってきやがった。

 脛だってそうでぇ。冬になるってぇと乾燥肌になりゃぁがってボリボリと痒くなる。そんでまぁ、ご婦人方がなさっているように、風呂上りに保湿剤なんかを脚に塗るはめになってしまった。で、あんたぁ、これで痒みがピタリと止まるてんだから、女みてぇだが保湿乳液をヌルヌルと脚に塗るのが習慣になっちまった。

 髭剃りの泡と乳液を描き始めて、ハタと困った。〝白い乳液〟と〝ガラスのテカり〟をどう描いていいものか。透明水彩だと共に「画用紙の白を残す」んだが、乳液はミルク色。チャイニーズホワイトをベタッと塗りたいところだったが、こう誤魔化した。老いた身体も水彩も、誤魔化し誤魔化ししねぇとやっちゃいけねぇ。


コメント(0) 

髭剃り負けで、新剃刀を買った [暮らしの手帖]

kamisori2_1.jpg 某日、髭を剃っていて、数か所からポツンと血が出た。軟膏を塗った。やがてムズ痒くなって〝治り始め〟と思いきや、顔が赤くなった。「おまいさん、医者にお行きよ」。五十年余も髭剃りをしてきて、こんなことは初めて。歳をとるってぇと身体に何が起こるかわからない。皮膚科で「キンダベート軟膏0.05%」を一日二回塗れと言われた。

 逢う人ごとに「日焼け?」と言われた。五日ほどで赤味が引き、新しいカミソリを買った。T字型カミソリの進化型程度の認識で適当に選んだ。替え刃の方が高くて計五千円弱。「高けぇなぁ」と思った。

 買ったカミソリをしげしげ見れば、えらくデザインが凝っていて、初めてカミソリに興味を持った。そも髭剃りとは? 電気シェーバーに回転式と往復式があって、剃刀がある。求めた剃刀は「プログライド フレックスボール パワーホルダー P&G」なる名で、「ジェレット史上初のフレックスボール搭載。フェイスラインに密着しジェレット最高の剃り味を実現」なる惹句が躍っていた。たかがカミソリで大仰な!と思った。

 性能解説を見ると、絵のようなことらしい。商品開発のデザイナーがウヒッヒッとうれしそうに凝ったデザインをし、コピーライターの悦に入った姿が浮かんできた。あたしは五十年余も髭剃りをしてきて、初めてこの種のカミソリと、「カミソリの使い方」を知りたくなった。

 ●髭剃り中にコマメに剃刀を洗う。●目詰まりした刃はお湯で洗い流す。●熱湯消毒は八十度以下で。それ以上に熱いとプラスチックが変形する。●替え刃は二週間毎。●逆さ剃りはダメ。●肌と髭を水か湯で濡らす。理想はウエットシェービング剤がいい。

 髭剃りを安易に考えてきた罰が当たったらしい。今後は心して髭剃りをしようと思いつつ描いたが、凝ったデザインなので上手く描けぬ。二度三度と描き加えた。


コメント(0) 
前の30件 | 次の30件 暮らしの手帖 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。